秘伝コースの復習投稿でうれしかったこと 60代で頑張る塾生さん

2月の「秘伝コース」の授業は、なかなか難易度の高いお料理ばかりでした。
一流料亭でもなかなか美味しいものが少ない「しんじょうの煮物椀」が2種類、それに「桜餅」2種類と「ぼたもち」でした。
いずれも3月のお雛様や春のお彼岸、そして桜の開花がこれからという時に、季節感たっぷりのお料理が伝えられました。

早々と投稿された塾生さん、頑張って練習して投稿された塾生さん、1人ではお手上げで中川さんにSOSのiMessageを送って乗り越えた塾生さん、人それぞれです。

今朝はSさんの投稿がありました。
Sさんは苦手なことがいっぱいあるうえに、授業の内容をよく覚えていないタイプの人(失礼)で、「えーっ!」と思うことが日常的な人なのですが、中川さんからiMessageで再度授業をしてもらって(笑)、なんとか投稿にこぎつけました。

私はSさんの投稿をブログで見た時、最初に中川さんのご苦労に思いが至ってしまったほどです(笑)
でも、中川さんが転送してくれた投稿文を読んで、Sさんの“やる気”に頭の下がる思いがしました。
苦手ながらも一生懸命お料理に取り組んでくれた様子が、文章のいたるところに表れています。

その文章を読んで、私は素直に「偉いな」と思いました。
苦手なことに向き合うのは誰しも億劫なものです。
でも、それに向き合ったからこそ、今のSさんの進歩があったのです。
Sさんは昨年のおせち作りから変わったと思います。

頑張って秘伝コースまで来られると、おせちで開花される人は多いです。
37種類のお料理に挑戦すると、それを境に大変さが変わるのでしょうね。
では、Sさんの投稿文をご紹介させていただきます。

 
 

*   *   *

中川さん、こんばんは。
64-5の◯◯◯◯です。大変遅くなりましたが2月の秘伝コースの復習となります。
ご指導お願い致します。

今月も多くの学びをいただきました。

・まずはしんじょうです。

教室で、今までの、かまぼこのちょっと柔らかい奴と思っていたしんじょうとは別物の
、固体と液体の境界にあるようななんとも言えない食感のしんじょうに感激しました。

まずは不器用でしんじょうが形になるまで手間取りました。次に生地の硬さをつかむの
に手間取りました。教室で中川さんが生地をすくったときの液体のような柔らかさが印
象にあったのですが、自分の記憶に頼ると加減が違い、柔らかすぎて海老しんじょうが
湯の中で崩壊しました。柔らかい生地をふんわりした形にするのが私にはとても大変で
したがなんとか出来るようになりました。

蛤のしんじょうは崩壊することはなく、交互に練習したので海老と蛤の陰陽差も実感す
ることができました。

みなさんの投稿と比べて自分の蛤しんじょうの汁が白濁しているように感じて煮汁と出
汁の割合のご指導をいただきました。教えていただいた割合はとても良い加減で、自分
で美味しいと思って合わせていたのとは違う割合でした。絶対的なものではないと思い
ますが、こうしたことを通して自分の固まっていた感覚が育ってゆくことを感じていま
す。

椀種の切り出しや加熱具合もうまくゆかなくて何度も練習しました。パーツが揃ったあ
とは盛り付けが難しくて、ブログの写真やクラスメイトの投稿、先輩たちの投稿に画面
に顔がつくのではと思う位張り付きました。料理屋では見られない、皆さんの気のこも
った投稿を拝見して、改めてむそう塾生の素晴らしさを実感しました。こんな先輩やお
仲間と共に勉強させていただけることを誇りに思います。

度重なるiMessageのご指導おかげで、私でもなんとか流れを掴んで全部を用意すること
ができるようになりました。

おかげさまで、海老しんじょうのお吸い物はひな祭りに母に食べてもらうことができま
した。最後に復習した蛤しんじょうはおせちの盛り付け講座の日に川政さんで買って帰
った新鮮な花菜を使うことが出来て、まだまだ拙いけれど、今自分に出来る精一杯を注
ぐことができました。

ようやく夫を長々とお待たせすることなく提供することが出来て、料亭みたいだね、と
とても喜んでくれました。無我夢中のあとだからでしょうか、自分でもしみじみと美味
しくて身に染み渡りました。

・おはぎ
何年も見てきた4色おはぎを自分が作っている、あのお皿に盛っている、ということが
信じられない思いで復習しました。

子供のころ実家でもおはぎを作っていて、正直それほど心惹かれるおやつではありませ
んでしたが、教えていただいたおはぎは違いました。なんといっても絶品粒あんには唸
りました。初めて食べる青のりもまた美味しくて、4種類の組み合わせも絶妙でした。
中に◯◯が入ることには戸惑いましたが、これがまた引き締める良い役割をしていま
した。お稲荷の〇〇と似ているなと思いました。京都ならではの味わいを教えていた
だきありがとうございました。

4色を綺麗に盛り付けるには大分手間取りました。一応それらしくはなりましたが、基
本の包餡はまだまだ練習が必要と感じています。

・桜餅
道明寺粉の扱いをつかむまでに失敗もしましたが、iMessageのご指導のおかげでようや
く加減をつかむことができました。そして、こんなに上品なこしあんを自分で作ること
が出来るようになるのが信じられない気持ちです。桜の葉の始末も教えていただき、こ
うした丁寧さが合わさってこの「ザ・桜餅」が出来上がるのだと感じ入っています。

初めて食べる姥桜を通して深い味わいを教えていただきました。

姥桜の道明寺を中川さんが練る前と練ったあとの違いは鮮烈でした。動きは真似しても
自分のはまだ生地を広げて(陰)内にたたんで(陽)も成果はあまり出ません。

これからの課題として、さらに美味しい桜餅となるように努力します。

おはぎも桜餅も、餡子好きの夫には嬉しいひと月だったと思います。

お雛祭りには90歳になる母に海老しんじょうのお椀と桜餅を食べてもらうことが出来
ました。大分弱ってきていますが、来年のお雛祭りは蛤のお椀と美味しくなった桜餅を
食べてもらえると良いなと祈っています。

 
 

*   *   *

<マクロ美風より>

Sさん、素敵な投稿をありがとうございました。
頑張りましたね!
ご主人さまにも、お母様にも召し上がってもらえて、本当によかったです。
「まだまだ拙いけれど、今自分に出来る精一杯を注ぐことができました。」
この文章を読んで、目頭が熱くなりました。

Sさんが初めてむそう塾に来られたのは50代のときでした。
授業日とお仕事の日が重なることも多くて、思うように復習もできなかったことでしょうが、なんとか秘伝コースまで進まれました。
いつしか60代になって、中川さんのお料理の凄さを実感されながら、「この人から習いたい!」というお気持ちが強くなっているのを、ひしひしと感じておりました。

そして、おせち投稿も乗り越えましたね。
60代で新しいことに挑戦されるのは、若い時以上に勇気がいるものです。
そのことは、70代の私が一番よく分かっています(^_-)
でも、「美味しい!」ことが背中を押してくれたんですよね。

私もSさんを見習って、希望の持てる70代にしようと刺激をもらいました。
Sさん、ありがとうございます!
下にお写真を載せておきます。
どれも堂々と誇らしげですね(^o^)

 
 

【海老真蒸の煮物椀】

 
 

【蛤真蒸の煮物椀】

 
 

【桜餅】

 
 

【姥桜】

 
 

【ぼたもち】

 
 

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お菓子を食べるときの注意点 甘いものの食べ方

むそう塾のサイトにある「なぜむそう塾では魚料理も肉料理もパンもお菓子も教えるのか?」の記事にコメントがありました。
“ささ”さんと名乗る方からですが、何らかの理由で体調が悪そうです。
詳しいことは分からないのですが、私の経験も含めて甘いものに対する考え方を書いてみますので、さささんに届きましたら嬉しいです。

 
 

【私と甘いもの】

私はもともと甘いものが大好きタイプではありませんでした。
食べ物の好き嫌いはまったくないので、何でも自由に食べていましたが、20代で野口整体に出会って初めて、白い食べ物は体によくないことを知りました。
今から50年近くも前のことです。

野口整体を1か月違いで始めた友人の激変ぶりに驚き、そこから東洋的なアプローチに関心を持ちました。
世田谷の本部道場にも通い、「気」というものを友人と共有する日々が続きました。
そこからですね。私の考え方に中心軸が出来て、安定感が出てきたのは。

ですから、私は20代から白砂糖を遠ざけた生活をしていました。
そしてマクロビオティックを知るようになってから、やっぱりそれで良かったんだと思いました。
さあ、そこからが面白いのです。
あらゆる甘味料を遮断していくと、穀物や野菜の甘味に敏感になって、それはそれで心地よかったのですが、それが長引くとなにか違うような気がしてきました。

端的にいうと、楽しくないんですね。
生活にメリハリがないというか、平坦すぎて私の苦手な日常でした。
(私は刺激が好きなタイプなんです^^;)
もちろん、平坦で楽しいと思っている仲間たちはいましたし、今もそれを良しとしている仲間たちがいるので、私だけの好みの問題でしょう。

 
 

*   *   *

【むそう塾と甘いもの】

さて、2008年から京都で「むそう塾」を始めることになりました。
塾長としてお料理に腕をふるってくださる中川善博さんは、京料理人として40年近く(当時)の実績がありました。
京都の老舗料亭で培った料理技術と、ご自分で経営されていた料亭で、お客さんの好みを知り尽くしていたのですが、マクロビオティック路線の調味料と妥協しながらスタートしました。

もちろん最初は動物性抜きのメニューが並んでいて、甘いお菓子なんて私がNOと言いました。
煮物にもお砂糖は使わないでほしいと要望したほどです。
当時の中川さんは「なんだかなあ」と思われていたことでしょうが、可能な限り応えてくれました。

しかし、だんだん年月が経ってきて、多くのむそう塾生さんが私ほど甘いものに目くじらを立てていないことが分かって来ます(笑)
それどころか、案外甘いものがお好きなんだということが分かってきて、それだったら体に負担にならない食べ方を教えなくては、ということになりました。

そんなふうにして、「満足コース」で初めて「白玉ぜんざい」や「わらび餅」を教えることになりました。
今では「自由人(びと)コース」で、和菓子はもちろんのこと洋菓子も教えるようになりました。

でも、皆さんが口を揃えておっしゃいます。
「中川さんのお菓子は甘すぎなくて、くどくなくて、食後の体がラク!」と。
ということは、一般に売られている甘いものが、いかに体に負担のかかるもので出来上がっているかよく分かりますね。
やはりそういうのは食べてほしくないです。

むそう塾で教えるお菓子は、材料や作り方をめちゃくちゃ吟味してあるので、この結果になったのですが、これをお店で売るとしたらかなり高い値段になってしまうと思います。
ですから、安いお菓子にはやはりそれなりの理由があることを、私たちは知らなければなりません。

 
 

*   *   *

【甘いものの食べ方と注意点】

では、最後に甘いものの食べ方ですが、甘いものは絶対食べてはいけないものではなく、食べたい時には食べればよいと思います。
(マクロビオティック原理主義者だった私がこんなことを言うなんて、人は変わるものだなあとつくづく思う。)
ただし、食べたいものが本当に甘いものなのか、他のものでもよいのかちょっと考えてみましょう。

甘いものは体をゆるめる作用があるので、勉強前とか、仕事前とか、これから集中したいときの前には摂らない方がいいです。

ですから、休日であるとか、緊張から解放されたいときには甘いものを摂ってもいいのですが、毎日はいけません
もし毎日食べたいようなら、それは毎日のお食事の内容に問題があります。
それと、精神的にストレスの抱えすぎが考えられますね。

また、甘いものは常習性がありますので、癖になっていることが考えられます。
意識的にどのくらい甘いものから距離を置けるか、試してみるのもよいですね。
1週間くらい我慢できるなら、中毒ではありませんのでご安心ください。

割と多いのが、お食事に動物性が多いと甘いものが欲しくなりますので、そういうときは野菜のおかずを増やしたり、しばらく動物性をお休みします。
あるいはご飯の量が少なくても甘いものが欲しくなります。

お子さんはこれから色々な味に目覚めていくので、最初から市販のどぎつい甘さに慣れさせない方がいいですね。
そのためにも、むそう塾でお教えしているくらいの甘さにしておいた方が、将来的にも安心です。

それから、これがとても大事なのですが、甘いものは体に入ると燃焼の際にミネラルをたくさん消費します。
マグネシウムや亜鉛もいっぱい消費されますから、それらを含む食品を意識的に摂るようにしましょう。
そうしないと、ミネラル不足になって、色々な症状が出てきます。

代表的なものに次のようなものがあげられます。
鬱、低体温、貧血、肌荒れ、肩こり、口内炎、体重増加、免疫力の低下。
疲れやすい、集中力がなくなる、イライラしやすい。
骨粗しょう症など。

書けばきりがないほど、甘いものはいっぱい問題を含んでいます。
ですから、上手に甘いものとつき合って、陰性の良さを楽しんでください。

 
 

(抹茶のホットケーキ 料理:京料理人 中川善博 マクロビオティック京料理教室 むそう塾)

 
 

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玄米ご飯に納豆をかけるときの注意点 手づくり納豆の想い出

私の母はなんでもよく手づくりする人で、和裁は日常的になっていて、留め袖を80代になっても縫っていました。
黒地に黒糸は夜は見えにくいといって、昼間だけ縫っていたものです。

編み物も得意で、家族全員の靴下や手袋はもちろん、子どもたちのセーターやカーディガンも編んでくれました。
そんな母の姿を見て育った私たち兄弟4人は、全員が編み物大好きで、兄も編んでいた姿を想い出します。

大勢の孫たちも母の部屋に入り浸りになって、一緒に編み物をして遊んでいましたから、孫たちもまた編み物が大好き人間に育ちました。

 
 

そんな母は、お料理も手づくりが大好きで、お味噌はもちろんのこと納豆も作っていました。
自家栽培の大豆を使って、これも自分の田んぼで育った稲わらを使って作りました。
ずっと湯たんぽを使用していたのですが、途中から「豆炭あんか」を使っていました。
納豆が完成に近づくと、部屋に納豆の香りが漂ってきて、子どもたちもそろそろだなとワクワクします。

稲わらから取り出された納豆は、大きな丼に家族6人分を入れてお醤油をかけ、そこからそれぞれがご飯にかけていきます。
美味しくて黙々と食べ進むのですが、丼の底に残っているヌルヌルの中にご飯を入れるとこれまた美味しいのです。

兄弟4人共これが大好きなので、順番で1人だけ丼にご飯を一口入れる権利を得るのです。
きょうは長女、明日は次女というふうにまわっていきますが、そういう中からみんな平等にとか、順番にということを幼くても学んだように思います。

今になって思うことは、父も母もきっとそれをしたかっただろうということです。
でも、子どもたちが優先で、父も母もそれをしているのを見たことがありません。
子どもたちが喜べば親はそれで満足だったのかもしれません。

 
 

きょうは納豆を食べたくて、玄米を納豆用にやわらかく炊きました。
納豆をご飯にかけて食べると、どうしても噛み方が少なくなるので、白米ならよいのですが玄米の時はご飯の状態で、納豆をかけるか別に食べるかを決めます。
玄米にとろろをかける時も同じですね。

玄米ご飯はやわらかく炊きあがってこそ、その効果を発揮します。
かたい玄米ご飯は体に悪い面が多くなるので注意しましょう。
よく噛めば大丈夫という人がいますが、多くの人はなかなかよく噛みません。
でも、むそう塾の炊き方をしっかり実践すれば大丈夫です。

さあ、いただきま〜す。

 
 


(玄米ご飯 美風式)

 
 

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ウクライナ情勢を考えるために SAMEJIMA TIMESより

新型コロナウイルスと同じように、マスコミの報道を100%信じていけないのは、今のウクライナ侵攻問題です。
昨日もタクシーの運転手さんが、「プーチンは気が狂ってるんだってね。アメリカがちゃんと分析したらしいよ。」などと言っていました。
こう思っている人も多いと思います。

何事もそうですが、一方的な情報にしか接していないと、本質が見えないことがあります。
いつも多角的に考えるようにしないと、無駄な不安を増やすことになりかねません。
こんな時代だからこそ、自分のアンテナを磨いておきたいものです。

この動画もあなたの情報の一つに加えてはいかがでしょうか。

 
 

ウクライナの教訓〜日本列島が軍拡競争で米中対立の主戦場に?非核三原則を見直して核兵器の国内配備して大丈夫か? 2022.3.6

 
 

(16:16)

 
 

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「ウクライナとそっくりな日本列島」長周新聞のコラムより

長時間の仕事が続くと、メールのお返事、次に睡眠が優先されてしまうので、私の大好きな新聞社のコラム欄を読むのは後回しになってしまう。
私はもともと新聞が好きで、高校生の時は「新聞部」に入って新聞づくりに没頭していた。
当時は革マル全盛時代。
それらに関する書物も読んで、大人っぽい高校生だった。

ものすごい熱量を注いで書いた記事が、顧問教師にボツにされたことがあった。
なぜ?と思って顧問教師に尋ねると、「大人だったらよいが、高校生の君には早すぎるテーマだ」というのが理由だった。
ソフトな答えだったが、思想的な偏りをよしとしなかったのだろう。

社会人になっても私の人生は、あのボツになった記事をなぞるような結果になった。
角材を持って走り回ったわけではないが、高校生の時に興味を持ったテーマは、一生心に引っかかるものなんだなと、この歳になっても思う。

新型コロナウイルスでも、マスコミやSNSで流れて来る情報が本当だろうか?と自分の頭で考えることは絶対必要だ。
特にウクライナ情報に関しては要注意である。
私は新聞のコラム記事を読むのが好きなのだが、先日の長周新聞に素晴らしい記事があったのでご紹介しよう。

ウクライナ問題を対岸の火事とするのではなく、今まさに日本人にも当てはまる問題であることを知ってほしい。
真の平和のためには、一人ひとりの意識の覚醒が必要だ。

 
 

*   *   *

【ウクライナとそっくりな日本列島】2022.3.3

 
 

 ウクライナ情勢が緊迫し、ついにロシアが軍事侵攻に及んだことで世界中に緊張が走っている。ウクライナ政府とロシア政府の停戦交渉が無難にまとまることを願いつつ、一方で解せないことも山盛りである。SNSには虚実入り乱れてフェイク画像や動画がこれでもかと溢れ、要するに一方向から「ウクライナ可哀想」の感情を揺さぶるばかりである。そうやって「ハイブリッド戦争」などという謀略じみた手口が駆使され、真偽がはっきりしない情報が散乱し過ぎている状況については、これはいったいなんぞね? という疑問が拭えない。

 日本国内に溢れているその多くも西側発信の一方的受け売りにほかならず、右も左も見事なまでにプーチン悪玉論一色に染まっているから驚かされる。自民党から共産党に至るまでがロシア制裁に鼻息を荒くし、右へ倣えなのである。まず第一にウクライナを巡ってあらわれている矛盾は、部分切り取りの局面だけを見て、あっちの味方かこっちの味方かの二元論で片付けられる問題なのか? である。

 感情にまかせてロシアやっつけろ! だけがエスカレートした場合、これはもう第三次世界大戦の勃発であり、事態はより悲劇的な方向に向かうほかない。そうではなく沈静化させるなら、その歴史的経過を十分に認識したうえで、もっとも無難な落としどころに具体的にランディングさせていくほかないのが現実であろう。真に戦争に反対し、武力衝突を収めるためには、その原因を取り除かないことにはどうにもならないのである。

 ロシアにとってはウクライナのNATO加盟はのど元にミサイルを突きつけられるようなもので、断じて容認できないというのが主張である。一方で、ロシアにとっての兄弟国ともいえるウクライナまでNATOに取り込もうと工作をくり広げ、東欧諸国の取り込みに勤しんできたのが欧米側であり、ワルシャワ条約機構の解体後も散々ちょっかいを出してきた挙げ句の今回の事態である。NATOとは名実ともに軍事同盟であり、ロシア包囲網にウクライナを取り込み、最前線でミサイルを向けることを意味する。その軍事的緊張を取り除かないことには、問題は解決のしようがない。

 誰もが思うようにウクライナの民衆は可哀想である。経済制裁によってルーブル急落とインフレに見舞われるであろうロシアの民衆も同時に可哀想である。ウクライナがロシアとEUの緩衝地帯であるばっかりに、地政学的にも欧米vsロシアの争いに巻き込まれ、おかげで国民は逃げ惑わなければならない。そして、いざロシアが侵攻するとアメリカなんて真っ先に「関与しない」といって梯子を外し、EU各国なんて「これでたたかったらどうか」といって武器だけ持ってきて、みんなして「オマエらが血を流せ」をやる。

 緩衝地帯とは、すなわち最前線の鉄砲玉か盾のような扱いに見えて仕方ないのだ。NATO取り込みで煽ってきた張本人の欧米各国は前線から蜘蛛の子散らして逃げていき、武器を渡されたり火炎瓶の作り方を教えられて、欧米vsロシアの矛盾に巻き込まれたウクライナの民衆に悲劇を押しつけているのだから、まったくひどい話である。それ自体、ウクライナ人をなんと思っているのか! と激怒して然るべきものだ。

 戦争によって無辜の老若男女が殺されることはあってはならない。ましてや人類の頭上に核兵器を投げつけるなど言語道断であることは論を俟たない。それだけは広島、長崎に唯一原爆を投下され、一瞬にして数十万人の非戦闘員を虐殺された被爆国として、世界に向けて叫び続けなければならないことである。

 国際社会としてやるべきはウクライナ危機に際して双方に自制を求め、武力衝突ではない道に誘っていく力が必要だろうと思う。その場合、アメリカはじめとしたNATO加盟国は当事者であり、ロシアが本質的に対決している相手は、誰がどう見てもウクライナの背後でそそのかしてきた彼らである。こうした状況下にあって、本来ならば事態沈静化のために間に立てる中立的な第三国の存在があってもいいはずだが、世界にはそのような国がいないのだろうか。

 緩衝地帯として最前線の人柱にされているウクライナを見ていて思うのは、日本列島もまさに最前線の人柱にされようとしていることだ。南西諸島への自衛隊のミサイル部隊の配置や、米軍岩国基地をはじめ沖縄・九州管内の基地増強体制など、ロシアに対するウクライナ以上に現実に軍事力の配備は進行しているし、中国に向けてミサイルを向ける――を真顔でやっている。いざ揉めたら、米軍はウクライナ同様に「関与しない」をやり、欧米は武器だけ持ってきて、小さな島国を逃げ惑う日本国民に「オマエらがたたかえ」とでもいうのだろうか。竹槍ならぬ火炎瓶の作り方を日本政府は国民に教えるというのだろうか。米本土防衛のための盾になるとは、いかにも愚かな道である。

 アメリカにそそのかされてアジアの孤児になるのではなく、軍事的緊張を取り払い、周辺国との平等互恵の関係を切り結ぶこと、経済的にも「アジアの世紀」の枠組みのなかに入り、歩んでいくことが日本社会を豊かにしていくうえでも最善の選択であろう。目下、興奮した安倍晋三が核の共同運用まで唱え始めた折、誰かあの男を黙らせろ! とは思う。反知性主義者がオラついた結果、国民が悲劇に見舞われるなどまっぴらゴメンである。

 ところで、ゼレンスキーのコメディアン時代の動画を幾つか見て、妙に考えさせられるものがあった。全裸でギター演奏したり、はたまた男性器でピアノ演奏していたような男が人気ドラマの主演を通じて現実の大統領にまでなったというから、これはいったいなんぞね? と。プロパガンダとは色んな意味で考え物である。

                               武蔵坊五郎   

 
 


(教室の掛花 マクロビオティック京料理教室 むそう塾)

 
 

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