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脳梗塞は早く気づくことが大事 こんな症状があったら救急車を!

夫は今年の7月17日から脳梗塞のために入院していますが、実際には7月15日に最初の異変が起きていたと想像されます。
しかし、私は京都にいて夫の異変に気づけませんでした。
ようやく7月17日になって入院したのですが、この丸2日間以上のロスが今となっては後遺症として、重くのしかかって来ています。

脳梗塞の①発症から4.5時間以内なら、血栓を溶かす薬(t-PA療法)が使えます。
また②発症後6〜8時間以内なら、カテーテルを使って血栓回収療法も可能です。(できない場合もあるが24時間までできる場合もある)
しかし、③発症から24時間を経過してしまうと、血液をサラサラにする薬を点滴する抗凝固療法をするだけになります。

夫は48時間以上経ってから病院に行ったので、③の点滴のみの治療となりました。
せめて私が一緒にいるときなら、「あれ? 表情がおかしいよ」とか、「その歩き方は変だよ」と気づけたのですが、私は京都にいたので間に合いませんでした。
そのため、左半身の麻痺が残ってしまったのです。

夫は現在リハビリ専門の病院でリハビリに励んでいますが、特に改善されているようには思えません。
効果が出るまでには5か月以上かかるのでしょうが、長期間の入院は夫の仕事上、もう無理な段階です。
それで、明日お医者さんと相談して、今月末で退院して通院のリハビリに切り替えようと話しているところです。

 
 

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脳に関する異変はすぐ対処する必要があるため、常識として知っておいた方がよいことばかりです。
腸閉塞も時間との戦いですが、脳梗塞も同じく救急車を呼ぶほど早い対応が必須です。
今回のことで分かりましたが、本人は案外ことの重大さに気づいていないので、周りの人がおかしいと思ったら遠慮なく教えてあげる必要があると確信します。
では、要注意な症状を列挙しますので、ご参考になさってくださいね。

<話し方の異変>
1 呂律が回らない
2 思った言葉が出てこない
3 話が支離滅裂になる
4 会話のテンポが極端に遅くなる
5 声がかすれたり、小さくなる
6 言い間違いが多くなる
7 同じ言葉を何度も繰り返す

<顔の異変>
1 口元が歪む
2 まぶたが垂れる
3 片方の顔だけがしびれる
4 呂律が回らない
5 よだれが出やすくなる
6 目が見えづらくなる
7 表情が乏しくなる

<手の異変>
1 片手だけの痺れ
2 物をよく落とすようになる
3 文字がうまく書けなくなる
4 ボタンやファスナーがうまくかけられなくなる
5 手が冷たく感じたり暑く感じる
6 触っても何も感じない
7 手が勝手に震える

<足の異変>
1 片足だけの痺れ
2 足を引きずる
3 ふらつく
4 つまづきやすくなる
5 踏ん張れない
6 足が震える
7 触っても何も感じない

 
 

(画像はこちらのサイトからお借りしました)

 
 
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ブログを書き続けて20年 今改めて思うこと

2005年8月15日。
私はこの日からブログを書き始めました。
それから丸20年ブログを書き続けてきました。

その間にmixiやFacebook、YouTube、Instagram、Twitter、Xなどにも手を出しましたが、一番相性のいいのがブログでした。
私にとってはブログは長さが無制限なところがいいのですが、今は長いものが嫌われる時代ですね。
読むより観る時代になったようです。
しかも短時間で。

しかし、時代は変わっても人間の構造は変わっていないのですから、新しいツールに揉まれながらも、私は文字の発信を大切にしていきたいと思っています。
そうこうしているうちに、20年が経ってしまいました。

玉石混交のネット社会においては埋没してしまう存在かもしれませんが、誰かのアンテナに響いて反応していただいたとき、本当に書き続けていてよかったと思えるのです。
ですから、このブログを続けさせてくれたのは、反応してくださった皆さんのおかげです。
心から御礼を申し上げます。

私は玄米のことと、マクロビオティックのことを伝えようと思ってこのブログを始めました。
そうしたら、いつの間にか「むそう塾」が出来上がりました。
しかし、世の中は20年前よりさらに健康問題が重要になってきましたので、初心を忘れずに記事を書き続けようと思います。
新しいカテゴリーも作りました。(健康情報

 
 

(玄米ごはん 料理:京料理人  中川善博 マクロビオティック京料理教室  むそう塾)

 
 

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ところで、8月15日になると、私は毎年父の涙を想い出します。
父は満州からシベリアに抑留され、昭和23年に帰国したのですが、歯はすべて抜け落ちてガリガリにやせ細り、駅に迎えに行った実兄でも見つけられないほどだったといいます。
母がいうには、「命だけ持って帰って来た」とのこと。

そんな父が終戦の日になると、頭を垂れて涙を流していました。
でも、戦争のことは一切語らず、95歳でこの世を去りました。
父は寡黙な人で、私から見ると「忍耐が服を着て歩いている」ように思えたものです。
案外私の性格は父に似ているところもありますが、寡黙ではありません(笑)

戦後80年経っても、まだまだ戦争を引きずって、あるいは影響を受けながら生きている人はいます。
そういう人の思いは間違いなく戦争反対なのですが、世界には戦争を望む人が結構いるのです。
戦争でお金儲けができる人たちがいることを忘れてはなりません。

日本の不安定な政治が、どのような舵取りをするか分かりませんが、歴史は繰り返されることもあるので要注意です。
このブログでは政治的発言は控えていますが、これからも政治には目を光らせながら生きていきたいと思っています。

 
 
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