ブログを書き続けて20年 今改めて思うこと

2005年8月15日。
私はこの日からブログを書き始めました。
それから丸20年ブログを書き続けてきました。

その間にmixiやFacebook、YouTube、Instagram、Twitter、Xなどにも手を出しましたが、一番相性のいいのがブログでした。
私にとってはブログは長さが無制限なところがいいのですが、今は長いものが嫌われる時代ですね。
読むより観る時代になったようです。
しかも短時間で。

しかし、時代は変わっても人間の構造は変わっていないのですから、新しいツールに揉まれながらも、私は文字の発信を大切にしていきたいと思っています。
そうこうしているうちに、20年が経ってしまいました。

玉石混交のネット社会においては埋没してしまう存在かもしれませんが、誰かのアンテナに響いて反応していただいたとき、本当に書き続けていてよかったと思えるのです。
ですから、このブログを続けさせてくれたのは、反応してくださった皆さんのおかげです。
心から御礼を申し上げます。

私は玄米のことと、マクロビオティックのことを伝えようと思ってこのブログを始めました。
そうしたら、いつの間にか「むそう塾」が出来上がりました。
しかし、世の中は20年前よりさらに健康問題が重要になってきましたので、初心を忘れずに記事を書き続けようと思います。
新しいカテゴリーも作りました。(健康情報

 
 

(玄米ごはん 料理:京料理人  中川善博 マクロビオティック京料理教室  むそう塾)

 
 

***

ところで、8月15日になると、私は毎年父の涙を想い出します。
父は満州からシベリアに抑留され、昭和23年に帰国したのですが、歯はすべて抜け落ちてガリガリにやせ細り、駅に迎えに行った実兄でも見つけられないほどだったといいます。
母がいうには、「命だけ持って帰って来た」とのこと。

そんな父が終戦の日になると、頭を垂れて涙を流していました。
でも、戦争のことは一切語らず、95歳でこの世を去りました。
父は寡黙な人で、私から見ると「忍耐が服を着て歩いている」ように思えたものです。
案外私の性格は父に似ているところもありますが、寡黙ではありません(笑)

戦後80年経っても、まだまだ戦争を引きずって、あるいは影響を受けながら生きている人はいます。
そういう人の思いは間違いなく戦争反対なのですが、世界には戦争を望む人が結構いるのです。
戦争でお金儲けができる人たちがいることを忘れてはなりません。

日本の不安定な政治が、どのような舵取りをするか分かりませんが、歴史は繰り返されることもあるので要注意です。
このブログでは政治的発言は控えていますが、これからも政治には目を光らせながら生きていきたいと思っています。

 
 
カテゴリー: 健康情報 パーマリンク

コメント

  1. ひろこ(99ー1) より:

    美風さん、こんばんわ。
    美風さんのブログの記事で、何度かご両親のことを書かれていて、戦中戦後の大変な時代を家族を大切にしながら、天寿に全うされたように思います。
    私は、終戦の日は、2007年に99歳で亡くなった父方の祖母(高等女学校の教師でした)から、「戦争が終わって、生徒たちに学校で、教科を教える日に戻ることができる。」と話していたことを思い出します。
    戦争末期には、高等女学校の生徒や教師も学校での勉強ではなく、軍需工場で働いていたとのことです。
    戦後、祖母は、公立高等学校で55歳まで教師として働き、その後も私立女子高等学校で、60代前半まで、講師として働きました。
    戦争は、当たり前の生活もできなくなります。
    戦争のない平和な世の中が続いて欲しいです。

    • マクロ美風 より:

      ひろこさん、こんばんは。

      ひろこさんはお若いので、ご祖母様が戦争時代を生きられていたのですね。
      その時代に60代前半まで働き続けておられたなんて、お見事だなぁと思います。

      1軒1軒のお宅にそれぞれの終戦日がおありでしょうが、どうか再び不穏な空気に包まれないように祈るばかりです。
      そのためには国民一人ひとりの力が必要ですが、なんといっても国政を預かる者が愚かな判断をしないことが必須ですね。

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