こころ・想い」カテゴリーアーカイブ

人間は日々の生き方が大事なんだなあと改めて思った日

先日、お久しぶりの塾生さんと個人的なお話をする機会がありました。
私のブログ記事をきちんと読んでいてくださるので、久しぶりにお会いしてもお話がスムーズに通じます。

彼女(以後Mさん)は、お母様を4年半介護して、この7月に見送られたそうです。
脳梗塞の後遺症で車椅子生活になっていたこと、白内障もあったこと、高血圧でもあったことなど、私の夫とも共通点があります。

お仕事を続けながら、ご自宅でお母様を介護されたご経験は、今の私にとっても非常に参考になることばかりでした。
特に参考になったのは、かかりつけ医や訪問看護師さんや薬剤師さんが、お母様やMさんのご希望をきちんと受け入れてサポートしてくださったことでした。

そのお話を聞いていると、Mさんの強運を感じました。
Mさんは元々玄米ご飯を見事にふっくらと炊き上げる人で、その才能には中川さんも驚いていました。
その炊き上がりは神々しく、単に技術だけではない力の存在を感じたものです。

それはMさんがご先祖様から受け継いで来られた「徳」であると確信しています。
そしてまさにMさんは、住まい方も人間関係もお仕事も、人の気持ちを大切にする環境に身を置かれているのでした。
日本人が大切にしてきた精神を、ご両親がきちんと伝えてくださっていること、Mさんがそれを守り続けて生きておられることに頭が下がります。

 
 

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Mさんとのお話でとても心を打たれたことがあります。
それは、4年半の介護は本当にしんどかったけど、もうダメかも…って思うたびに、大事に大事に育ててもらった数々のことが浮かんできて、その度に、感謝の爆発的なエネルギーが湧いてきて、最後まで自宅で介護することが出来ました。」というものでした。

涙が出ます。
Mさんがお母様に育ててもらった時の想い出をエネルギーにして、介護を続けた姿に、人の道を教えられた思いがするのです。
それはまた、お母様の生き方がお母様の素晴らしい最期につながったとも言えます。

私も子育てをしてきた者として、子どもを大事に育てるのは当然ですが、育てられた子どもがどこまで親の気持ちを理解してくれるかは別問題です。
どんな親も子育てに見返りなんて求めていませんが、それでも世の中には悲しいニュースがありますので、Mさんのお気持ちが強く私の胸を打ったのでした。

なお、お母様は点滴や胃瘻などもしなければ、体が自然に準備して、まったく苦しむことなく旅立つという神秘を、Mさんに見せてくれたそうです。
お医者さんも看護師さんも感動されるほどの終わり方だったそうです。
なんて素晴らしいことでしょうか。

最愛のお母様を失って、Mさんは寂しいことに変わりはありませんが、介護に思い残すことがなく、やりきった感があって清々しい後ろ姿を見せてくれました。
なんだか生き方の鏡を見たようで、とても感動している私です。

 
 

(2026年8月24日 京都市左京区の空)

 
 
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8月15日は私にとっても心新たになる日

私がこのブログを書き始めてから丸21年経ちました。これから22年目に入ります。
2005年8月15日にスタートした最初の記事は、「大森英櫻先生に捧ぐ」でした。

私の陰陽生活の原点は、やはりあの熱き言葉で導いてくださった大森先生の姿にあります。
どこまでも澄んでいて、マクロビオティック陰陽の求道者でした。

それほど陰陽は魅力的であり、生涯を通じて手放したくないものです。
私はこれからも、その陰陽を大切にして、このブログとともに生きて行く覚悟です。

 
 

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8月15日の正午には、私の父は頭を垂れて亡き戦友たちに手を合わせていました。
1年で1度だけ父は涙を流します。
過酷すぎた捕虜体験のため、父は戦争の話をしたがりませんでしたが、その背中が戦争の何たるかを教えてくれました。

父は95歳で、母も2年後に95歳で亡くなりましたが、戦争のために波乱の人生でした。
今の日本は、また危険な方向に進んでいるように思えてなりません。

 
 

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思うことが沢山ある8月15日ですが、今日も明日も授業があります。
私は京都にいただいたご縁を大切にして、これからも陰陽を大切に生きていきます。

 
 

(京都東山近くの空 京都は気持ちの良い青空がひろがっています)

 
 
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富士山と私

東海道新幹線で京都から東京に行くとき、私はいつも窓際のD席に座る。
理由は富士山を眺めたいからだ。
東京駅に到着する50分前に、左側に富士山が現れる。

その日によって富士山が見える日、見えない日はもちろんあるが、見えると無条件に嬉しい。
2008年から京都通いが始まって、何百回富士山を眺めたことだろう。
色々な気持ちで眺めてきたけれど、今はまさに富士山に一瞬でも救われるような気持ちになれる。

そこには日常のドロドロとしたものは一切なく、気高く、ドッシリと、微動だにしない安定を感じる。
昨日の富士山は、儚さを伴ったやさしい姿に見えた。
やはり、手前の川の景色が影響する。

 
 


(2026年7月14日 14:08撮影)

 
 

ちなみに、冬の富士山はこんなにくっきり見える。
早朝だからなおのこと。
しかし、手前の景色がなんとも…。

 
 


(2026年1月23日 8:54撮影)

 
 

今の私にとっての富士山は、奮い立たせる冬の富士山(陽性)よりも、そっと包みこんでくれるように感じる夏の富士山(陰性)の方がしっくりくる。
ただ、富士山そのものの美しさは、雪をいただいた冬の富士山だと思う。

 
 
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京都 琵琶湖疏水に癒された日

4月から5月にかけて、とても慌ただしい日が続いた。
肉体的にも精神的にもかなり大変で、睡眠時間がまともにとれなかった。
夫の仕事や体調のことなど、そして私の仕事のことも含めて、思い悩む日々が続いた。

私は仮に眠れなくても焦らない。
極限まで行ったら眠れると思っているから。
睡眠だけでなく、物事って大抵痛いくらいのところまで行くと、流れが変わってくると体験上感じていた。
のちに陰陽を知ると、まさにその定理に当てはまっていて納得した。

ただし、中途半端な経験はいけない。
「もうダメだ」と震えるところまで行く必要がある。
そこまで行くと人間は、今まで使っていないエネルギーを産み出すように感じる。
だから、平時の発想で「万策尽きた」と思うのではなく、震えるまで自分を追い込んでみる方が解決に至りやすいのではないかと考える。

ま、こんな波なんてない方が人生は幸せかもしれないが、荒波にもまれるのも刺激になって悪いものではない。
女性にはあまり荒波経験はおすすめではないが、強くはなれる。
マクロビオティックを知った時、陰陽は羅針盤だと教わった。
暗い海に放り出されても、羅針盤を持っていれば方向を見失わないと。

 
 

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昨夜は久しぶりに7時間寝た。
何か月ぶりだろう?
朝、目がさめたとき、何日も寝ていたかのような錯覚をした。
ぐっすり眠れた。こんなに嬉しいことはない。
これで私は一歩進んだと思った。

税理士さんに送る書類があるので、起きるなり整理を始めた。
気持ちよく作業を進めて、投函後に琵琶湖疏水のあたりを散歩した。
水鳥や鯉がゆったりと行き来している。
悩みなんてなさそうに(笑)

 
 


(琵琶湖疏水)

 
 

ひと月あまり前には、この辺りは桜でピンクに染まっていた。
今ではすっかり緑一色になって、月日の流れを感じる。
正面の東山も緑が萌えている。
季節は毎日移ろいながら、確実に変化していく。
まさに陰陽の比率が動いているのだ。

 
 


(琵琶湖疏水 正面は東山 左は京都国立近代美術館

 
 

心を開放して仁王門通の脇を歩きながら、疎水の流れを見つめていると、心の淀みが流されていった。
疎水の水が勢いよく白川に流れていく取水口を見ていると、琵琶湖から流れてきた水に浄化されたような気がした。
私は陰性に助けられた。
ありがとう。水よ樹よ。

 
 


(琵琶湖疏水沿いの遊歩道 右が仁王門通)

 
 
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窓から見える景色は陰性?陽性?

あなたのお部屋のカーテンを開けたら

どんな景色が見えますか?

隣の家の壁 → 陽性

遠くの景色 → 陰性

(注)この場合の陽性・陰性はどちらも良い意味です

 
 

目から入る情報はすぐ脳に影響するので
お部屋から見える景色が近ければ近いほど現実的な思考に流れます

反対に遠くの景色が見える場合はリラックス感があって
遊びのある思考ができます
つまり現実離れした世界に心を泳がせるゆとりがあるわけです

人は環境に支配される生き物なので
どんな場所に住むかは風水も含めてとても大切です

 
 

(京都市伏見区の空 2026.4.16撮影)

 
 
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