こころ・想い」カテゴリーアーカイブ

京都 琵琶湖疏水に癒された日

4月から5月にかけて、とても慌ただしい日が続いた。
肉体的にも精神的にもかなり大変で、睡眠時間がまともにとれなかった。
夫の仕事や体調のことなど、そして私の仕事のことも含めて、思い悩む日々が続いた。

私は仮に眠れなくても焦らない。
極限まで行ったら眠れると思っているから。
睡眠だけでなく、物事って大抵痛いくらいのところまで行くと、流れが変わってくると体験上感じていた。
のちに陰陽を知ると、まさにその定理に当てはまっていて納得した。

ただし、中途半端な経験はいけない。
「もうダメだ」と震えるところまで行く必要がある。
そこまで行くと人間は、今まで使っていないエネルギーを産み出すように感じる。
だから、平時の発想で「万策尽きた」と思うのではなく、震えるまで自分を追い込んでみる方が解決に至りやすいのではないかと考える。

ま、こんな波なんてない方が人生は幸せかもしれないが、荒波にもまれるのも刺激になって悪いものではない。
女性にはあまり荒波経験はおすすめではないが、強くはなれる。
マクロビオティックを知った時、陰陽は羅針盤だと教わった。
暗い海に放り出されても、羅針盤を持っていれば方向を見失わないと。

 
 

***

昨夜は久しぶりに7時間寝た。
何か月ぶりだろう?
朝、目がさめたとき、何日も寝ていたかのような錯覚をした。
ぐっすり眠れた。こんなに嬉しいことはない。
これで私は一歩進んだと思った。

税理士さんに送る書類があるので、起きるなり整理を始めた。
気持ちよく作業を進めて、投函後に琵琶湖疏水のあたりを散歩した。
水鳥や鯉がゆったりと行き来している。
悩みなんてなさそうに(笑)

 
 


(琵琶湖疏水)

 
 

ひと月あまり前には、この辺りは桜でピンクに染まっていた。
今ではすっかり緑一色になって、月日の流れを感じる。
正面の東山も緑が萌えている。
季節は毎日移ろいながら、確実に変化していく。
まさに陰陽の比率が動いているのだ。

 
 


(琵琶湖疏水 正面は東山 左は京都国立近代美術館

 
 

心を開放して仁王門通の脇を歩きながら、疎水の流れを見つめていると、心の淀みが流されていった。
疎水の水が勢いよく白川に流れていく取水口を見ていると、琵琶湖から流れてきた水に浄化されたような気がした。
私は陰性に助けられた。
ありがとう。水よ樹よ。

 
 


(琵琶湖疏水沿いの遊歩道 右が仁王門通)

 
 
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窓から見える景色は陰性?陽性?

あなたのお部屋のカーテンを開けたら

どんな景色が見えますか?

隣の家の壁 → 陽性

遠くの景色 → 陰性

(注)この場合の陽性・陰性はどちらも良い意味です

 
 

目から入る情報はすぐ脳に影響するので
お部屋から見える景色が近ければ近いほど現実的な思考に流れます

反対に遠くの景色が見える場合はリラックス感があって
遊びのある思考ができます
つまり現実離れした世界に心を泳がせるゆとりがあるわけです

人は環境に支配される生き物なので
どんな場所に住むかは風水も含めてとても大切です

 
 

(京都市伏見区の空 2026.4.16撮影)

 
 
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83歳の兄と久しぶりに会話した

きょう、兄に久しぶりに電話してみた。
ふっと近況を知りたくなったから。
何年ぶりだろう。。。

実は、兄は昨年の暮れに長年連れ添った妻を亡くしている。
同じ部屋に就寝していたのに、朝起きたら隣のベッドで妻が亡くなっていたという。
もう死後硬直が始まっていたらしい。
心臓の病気を抱えていたので、それが引き金になったのだろう。

広い、広い、広〜い家に、兄は一人ぽっちで住んでいる。
一人で日常生活はどうしているのかと、ふと気になって電話してみた。
兄は、「ご飯炊いて、おかず買ってきて、洗濯もして忙しいな」と言う。

 
 

バリバリと夜も寝ないで働いていた兄の姿しか知らない私には、兄がご飯を炊いたり、お洗濯をする姿が想像できない。
兄は北海道の十勝で仔牛を飼っていて、年間の飼養頭数は16,000頭にもなる会社を築き上げた。
今は兄の息子に社長の座を譲っているが、仕事は続けているらしい。

私が電話したとき、兄はショベルカーを運転中だった。
数年前に直腸癌の手術をしている割には、83歳なのに相変わらずの働き者だ。
何歳になっても体を動かす仕事があること。
これが一番の健康法かもしれない。

 
 

 
 

兄の会社のHPから、哺育舎の写真を拝借した。
肥育素牛が何万頭もいるため、一般的なイメージの牛舎ではなく、もう工場のように沢山の棟が建っている。
この建物の下は、私の父の時代には小豆畑だったところだ。

時代とともに土地の使われ方も変わり、まわりの山々も開発され、北海道出身の私は複雑な気持ちになる。
〜山のあなたの 空遠く「幸」住むと 人のいふ〜
私はそんな1節を心に抱いて山を越えてきたが、越えてよかったのかどうか?

兄は山を越えずに父母と暮らし、看取ってくれた。
そして、その息子も事業を引き継いだ。
兄よ、ありがとう。
甥よ、ありがとう。

 
 
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雲に教えられ、花に教えられ、外で学んだ日

先日、平安神宮のそばを歩いていた。
晴れていたけど遠くに気になる雲があった。
でも、太陽の日差しが気持ちよいのでグングン歩いていた。

1時間ほど歩いていたら、その雲が近づいてきた。
あたりは急に灰色の景色になって寒くなった。
と同時に、私の気持ちもしょんぼりしてきた。
風さえも冷たく感じて、マイナスな思考になりそうで驚いた。
一人でいることさえ悲しく思えたから不思議だ。

少ししてその雲が去って行った。
あたりは何事もなかったかのように、元の明るい日差しが戻ってきた。
ホッとして空を見上げた。

 
 

 
 

ふと、人生と同じだなと思った。
暗く寒い日もあるけど、明るく暖かな日もある。

人生は晴天ばかりではない。
厚い雲に覆われたとき、どんなふうに過ごすかが大事なのだ。

 
 

足元には椿が咲いていた。
寒い季節にも健気に美しさを放つ。
花にも教えられた日だった。

 
 

 
 
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ほどよい陰性が心地よい 生きるうえでヒントになる才能

人の個性とは面白いものだ。
のんびりした人、完璧を目指す人、より上へと意識が向く人など実にさまざまだ。
陰陽で考えると、陽性寄りの方が理想的な人生を送れるようにも思うが、現実を見ていると必ずしもそうではないことに気づく。

むそう塾には色々なタイプの人が集まっている。
周りの状況をよく把握し、要領よく仕事もこなし、いわゆるデキル人タイプがいる反面、のんびりとしていて、マイペースで行動し、思うように物事が進まなくても、それをあまり気にしていない感じだ。
どちらかというと、それを笑いに変えてしまう特徴もある。

つまり、憎めない性格であり、「まあ、仕方ないね」と最後は笑っておしまいとなる。
失敗や取りこぼしもあるが、「それがどうしたの?」と言えるほど自分流を貫いている。
私はそんな彼女が好きだ。
こちらまでほっこりとした気分になれるからだ。

私が一番素晴らしいと思うのは、そのような人が周りに笑いを届け、誰からも憎まれることなく、むしろ愛され、本人も幸せな人生を送っていることだ。
間違いなく恵まれた暮らしをしている。
これは生きるうえで大いにヒントになる才能である。

時々「えーっ??」という事態になっても、こちらが慌てるだけで、本人は苦笑いして済ませてしまう。
これはもう特殊才能というしかないのではないか?

自分を必要以上に責めたり、責任感で押しつぶされたり、苦しむ様子はなく、なんとなく笑顔で暮らしていられる。
いや〜、もう脱帽である。

 
 

(ブッシュ・ド・ノエル 料理:京料理人 中川善博 マクロビオティック京料理教室むそう塾 自由人コース2 12月の授業より)

 
 
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