2008年の7月31日に開いた玄米の炊き方講座に続いて、9月17日からは「むそう塾」がスタートしました。
大勢の人が集まってくれて、お店の中は活気でいっぱいです。
第一回 むそう塾 終了致しました ※画像追加 2008.9.17
9月23日にも玄米ご飯の炊き方講座を開催しました。
今回は特別講座として、焼きそばの作り方付きです。
なぜなら、8月にすごく美味しいお料理があったからです。
ヤキソバーン (ふるっ) 2008.8.20
マクロビオティックのお店「なかがわ」を営業しながら、時々玄米講座を開催しているうちに、2008年11月18日、中川さんのお母様が亡くなられました。
紅葉とともにさようなら 2008.11.27
長かった介護生活に終止符が打たれました。
子どもとしての務めを果たし、肩の荷が降りた中川さん。
色々な意味で環境の陰陽が変わりました。
【お店をやめてマクロビオティックの教室を始めよう!】
2009年3月30日、「なかがわ」は閉店して、4月29日から「マクロビオティック京料理教室 むそう塾」がスタートすることになりました。
1か月間でリニューアル工事です。
内装をチョコチョコいじる工事ではなく、床を何十センチも削(はつ)る工事や、水回りや、壁や天井もすべて作り直す大掛かりな工事です。
1,000万円以上も借り入れして、私が気になっていた建物としての氣をベストの状態にしてくれました。
CSの塾生さんが来られても、安心して授業を受けられるように、炭や珪藻土、天然木だけで教室を作りました。
おかげさまで、教室が心地よいと皆さんがおっしゃってくれます。
【責任感と愛情はどこから?】
中川さんがなぜ強い責任感と、深い愛情を塾生さんに持ち続けていられるのか?
それは、私が感じるところでは、亡くなった奥さまに対する愛情だと思っています。
乳飲み子を残してスキルス癌で亡くなってしまった奥様のことを、心から愛しておられたのだと思います。
奥様を救いたい一心で食養を勉強し、出来る限りのことをしたけれど奥様は亡くなってしまった。
そのことがトラウマのようになっていたのだと思います。
ある日中川さんは、私にこう質問しました。
「大森先生だったら家内を助けられましたかね?」※
私:「いや、スキルス癌は進行が速いから、食養のスピードでは間に合わなかったと思う」と答えました。
それを聞いて中川さんは吹っ切れたようです。
奥様が亡くなって何十年経ってもなお、他に助ける方法はなかったのか?と引っかかっておられたのでしょう。
そこに中川さんの愛情の深さを感じるのです。
※ 大森先生とは、大森英櫻氏のこと。
食養で病人を沢山治したマクロビオティックの指導者。
私の恩師でもあります。
【塾生さんのために生きよう!】
ちょうど子育ても終了したので、これからは塾生さんの幸せのために、自分のすべてを捧げようと決意された中川さん。
そのお料理の数々は、「妻が生きていたら食べさせたかったお料理」なのだそうです。
(病気にならないような料理を教えよう。)
そんな背景があるからこそ、あの驚異的な仕込みができたり、強い責任感があったり、塾生さんを守ってやりたい愛情がたっぷりあったりするのです。
それに、持ち前の男気質が強いので、頼られたらなんとしても応えようとするところがあります。
そうでなければ男じゃないみたいな(笑)
そこが中川さんの素敵なところでもありますが。
塾生さんのために生きよう!
こうして中川さんは、まさに水を得た魚になりました。
もう、「京都の片隅で…」とは言いません(笑)
とまあ、こんなふうにして、あの熱血指導が続くわけです。
まだまだ書き足りないことはいっぱいありますが、あまり長くなってもいけないので、このへんで中川さんの「熱さ」の源泉探しを終わりたいと思います。
むそう塾ができるまで こちらにも詳しく書かれています。
(2008.4.29 リニューアル記念の日)