「おかあさん?」 102Pより
あ、だれかくる
おんなのひとだ!
だれかの おかあさんかな?
もしかして・・・・・ぼくのおかあさん?
きれいなひとだなぁ
ぼくのおかあさんも きれいかな
しごとは なにをしているのかな
やさしくて ふわふわなのかな
どんなこえかな
ぼくに にてるのかな
でも・・・・・
どんなかおしてても
ふとってても
いじわるでも
はたらいていなくても
ゴツゴツしていても
おとこみたいなこえでも
おかあさんは おかあさん
いちどでもいいから
かおをみせてよ おかあさん
だきしめてよ おかあさん
いちどでもいいから
ぼくのなまえを よんでよ おかあさん
そしたら
ぼくから つたえたいことがあるんだ
「うんでくれて ありがとう」
* * *
「いつも いつでも やさしくて」 115Pより
ぼくが泣いて帰ってきたときも
怪我をして帰ってきたときも
いつも いつでも やさしくて
ぼくが初めてウルセーって言ったときも
初めて学校で問題を起こしたときも
いつも いつでも やさしくて
ぼくが落ちこんでいるときも
反抗したときも
いつも いつでも やさしくて
そんなやさしい母さんだから
ぼくもやさしくしようっていう気持ちになる
でも ぼくのなかには「俺」がいて
そんな「俺」は時々
なにかに当りちらして
ブツかって生きたかったんだ
でも
あなたは いつも いつでも やさしくて
だから本気で ブツかれなくて
だから本気で わがまま言えなくて
だから本気で さびしくて
やさしさで包んでくれる母の愛
ぼくはしあわせだけど
その「愛」が「やさしさ」が
ぼくのなかの「俺」を不自由にする
「俺」を母さんのまえで自由にして
本気で手足をバタバタさせたい
いつも いつでも
でも 少しも母さんに迷惑かけたくないんだ
そう そのやさしさの前では
いつも いつでも やさしくて
* * *
「空白」 130Pより
離婚 親が勝手に決める人生
ぼくらを置いて家を出るとき
母は どんな気持ちだったのか
さみしかったのか 悲しかったのか
それとも 肩の荷をおろして 楽になったのか
母が 家を出て三ヶ月後
父が 交通事故で亡くなった
兄弟三人とおばあちゃんとの暮らし
弁当は自分で作る
だから 開けても楽しみがない
「おかん またきゅうり入れとるわ」
そんなこと いっぺん言ってみたかった
夜遅く帰ってきても
友だちを呼んでも 怒る人もいない
楽だと思ったけど ほんとはしんどかった
二十歳の時 母から連絡があった
母は 旅館で働いていた
十年ぶりに 会うことになった
どんな顔しよ なにしゃべろ
でも 会ったらふしぎと言葉も出て
いつのまにか 笑顔で話していた
いっしょに住むことになって
母は 仕事に行くぼくに 弁当を作ってくれた
通勤途中で そっと開けてみたら
たまご焼き 唐揚げ ウインナ
ぼくの好きなものばかり
離れていても 知っててくれたんや
子どもの好きなもん
これから毎日 十年分の空白を
弁当箱に詰めていきます
* * *
(空が青いから白をえらんだのです 寮美千子編)
奈良少年刑務所で行われていた受刑者教育の「社会性涵養プログラム」。
この中で書かれた詩がとても心を打ちます。
子育てをしている人は、できるだけ子どもの気持ちに寄り添おうとしていると思いますが、それでも想像でしかありません。
当事者である子どもたちは、本当はどんな気持ちを持っている(た)のだろう?
厳しいだけでもいけないし、やさしいだけでも真綿で心を締めるように子どもを苦しめるようになる・・・。
子育てって難しいですね。
今子どもと普通に会話をしていても、お互いにもっと理解し合える余地が残されているように感じました。