今の時代は「会食恐怖症」という人がいるそうですが、私の経験でも30年ほど前にそういう人とお食事をしたことがあります。
こちらの記事に書かれていますが、「安心できる場所にいたり、信頼できる友達と一緒にいたりっていう条件が揃えば食べられるけど、そうじゃないときには食べられない。」そうなんです。
私がご一緒できたその人は、夫の同業者の奥様だったので、心を許してくださったのでしょう。
でも、お一人だと外食ができないので、「パンを買って車の中で食べるんです」とおっしゃっていました。
裕福なご家庭のお嬢さんなのですが、幼い時になにか心に傷を負う出来事があったのかもしれません。
もし、あなたの周りにそういう人がおられたら、理解できる人であれたらいいですね。
以下に記事を引用させていただきます。
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<引用開始>
「食べられない自分」を肯定するのが克服の第一歩 人前で食事ができない「会食恐怖症」のこと
人前で食事をすることができない「会食恐怖症」。会食に対して耐えがたい不安や恐怖を抱き、吐き気やめまい、胃痛、動悸、嚥下障害をはじめとするさまざまな症状が表れてしまう精神疾患です。
日本会食恐怖症克服支援協会の代表理事をつとめる山口健太さん。自身が会食恐怖症を克服した経験を活かし、同様の疾患に悩む人々へのカウンセリングや、学校や保育施設への給食コンサルティング活動を行っています。山口さんの活動や、著書『会食恐怖症を卒業するために私たちがやってきたこと』(内外出版)についてお話を伺いました。
こんな悩みは自分だけかもしれない
——「会食恐怖症」という疾患はまだ認知度が低く、この言葉を初めて目にした、という方も多いかと思います。
山口:これまでに「会食恐怖症」を単体で取り扱った本ってなかったんですよね。社交するあらゆる機会に大きな不安を感じる「社交不安症」というものがありますが、会食恐怖症はその一つとして分類されていて、そういう疾患についての本の、それこそ200ページに1ページくらいの分量で説明が載っているくらいでした。
そこで書かれている症例も「食べているところを見られるのが嫌な人がいます」というサラッとしたもので。実際には見られるのが嫌な人もいれば、嘔吐してしまうことへの恐怖や、「全部食べ切らなきゃ」「おいしく食べなければ」という強迫観念がある人もいる。不安を感じる部分にも、出てくる症状にもかなり個人差があるんですが、そのあたりの認知がまだ広まっていないですね。精神科のお医者さんでさえ「そんなものはない」って言う人がいるくらい。
——山口さんは高校時代、所属していた野球部の合宿をきっかけに発症されたそうですね。
山口:もともと少食な方だったんですけど、高校の野球部は「食べて体を作るのもトレーニングのひとつ」みたいな感じで、量を食べるようかなり厳しい指導をしていたんですね。合宿の張り詰めた空気の中で、周りの人たちと同じ量を食べなければならない。そういうプレッシャーもあって残してしまったら、監督に部員みんなの前で怒鳴られてしまって。そこからどんどん会食に対する恐怖が高まっていって、食事のことを考えただけでも気持ち悪くなってしまうほどでした。「周りに合わせられない」とか「みんなと同じように食べられない」とか、やっぱり食事そのものというより、人との関わりに対する不安があったんだと思います。だから安心できる場所にいたり、信頼できる友達と一緒にいたりっていう条件が揃えば食べられるけど、そうじゃないときには食べられない。
——当時はどんな気持ちでしたか?
山口:気持ちの面では「孤独」っていうのがすごく強かったです。普通の感覚だったら、ご飯って楽しく食べるものじゃないですか。でも、自分はそれができないし、できないという実感を分け合える人もいない。こんな悩みを持ってるのは世界で自分だけ、って思っていたんですよね。
どっちのほうがつらいという話じゃないですけど、これがたとえば拒食症とかであれば、一つのジャンルみたいなものが確立されているし、当事者の人たちもその旗を頼りに集まれるじゃないですか。僕の場合、完全に食べられないわけではないから病院に行くのが正解なのかも当時は分からなかったし、「なんでこんなことになっちゃったんだ」っていう寂しさと絶望感がありましたね。
「食べられない」ことを自分の中の正解として受け入れる
——著書の中には、会食恐怖症を発症する要素として「自己肯定感の低さ」「ノンフロー状態」「恐怖の学習」という三つのキーワードが出てきています。
山口:僕はどちらかというと、遺伝などの先天的な要因よりも、後天的な要因の方が大きいと考えています。「恐怖の学習」は、食に対する一種のトラウマですよね。僕だったら、合宿での出来事がそれにあたります。小学校の給食で先生に無理やり食べさせられたとか、人と食事をしているときに気持ち悪くなって吐いちゃったとか。特別なきっかけは覚えていないという人がいますが、そういう人も食事に対して小さい頃からプラスのイメージがなかったという場合が多いです。
「ノンフロー状態」というのは、自分がリラックスできていない状態。その人の状態と症状の出やすさにはすごく密接な関係があって。たとえば受験や就活でストレスを感じていたり、家族との関係がよくなくて、家が安心できる場所ではない、という状態だったりすると、症状も出やすくなる。だからサポートする立場としては、その人の普段の状況を見てあげないといけない。
——本書を読んでいると、三つの中でも、「自己肯定感」というものがとくに重要な要素として挙げられている印象を受けました。
山口:「ありのままの自分でいいんだ」という実感があるかどうか。僕が会食恐怖の症状が出ていた当時って、やっぱり自分のことを受け入れられていなかったんですよね。自信もないし、鏡で自分の顔を見るのさえ嫌だった。その拒否反応としていろいろ症状は出ていたなって思っていて。それまでの生き方とか考え方って、本当に自分がそうしたいと思って選ぶというよりは、家だったり学校だったりの教育によるところが大きくて、結構心は悲鳴をあげていたと思うんですよ。
——カウンセリングでは、具体的にどのようなアドバイスをすることがありますか?
山口:本人ができるのであれば段階的に練習を、できないのであれば「まずは行ってみる」っていうことをお勧めしますね。「食べられなくてもいいので、とりあえず行ってみてください」と。この場合、自己評価の仕方が大事なんですけど、食べられたか/食べられなかったかではなくて、「行けた」っていうことを見たらいい。それだけであなたは十分成長しているんだからすばらしいんですよ、と。
——著書にも「減点方式ではなく、加点方式で自分を見る」と書かれていましたね。
山口:そうですね。あとは、その人のメンタリティ的に可能なようであれば、「残してきてください」ってアドバイスすることもあります。あえて残すことで、“食べられない”を自分の中の正解にしてきてもらうんです。同じように「変な食べ方やマナー違反をしないか不安」という人の場合も、むしろ「マナー違反してやろう」ぐらいの気持ちで行った方がいいなと思っています。あえて間違えて、誰かに突っ込まれるのを待つとか。「残さないように頑張る」「変なことをしないように勉強する」っていうのが普通の考え方ですけど、逆の発想をしてみるんですね。ミスすることをただ受け入れる。そうやってリラックスすることで、かえって食欲が湧いて食べられたりもしますし。
——反対に、「もう人と会食はしない」という選択肢もあるのでしょうか。
山口:たまにいらっしゃいますね。そのときは「じゃあ治さなくていいと思いますよ」みたいなことは言いますよ。突き放すわけではなくて、そういう人って、お医者さんや周りの人の意見なり、社会的な価値観なりっていうのに従おうとする時点でつらいんだろうと思うので。なので「自分は人とご飯を食べないけど、これが自分にとって一番いい生き方なんです」っていう世界の閉ざし方は、全然ありじゃないですか。どんな方法を選ぶにせよ、自分自身の基準で生きることが大事なのかなって思います。
——「自分はどう生きたいのか」という基準を見つけ出すのも、難しい作業ですよね。
山口:「こうしたい」という意欲を持つステップって、自身が満たされていない状態では出てこないんですよ。基盤ができていないのに階段を登ることはできないし、自分の中からも意欲が出てこない。「今の自分でいいんだよ」っていうところから、やっと克服のためのステップが始まるんだと思います。
僕は自己対話っていうのをすごく大事にしているんですけど、人って一日一万回ぐらい脳内で独り言を言っているらしいんです。もし他人から一日一万回「お前はだめだ」って言われていたとしたら、精神が病むじゃないですか。でも人って、同じことを自分に対してはやってしまいがちなんですよね。それから変えていかないとやっぱりしんどい。最初は言葉からでもいいんです。「自分には価値があるんだ」って、たとえ腑に落ちていないとしても、とりあえず先に言った方がいいと僕は思っていて。
——なるほど。
山口:「生き方を変える」っていうと、つい力を出して頑張る方向に考えがちじゃないですか。でも、僕の場合はどちらかというと自分を許すとか、言いたいことを言うとか、肩の荷を降ろすとか、気楽に生きるとか……。そういう意味での変化ってすごく大事なんだという結論に至ったんですよね。もっと自分を出していいな、みたいな。
(聞き手・構成/餅井アンナ)
<引用終了>