昨日の真夜中(正確にはきょうの2時前)に、この漫画を見て一人で笑ってしまいました。
最後の場面が可笑しくて(笑)
小沢氏が「オロオロ」して犬も小鳥も汗をかいている場面がなんとも笑えます。
そんなに可笑しいのは、私には両方の気持ちが分かるからです。
小沢氏は70歳という年齢もあって、ITは苦手だというのは良く理解できます。
いえ、小沢氏に限らず政界ではIT音痴がゴロゴロしているようです。
私の支持するK氏だって、とっても良いことをおっしゃるけれど発信力が今の時代では負けてしまいます。
今の時代なら政治を目指す人間は、自分の考えを伝える手段は最新にするべきだと思うし、そうしていないことがむしろ驚きでもあるのですが、苦手なものは苦手なんですよねぇ(笑)
私だって自慢じゃないけどIT音痴ですが、必要最小限メールのやりとりとTwitterとFacebookとこうしてブログをMacとiPhoneでこなしています。
目と手があれば出来るんです。
さすがに今回の選挙結果をみて小沢氏は決心をしたのでしょうか?
生活の党の新年会のあと、小沢氏がTwitterを始めるらしいとの噂がTwitterやブログで流れ始めました。
そして先の漫画だったので、あ、あれは本当だったんだなと思ったわけです。
ところで小沢家の家訓が「お天道様は見てる」というのはご存知のかたも多いと思うのですが、私も小さい時から父母にそのように言われて育ちました。
たとえばこのかたと同じような感じです。
そしてその精神は今も揺らぐことがありません。
そういえば昨年末のNHK紅白歌合戦で、美輪明宏さんのヨイトマケの唄が大反響を呼んでいるそうです。” frameborder=”0″ allow=”accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture” allowfullscreen>
彼はこの歌に登場する少年の母親が、まさに「お天道様は見てる」ことを行動で子供に教えていたことに感動したのでしょう。
それが美輪さんの気骨ある人生につながったのだとも想像できます。
ある意味で昔は多くの人がそんな気持ちで生きていたような気がします。
つまり正直に生きることが暗黙の了解であり、最後はそのように生きたものが報われると信じていたのでしょう。
そして世の中は本来そうあるべきでした。
私は思います。
それは精神論であって世の中に出てみると、ずるい人や要領のよい人が得をしている現実をいっぱい見てきました。
会社勤めの身であっても、それは理不尽な思いをしたり心が曇ってしまうことはいっぱいあって、そのたびに私の生き方の理想は修正を余儀なくされたのでした。
それでも私はなお思います。
自分の気持ちを曲げてまでお金を手にしたり、地位を望んだり、達成するべき目的を持たない私は、自分の気持ちに正直に生きよう。
それが一番落ち着くから。そして正々堂々としていられるから。
今もその延長線上で生きています。
しかしこの生き方は今の若者にとっては魅力のない生き方になるのでしょうかね。
もっと要領よく、もっと上手に立ちまわることが勝ち組のように思えるのでしょう。
しかし勝ち組って目に見えないところで負けて(失って)いるものがあるんですよね。
そこに想いを馳せると「お天道様は見てる」は正論です。
性急に答えを求めない生き方ができればそれが一番いいです。
ところが小沢氏になると事情が異なります。
「お天道様は見てる」は精神論として、現実的には選挙に勝つだけの票を獲得しなければ何も実現できないのです。
そのためには日本国民の民度の低さを嘆くより、その低い民度の目線に合わせた行動を取らなければ支持は増えないと思うのです。
その目線をうまく利用したのが小泉総理でした。
小泉総理の政策は最低でしたが、民度の操作は小沢氏も敵いません。
何かを達成しようと思ったら、自分が納得することだけでなく、相手の民度に合わせる方が達成度は上がるでしょう。
問題は自分の魂がどこまでそれを受け容れられるかです。
自分を変えることがイコール魂までも売り飛ばすわけでなければ、それは変化した方が良いと思います。
その変化の一つとして小沢氏はTwitterを意識したのかもしれません。
変化に関してつくづく思うことがあります。
それは一人ではかなり限界があるということです。
良きブレーン、良きアドバイザーがいてこそ有意義な変化が可能になります。
冷静に容赦なく評価してくれる第三者の存在。
それこそが成功の鍵を握ります。
ふと自分に目を転じれば、幸いにして私にはそのような人がまわりに存在します。
真摯にまっさらな気持ちでアドバイスを受け容れて、これからも日々成長して行きたいと思うのでした。
(京都府立植物園にて)