時代とともに言葉は変化し、死語になっていくこともある。
私も長い間ブログを書いてきて、この表現は古いかな?と思ったり、お若い人には通じないかな?と思ったりすることがある。
一番困るのは漢字だ。
私が中学生のときには、旧字体の漢字が混じった文学作品を読んでいたが、高校生になると新聞部でひたすら当用漢字内の文章を書くようになった。
今は言葉も漢字もなるべく今の時代に合わせようと思っているが、合わせると鳥肌が立つようなケースがあるのは、年齢のせいなんだろうと思う。
昨日、ある動画を観ていたら、日本保守党の有本香事務総長が「耳障りの良い言葉」について語っていた。
「耳障りがいい」というのは間違いで、正しくは「耳聞こえがいい」と言うのだと。
同感!
さすが、編集者さんだけあると思った。
そもそも「耳障り」というのは、文字の意味からいっても、「障」が良い意味でないことは当然だ。
だから、「耳障り」のあとには否定の意味がつながるのである。
しかし、最近は良い意味の言葉がつながっても許されるような感じだ。
2つの記事をご紹介しよう。
①NHK放送文化研究所 耳ざわりのいい音は誤用では?
②毎日ことば 「耳ざわりがよい」
時代とともに言葉の使われ方が変わってきて、広辞苑に「耳触り」として項目を立てたということだ。
あと何十年か経ったら、「耳ざわりが良い」は会話で普通に使われているかもしれないが、書き言葉としては疑問に思ってしまう私である。
ちなみに、私のブログではこんな感じで使われている。
「みんなを笑顔にさせるすごい力 子どもの存在っていいですねぇ」2018.8.4