人は誰しも易きに流れがちですから、迷った時には困難な方を選ぶなんて言っても、なかなか受け入れてもらえないことは百も承知です。
でも、私は経験上、困難な方を選ぶ生き方の方が間違いなく人を成長させると言い切れます。
私は最初から困難な方を意識して選んで生きてきたわけではないのですが、ふと自分の生きてきた道を振り返ってみると、面白いほど困難な道が多かったです。
でも、それとて誰に教えられたわけでもなく、自分の気が済むように判断して決めた結果でした。
では、なぜそんな生き方をするようになったかと言うと、それは間違いなく親の生き方そのものでした。
私の両親は人生訓なんてひと言も子供に押し付けませんでしたが、なんとなく親の背中を見て感じ取った生き方なのだと思います。
両親とも生真面目に生きて、人生の良いお手本を示してくれました。
何年も前に父親の葬儀のあとで、子供たちで父親の話をしていたら、やはり全員が父親の気迫ある生き方に少しでも応えようと思っていたことが分かりました。
そんな話は大人になってから初めて交わすことになったのですが、4人の子供たちの魂レベルで父親の生き方はそのまま引き継がれていたようです。
父はシベリア抑留も含めて、13年間も戦地で死と隣合わせだったために、独特の強さを持っていました。
それは肉体と精神の強さであり、器用な手先から生まれる道具の数々は、工夫や粘り強さの表れでした。
だから私たち兄弟は、そんなふうに生きて行くのが当たり前だと思っていたのです。
寡黙な父は戦争の話も生き方の話もしませんでしたが、父の背中と手先は雄弁に物語っていました。
今はいかにして楽をするか、あるいはいかに簡単に済ませるかなど、安易な方に流れる生き方が主流になっています。
しかし、その結果どうなっているのかというと、限界を感じたり、不安になったり、今ひとつ満たされない思いを持っていたりする人が多いですね。
それらの人たちに共通のこと。
それはツールを求めすぎているということです。
便利なツールが次から次へと登場しますが、お料理でもそれを追い求めているとしたら、それはちょっと違いますね。
お料理の出来ない人の多くは、お料理をする回数が圧倒的に少ないことが一番の原因です。
お料理が上手になるツールを求めるのなら、まずはちゃんとしたお料理を食べることから始まります。
そして、コツコツと回数を重ねていくうちに、発見や工夫が生まれてきて、あえていうならそれがツールとも言えます。
結論として、「これさえあればお料理が上手になる!」というツールはありません。
でも、いつも手抜きせず真剣に生きていれば、底辺でつながるものがあって、自然に底上げされた生き方になって行きます。
私は父からそんな生き方を自然に学んだのだと思います。
その結果、気がついたらいつも困難な方を選んでいたということです。
でもね、そんな生き方はつらいというより、むしろ学びが多いといえます。
深い経験は質の高い満足をもたらしてくれます。
陰陽ですよねぇ。
あなたはどちらを選びますか?
(京料理人 中川善博の手)
この「ねじ梅」を作るには、桂むきの技術が身についていることが必要です。
指に刻まれたシワの1本1本は、困難な方を選んだ結果の技術が彫り込まれています。