今では見知らぬ人から精子の提供を受けてまで子供を産みたい人がいるそうですね。
私から見たらまだまだ若いと思うのに、インターネットで精子提供を受けるのだとか・・・。
なぜ、そうまでして子供を産みたいのか?
子供は女性にとって必須なのか?
子供が欲しいのに子供が出来ない女性もいます。
反対に子供を望んでいないのに妊娠してしまう女性もいます。
私は子供のことはあまり「何が何でも」と思わない方が良いと思っています。
「命」に対して人間はもっと敬虔になるべきだと思うからです。
昔は「嫁して三年 子なきは去る」と言われたようですが、今の時代はよほどのことがない限り子供がいないことで嫁ぎ先から追い出されることはありません。
子供は「授かりもの」として受け入れる方が自然な気がします。
ただし、機能的障害がない場合は、マクロビオティックの陰陽を取り入れたお食事で妊娠するケースもありますので、お食事を見直すことも試されたら良いと思います。
もちろん、冷えは大敵です。
医療技術に頼るだけでなく、食べ物を主体として体を立て直すことも検討されたら良いでしょう。
食べ物の力はあなどれません。
次のような記事がありました。
1本にまとめたため長くなりますが引用させていただきます。
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「40代後半でも妊娠できる」は本当か? 超高齢出産に希望を託す女性たちに産婦人科医が警鐘
「40代後半でも妊娠できる」は本当か?
厚生労働省の「人口動態統計」に記載された初産平均年齢が、統計開始後初めて30歳を超え「30.1歳」になった。最近では30代の妊婦はまったく珍しいものではなく、40代・50代で出産する著名人もチラホラと報道されている。2013年にラジオパーソナリティの坂上みきが53歳で出産、2011年に野田聖子議員が52歳で出産したことは記憶に新しい。
その一方で、「本人の努力次第で、超高齢妊娠・出産も可能になる」と希望を持つ女性に警鐘を鳴らすのが、オーストラリアのウェブサイト『マンマ・ミーア』に掲載された記事
「このセレブは49歳で出産したけれど、あなたもできるとは限らない」だ。アメリカセレブの超高齢出産事情を探ってみよう。
●相次ぐセレブの超高齢出産は、自然妊娠ではない?
(以下、抜粋して翻訳)
アメリカの女優、ローラ・リニーが出産したというニュースが飛び込んできた。45歳の時に結婚した夫との間に、49歳で第一子を出産。他にも、2013年にはハル・ベリーが47歳で、ジョン・トラボルタの妻ケリー・プレストンが48歳で出産している。さらに、スーザン・サランドンやマーシャ・デイビスなど、40代後半で出産したセレブリティは数え上げればきりがない。
相次ぐセレブの超高齢出産に対し、ビバリーヒルズの医師は「外見が美しいセレブリティは、私たちとは違う、というわけではないのです。子宮や卵子も年を取ります。相応な加齢を重ねた子宮と卵子により、40代後半で自然妊娠する確率は極めて低い」という。
●「体外受精でも45歳以上での成功例に出会ったことがない」
「母体が加齢すれば、卵子も同じように加齢します。卵子の加齢は妊娠率を低下させる上、流産の確率や染色体異常の確率が顕著に高くなります」と語るのは、ブリスベンの産婦人科医、ブラッド・ロビンソン。体外受精でも年齢が大きな壁なのだという。
「もしも雑誌に掲載された『セレブリティの妊娠のニュース』と同じように、妊娠できなかった女性たちの記事を掲載するとしたら、イエローページの厚さになるでしょう。有名人の奇跡の妊娠は、女性にとんでもない期待を与えてしまっている。実のところ、体外受精であっても、45歳以上での成功例に私は出会ったことはない」とオーストラリアのリック・ポーター医師は語る。
●40代後半の妊娠は、卵子提供を受けている可能性が高い
「だからといって、解決策がないわけではない。体外受精では、卵子が一番の問題なのです。45歳の女性が自分の卵子を使って体外受精した場合、着床率は3%を切る。しかしもしも健康で若いドナーの卵子を使用した場合、(10倍以上の)40%に跳ね上がるのです」(ポーター医師)
40代終盤といえば、一般の女性たちが閉経を迎えるころ。同年齢で出産しているセレブリティたちは、やはり卵子提供を受けている可能性が高いと推測できる。
セレブリティであろうとも、妊娠・出産という個人的な出来事の詳細を伝える義務はない。しかし、妊娠を望む女性が、彼女たちがどんな方法で妊娠したのかを正しく把握しないままでは、現実的なタイムリミットを見誤ってしまう可能性がある。体外受精と卵子提供が可能な環境があっての超高齢出産なのだ。
(文=Yuka TAKAHASHI)
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命をコントロールしてまで、女は幸せになるべきか? 医師の私が不妊治療をやめた理由
不妊治療を受ける女性が急増している昨今。とはいえ、いざ治療を始めてみると、女性の心身への負担、そして経済的な負担は予想以上に大きく、決して容易な道ではありません。この多大な労力は、はたして報われるのか。ここまで無理をして、「命」をコントロールすべきなのか——。そんな思いや考えと向き合いながら不妊治療に取り組み、そして最終的に治療をやめる決断をした、ある女性医師Mさん(35歳)のお話を伺ってきました。
●「子供のいる家族像しか想像できない」と夫に言われ
彼女が不妊治療を始めたのは、32歳のころ。結婚3年目のことでした。
「女性として生まれたからには子どもは欲しいと思っていたし、夫も子どものいる家族像しか思い描けないと言っていました」
しかし、専門外とはいえ医者という職業柄、なんとなく「自分の妊娠機能は弱いかもしれない(高温期が短い)」という自覚があった。そこでMさんは、ある日誰にも相談せず「不妊検査に行ってみよう」と決断します。その後、夫婦ともに検査を受けることになリますが、その病院では「双方に不妊の原因となるあきらかな異常はない」と言われ、一般的なタイミング療法を行うことに。異常がないと言いつつも、詳しい説明がないまま最初の治療(ホルモン注射)が開始したそうです。
そのころのMさんは、深夜も土日もないほどの激務でした。かつ、その産婦人科の治療スタイルに疑問を感じる部分も多かったため、3ヶ月ほどでフェードアウト。しかしながら、「この勤務状況では、治療は絶対にできない」と気づくきっかけにはなったため、しばらくして負担の少ない役職へ異動。その後、別のクリニックにて信頼できる女性医師に巡り会い、2度目の本格的な治療に取り組むようになりました。
●度重なる困難に、「もう治療をやめよう」
不妊治療は、患者の反応や結果を見ながら、「(A)タイミング法→(B)人工授精→(C)体外受精(顕微受精など)」という順番で進めていくのが一般的。2度目の病院では、しっかり説明を受けたうえで、まずは(A)タイミング療法を半年近く行ったところ、その過程でMさんの卵巣機能が低いことがわかってきたそうです。ホルモン注射の反応が悪い、卵子がたくさん育たない、卵管が狭い、卵管采のピックアップ障害……等々の可能性も出てきたため、(B)の人工授精を飛ばして、(C)の体外受精へステップアップ。ホルモン注射を打ち、よい卵子が育てば、卵子を採り顕微鏡での受精を行ないます。しかしその過程には、卵子がうまく育ってこない、採取前に排卵が起こってしまう、うまく卵細胞が分割していかない、子宮にうまく着床しない……といった困難が待ち受けます。2年間強の治療期間のなかで、実際に顕微授精にまで持ち込めたのは、3回きり。その3回目の顕微授精がうまくいかず、その後2回続けて採卵に持ち込めなかったときに、彼女は「もう治療はやめよう」という決断をします。
●医師だからこそ「治療に100%はない」という葛藤
なぜ、治療をやめたのか。それは「治療に“100%”はない」という、医師ならではの倫理観も影響していたそうです。熱心に治療を受けながらも、同時に「成果が出なかったときにどうするか」を冷静に考えてしまう。好きな仕事をセーブし、治療のために残りの30代すべてを捧げて、結果が出なかったとき、自分は人生を後悔しないのか? 彼女の答えは「きっと後悔してしまう」でした。
もともと、自然の摂理に逆らうまでの強引な医療に対しては、疑問を感じていたMさん。結果が出ず、Mさんは担当医のやり方を批判するような同僚の意見にも、「そもそも人間がコントロールできる部分じゃないから、仕方がないよ」と説得している自分に気付きます。
「私は心からこの治療に納得しているのか?」
「最終的に治療の成果が出なかったとき、私は何もない自分になるのではないか?」
治療のために仕事をセーブし、時間の余裕ができたことも、彼女の考えを大きく変えていきます。以前から興味があった「終末期医療」や「死生学」のセミナーに参加したり、週に一度、訪問医療を手伝ったりするうちに、誰にも等しく訪れる「死」から限りある「生」の時間、そして「人の力ででき得ることの限界」を見つめ直すようになり、「私の人生で一番大切なものは、子どもなのだろうか」「子どものいない人生が自分には与えられているのかも」「治療を受けてもなかなか授からない命がある。自分がこの世に生を受けて生まれていることは、本当にすごい奇跡なのだな」「自分が生きている間に、何か他にできることはないのだろうか?」などと考え始めます。
次第に、妊娠力の弱い自分の身体もありのまま受け入れてみよう、この現実を上手に心で“消化”していきたい……と感じるように。子どもを持てる可能性が少なくなったとしても、不妊治療はやめて、自然の流れに任せよう、と思うに至ったそうです。
●治療経験が後押ししてくれた「人生の転機」
治療の2年間を経て、彼女はもう1つ大きな決断をします。それは「今の病院を辞めて、ずっと興味があった『終末期医療』にしっかり取り組んでみよう!」ということ。
「人生は本当に一度きりなのだから」
皮肉にも、不妊治療の経験が進路変更をする不安や迷いをぐっと後押してくれたそうです。医師になって10年目の、大きな決断でした。再出発に選んだのは、四国にあるクリニック。早くから終末期の患者への訪問医療に、熱意と信念を持って取り組んでいたクリニックです。
「実際に病院を見てピンと来たら、ここで修行をさせてもらおう」
訪問してすぐに、彼女は「ここで働きたい!」と決意。2年間、単身赴任をしてそこでノウハウを得る。その後、関西の夫のもとに戻って訪問医療のクリニックを開業したい―。そんな夢を描くようになりました。ここまでが、彼女の不妊治療前後のストーリー。後編では、夫や家族の反応、お金の問題や予想以上に辛かった点など、不妊治療を取り巻く環境についてご紹介します。
(文・取材=外山ゆひら)
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成功率3割、1回50万円の負担、予定を立てられない生活 不妊治療は女性を幸せにするのか?
●保険適用外、1回40〜50万円を自己負担して臨んだ不妊治療
不妊治療を始めると、心に余裕がなくなりうつになったり、人と会う気力がなくなったり(特に子どものいる友人に会えなくなる)、という女性も決して珍しくはありません。治療に対する温度差から、心の距離ができてしまう夫婦もいるなかで、旦那様も協力的だったし、基本的には前向きな性格のMさん。大きな問題は起きなかったものの、やはり余裕のない時期もあったそうです。「そういえば……」と話してくれたのが、治療期間中、夫にキレてしまった、という話。初回の体外受精がうまくいかなかった日、その結果報告を聞いてあからさまに落ち込む夫の様子を見て、「私のほうが落ち込んでいるわよ! 少しはいたわってよ!」と感情を荒げてしまったそうです。
「今思えば、夫も同じくらいのモチベーションでいてくれた、ということなのですが」と笑顔で語りつつも、このときのMさんには「私は自力で頑張っている」という思いもあったのかもしれません。もともと、夫妻は完全に“別財布”のスタイルを取っていたそうですが、Mさんは「自分の妊娠機能に原因があったから」という理由で、不妊治療費をすべて自己負担していました。タイミング法、人工授精の一部には保険が効きますが、Mさんがメインで行っていた体外受精は保険適用外。そのため、1回に40〜50万という多額の費用が必要でした。
Mさんは利用できなかったそうですが、治療費用の公的なサポートとしては、「特定不妊治療費助成制度」というものがあります。多くの自治体が行っており、1回の補助費は15万円、通算5年度まで、かつ計10回まで支給(初年度のみ3回まで支給)、そして合算年収が730万円未満の夫婦のみ、などの条件付きです。この制度を利用し、「補助が受けられる年に2回だけ治療を行う」という夫婦もいるそうですが、本来、できるだけ治療は急ぎたいこと、毎月の生理周期ごとにトライが可能な現実を考えれば、決して十分な補助とは言えないでしょう。とはいえ、誰もが受ける治療ではなく、病気でもないことを考えると、保険適用にすべきか否かについては様々な意見があるかと思います。
●「夫はきっと分かってくれる!」 自分史を書いて説得
Mさんが「不妊治療をやめる」「単身赴任をして働きたい」と決意したとき、理解がある夫とはいえど、さすがに説得は一筋縄ではいかないだろう、と考えたMさん。そこで夫へのプレゼン資料として、「自分史」を作り始めます。私はこういう人間で、こういう経緯があって医者になって、今はこう思うようになっている、だからこうしたいんだ――。
しかし、この資料を書き上げる前に、旦那様は条件付きの賛成をしてくれたそうです。その上、同居の義母にも(もともと理解のある方だったそうですが)話をつけてくれたそうです。「もし家族に反対されたら、どうするつもりだったの?」と多くの友人に聞かれたそうですが、心のどこかで、「きっと夫はわかってくれる」と信じていたそうです。
「今までも、私のことを応援してくれたから」
夫婦の絆を感じる言葉でした。
●身体と心の疲弊…「未経験の激痛」「担当医のプレッシャー」
治療に関して、想像以上に辛かったこと、大変だったことを尋ねたところ、Mさんは「未経験の痛み」「公私ともにすべての予定が立てられないこと」「予定が変わったときの調整や、周囲への気遣い」という3点を挙げてくれました。痛みには個人差があり、生理痛のひどい程度、という人もいるそうですが、卵管の狭かったMさんにとっては、非常な激痛だったそうです。予定については、排卵のタイミングはなかなか読めないため、前日の夜に「では明日来てください」となることも多く、仕事でもプライベートでも確実な予定を入れられない。そのため、謝罪や代わりの人の調整などに非常に気を遣い、疲弊した……とのことでした。
また、「担当医との関係は良好だったか」という質問に対しては、「ひどく傷ついた経験が一度だけあった」ということでした。成果が出ず、「しばらく治療を休みたい」と申し出たMさんに、担当医は「そんな悠長なこと言っていられないわよ!」と厳しい一言。「自分の妊娠機能からして猶予がないことはわかっている、でも落ち込んでいるとき、その事実を他人から突きつけられるのは辛かった……」と、Mさん。「今となっては、あの言葉は『諦めてはダメよ!がんばりなさい!』という激励だった気がしますが」と笑顔で語ってくれましたが、そう思えるようになったのは、その医師がその後ずっと親身にMさんと向き合い続けてくれたからだそうです。
●これから治療を受ける人へ 3つのアドバイス
最後に、治療中の人や、これから治療を受ける人に対してMさんにアドバイスをもとめると、 (1)長く続けたいなら深刻に考えすぎず、(2)納得できるところまでのトライでいい、(3)雑音(周囲の意見)は気にしないこと、を挙げてくれました。治療を始めると、様々なノイズが耳に入ってきて、「自分にはこの治療法でいいのか?」「この病院でいいのか?」と非常に迷いやすくなる。医師の彼女でさえも、インターネットやブログなどを盛んに閲覧したそうです。有意義な情報もあったし、治療中の方のブログなどは参考になったと語りましたが、基本は「病院を代えてもいいので、まずは自分が信頼できると思える医師を見つけ、その人と一緒に頑張っていくことが大切では」とのことでした。
しかしながら、ひとりの担当医がすべての治療を看られる病院はまれなので、「医師間での報告、病院内での方針統一がしっかりできている、そして効率のいい医師交代システムを作っている病院を選ぶといいかもしれません」というアドバイスもいただきました。
●女の幸せを、どう考えるか
不妊は、女性の社会進出と切っても切れない問題。年齢が高くなれば誰でも不妊になる、ということはありませんが、不妊の確率が高くなっていくのは事実です。Mさんも、「20代中盤くらいの、仕事を頑張りたい時期と、妊娠出産がスムーズにできやすい年齢がバッチリかぶっているのは大きな問題だと思う」と語っていました。こうなってくると、極論ですが、「キャリアを始める前に産んだほうがいいのではないか?」という考えさえ頭をよぎります。無論、産みっぱなしにはできませんので、協力してくれる人員や環境は、どちらにしても必須ですが。
ポジティブでやりがいのある希望の職業に就いている彼女でも、「女として、自分は欠陥品なのかと落ち込んだ」という治療の日々。社会からは「労働力」として期待され、一方で「少子化解消」の役割も期待され、そして常に「女の幸せ」が見えない空気としてのしかかる。現代女性が背負っているものの大きさに、改めて考えさせられた取材でした。
不妊治療の一般的な成功率は、およそ3割程度。子どもがほしいけどできにくい、とわかったとき。この確率の低い、決して楽ではない選択に、あなたならトライしたいと思いますか?
(文・取材=外山ゆひら)
(はるか)