京都に部屋を借りるにあたって家具選びが伴うのですが、今の私はまるで家事アドバイスを受けてくださった塾生さんのように、家具屋さんやショールームやデパート巡りをしています。
万歩計をつけていたら何万歩になるのだろうと思うくらい歩くのですが、それもまた楽しいです。
家具というのは機能性だけでなく、質感も大事な要素になるので、選定がとても難しいものです。
今回家具選びをしていて感じたのは、質の良い家具がとても少なくなったことと、お値段の落差が激しすぎることですね。
私はまず質感から入って行きますので、最終的にはオーダーになることが多いのですが、昔のように家具選びの自由度があったのは古き良き時代の話です。
ちなみに私が自宅で使っている家具の材質は、もう入手が少なくて「100年待ってください」と言われてしまいました。
樹を切りすぎて生育が間に合わないのだそうです。
そんな状態ですから、自宅に帰ってみるとなお一層家具を大事にしようと思えたのはいうまでもありません。
樹というのは人間より寿命が長いものが多いので、そこには相当なエネルギーを内在しています。
マクロビオティックを知る者としては、やはりエネルギーの問題は避けられないので、氣のある物とない物では、絶対氣のある物に軍配が上がります。
肘付き椅子ならアーム部分、机やテーブルなら天板部分に直接手が触れるので、その部分の材質は吟味が必要です。
そんな目で見ていると、北欧家具には良質の物が多いですね。
中にはエクスタシーを感じてしまうほどのデザインや質感を持つものもあります。
指の腹でアーチ部分をやさしく撫でると、まるで女性の体に触れているようで、とろけるような快感が伝わって来ます。
(まるで私が男性のような表現ですが、本当にそんな感じになるのです。)
家具には作り方によってそれほどの魅力が含まれているので、いかにその樹の魅力を引き出してあげられるかが家具職人の腕なのだと思います。
よくデザイナーものの家具がありますが、デザインが優先されていて樹の良さが今一つ発揮できていない時には残念な気持ちになります。
樹の本当の個性(癖を含む)まで見抜けないと、デザインだけが一人歩きすることになります。
そういう家具は耐久性の面で樹の持つ力を全部発揮出来ないことになりますね。
一番良いのは「樹の特質を見抜ける眼力を持った腕の良い人が作った家具」ということになります。
私が死んでも家具は残ります。
子供が使いたいと思えば使えます。
ですからヨーロッパでは古い家具や絨毯が大事に世代を越えて受け継がれて行きますし、古い家具がデパートにも並んでいるほどです。
そんな家具ですが、このご時世ではご多分にもれず中国製も多く出回っています。
今すぐ使いたいと思えば、中国製家具がその需要に応えてくれるでしょう。
値段も安価です。
国産品はかなり時間がかかることを覚悟しなければなりません。
3〜4週間は当たり前、場合によっては2か月待ちなんてことにもなります。
ま、そんな感じで家具選びをしているとお金が足りなくなるので、自分のお財布と相談して妥協点を探すのですが、これがまた一苦労です(泣)
(京都 宝泉にて)