こころ・想い」カテゴリーアーカイブ

「コロナ」から日常生活を取り戻す

テレビを観る時間があったら、この本を読んでみましょう。

「コロナ」から日常生活を取り戻すという特集が組まれていて、とても参考になります。
1ヵ月ほど前に買っておきながら、時間がなくて読めなかったのです。

私はいつも本を読む時、その問題に対する自分なりの結論を出しておいて、それの裏付けがないかなあと思いながら目を通します。
そういう視点で読むと、納得しながら安心できるので、迷いもなくなります。

今回の新型コロナウイルスは、指定感染症に指定されるのが割と早かったのですが、その時に「2類に指定されてしまうと厄介なんだが・・・」という意見がありました。
そして、そのとおり今厄介なことになっています。

経済との関係もありますが、新型コロナのことがだいぶ分かってきた今となっては、むしろ指定感染症を解除した方が、医療機関も私たちも日常を取り戻せると思っていましたが、そのことがこの本に書かれています。
「医療現場からの直言」として、決してテレビでは流せない本当の事情も書かれていて勉強になります。68P〜

 
 

次に、ソーシャルディスタンスついての記事が面白いです。46P〜
これも普通の人間の本能として「おかしいぞ」と思ってきたことですが、これを読んで納得です。
心理的ストレスの影響がすでに出ているし、肉体面でも影響が出ている人が増えているそうです。
Twitterでもそういうつぶやきが多く見られます。

人間はやっぱり接触しながら安心する生き物のようです(^o^)
離れてよいことはめったにありませんね。
これは陰陽が逆になってしまうのだから、当然のことですが。
マクロビオティックの基本である陰陽の特徴を知っていたら、それだけでも納得できる内容です。

ネットも便利ですが、やはり本の良さは格別です。
ネットの陰性に比べて、本は陽性なので、そんな陰陽も考えると楽しいですね。

 
 

「コロナ」から日常生活を取り戻す

 
 

 
 
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父の背中

本当はきのう、「きょうは特別な日 父の涙」の記事に書きたかったことなのですが、やはり父の涙は別格のものだから、別記事にしようと思ったことをこれから書きます。

私には二人の姉と一人の兄がいるのですが、その三人は昭和10年代の生まれです。
姉や兄たちは、父が何年かおきにちょっとだけ帰って来た時に妊娠した子どもです。
お腹が大きくなってきた頃、父は招集されて行くのでした。
兄は父が満州にいる時に生まれたそうで、父が帰国した時にはもう5歳になっていたのだとか。
私だけが妊娠から出産まで、そして、ずーっと父がいる中で育ててもらいました。

父はとても子煩悩だったので、小さい時はいつも私を膝の中に抱えてご飯を食べさせてくれました。
おんぶされていたのも、母ではなく父の背中でした。
父の背中で見た夕焼けの美しさを、なぜか覚えています。

母は私を産む前から体調が悪かったのですが、「うちには男の子が一人しかいないから、もしまた戦争が始まったら跡取りがいないことになってしまう。」と言って、お医者さんが反対するのに、頑張って私を産んだのだそうです。
それなのに産んでみたら女の子だったわけで、人生って思うようにならないものです。
でも、その後戦争もなく、父も母も95歳まで生きてくれたので、安心して逝ってくれたと思います。

母は父のいない中で出産をして、子どもたちを育てている間に肋膜を患っていたそうで、床に伏せながらの子育ては本当につらかっただろうと思います。
終戦になったといっても父は帰ってこないし、死んだ知らせも来ない生活は、私には想像の出来ないつらさだったことでしょう。

昭和23年、やっと父がシベリアから帰って来ました。
しかし、駅に迎えに行ってくれた父の兄は、自分の弟がどこにいるのか分かりません。
父の方がお兄さんを見つけて、「兄さん、俺だよ」と言ったそうです。

父は、極度の栄養失調から歯はすべて抜け落ち、ガリガリに痩せて、実のお兄さんでも弟だと思えないくらい別人になっていたのだとか。
文字どおり、命だけ持って帰ってきた父なのでした。

 
 

父も母も戦争当時のことは、あまり多くを語りませんでした。
きっとつらすぎて、思い出すのもいやなのでしょう。
いや、もしかしたら、そんなことを語る暇もなかったのかもしれません。
とにかく働き者の夫婦でした。

正直を絵に描いたような夫婦なので、要領よく生きることも出来ず、ただひたすら汗を流して働いていました。
今のように、家族旅行が当たり前の時代ではありませんから、夏休みであっても旅行どころか、むしろ子どもたちは家業を手伝う重要な人手だったのです。

こうして私は、幼いときから働くのが当然と思って生きて来ました。
二足のわらじを履きながら働くのが当たり前の私でした。
そのまま今も働き続けています。
きっとこれからも、健康が許す限り働き続けることでしょう。

 
 

仕事ばかりしている両親をみても、私は寂しくありませんでした。
ちゃんと愛情は感じていたし、着るものも食べるものも母が手作りで用意してくれました。
その姿を見ながら、四人の兄弟は家事全般が得意になりましたし、兄は器用さも手伝って、素晴らしいアイデアで唸るような仕事をしてくれました。

とにかく、よく手仕事をする家族でした。
母も器用ですが、父の器用さは職人肌で、キチッと綺麗な仕事をするので、子ども心にうっとりと見惚れていたのを想い出します。
よく鋸の目立てをしていたり、大工道具を綺麗に手入れしていた姿が今も目に浮かびます。

まだ私が独身の頃、食事に誘われて兄が泊まっていた東京のホテルに行ったときのことです。
兄が父の想い出話をするのですが、私より6歳年上で男の視点から見た父の想い出は、私の知らない父の姿であって新鮮でした。

そして、兄もまた両親に満足をして、特に父親の背中を追いながら生きて来たというのです。
兄は他にやりたいこともあったでしょうが、父の生き様を見て「親父の気持ちの方が大事だ」と、22歳にして家業を継ぎました。

親父の気持ちと言っても、父は兄に何も言ったわけではありません。
とにかく寡黙で、働くのみの父でしたから。
きっと父は、戦争でいっぱい死んだ仲間たちのことを想うと、命があるだけで十分だと思っていたのでしょう。
だから、子どもたちにも何もいうことなく、背中だけ見せていたのだと思います。

 
 

父や母のお葬式で兄弟全員が集まった時にも、両親に感謝があるのみで、兄弟たちの仲が悪いわけでもなく、これだけで私はとんでもなく有り難いことだと思いました。

父の背中を中心に、母や兄弟が笑顔で生きてこられたこと。
そして、その子孫がまだ誰一人として亡くなっていないこと。
これも素晴らしいことだと思いました。

人間にとって、一番大事なものを両親からもらえて、私はなんて幸せなんでしょう。
あなたたちの子どもに生まれてよかった。
大変な中、産んでくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。

心からそんな気持ちになれます。
なんだか、涙がブワーッと溢れて来ました。

お盆だから。
そう思うことにしておきます(笑)

 
 
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きょうは特別な日 父の涙

【8月15日】

この国にとって8月15日は特別な日ですが、私にとっても特別な日なのです。

それは大好きな父が、黙祷を捧げながら必ず涙するからです。

父は満州からシベリアに連れて行かれ、昭和23年に帰国するまで、通算13年間の軍隊および捕虜生活を経験しています。
しかし、その経験を子どもたちの前で話すことは一切ありませんでした。

その父が、8月15日の正午になると、堪えていたものに絶えきれなくなるように涙を流すのです。
きっと死んでいった戦友たちのことを想っているのでしょう。

いや、もっと複雑な想いだったのかもしれませんが、本当の気持ちはわかりません。

 
 

【もう一つの涙】

そんな父の涙が、8月15日以外に1回だけありました。

それは私が成人になった日のこと。
成人式から帰宅して、着物を脱ごうとしたら、母から「待って!」と言われました。
父に着物姿を見せたいと言うのです。

外にでかけていた父は、母からの連絡で大急ぎで帰宅しました。
玄関の引き戸を開ける父の気配がしたかと思うと、急ぎ足で部屋に来てくれました。
そして、私の着物姿を見て涙をこぼしたのです。

それは8月15日の涙とはちがって、優しい愛に満ち溢れた涙でした。

「やっとおまえも成人になったか」。

寡黙な父はその一言しか口にしませんでしたが、その一言に私も泣き、母も泣きました。
「男のくせに泣くなんて」と母は言いながら、人生でたった一度だけ、3人で泣きました。

今も泣きながらこの記事を書いています。
一生忘れられない父の涙です。

 
 
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黒柳徹子さんに教わる、ずっと輝く秘訣「ピンと来たら素直にやってみて」

たまたまこういう記事に出会った。

黒柳徹子さんに教わる、ずっと輝く秘訣「ピンと来たら素直にやってみて」

2018年のGINGERの記事だが、黒柳徹子さんの発する言葉がよかったので、ちょっとご紹介。

 
 

“ステキ”なものは、いつだって好奇心を刺激してくれる

ユニセフの親善大使の活動をしていても、おしゃれをしていくと子どもたちの瞳がぱっと輝く
きれいなものは、気持ちを明るくしてくれたり、好奇心を刺激してくれると思うんです。

 
 

過労での入院を契機に好きなことをする決断

入院したとき、お医者様に『死ぬまで病気しないためにはどうすればいいですか?』と伺ったんです。
そうしたら、『私も長く医者をやっているけど、そういう質問は初めてだ』とおっしゃって(笑)。

でも、〝普通はできないけど、ひとつだけある。
それは好きなことをやって生きることだ〞と教えてくださったんです。
毎日遊んで暮らすということではなくて、自分が進んでやりたいと思う仕事をやれたなら、病気にならない。

『絶対やります!』とお答えして、退院したあと、自分で考えたんです。

若いときはお仕事を断るなんて大変なことなので、そこはマネージャーさんといろいろ相談して。
徐々に、自分が進んでやりたいと思うことのみやる、と変えてきたんです。

 
 

不思議な導きにピンと来たら、素直にやってみること

いい恋愛はしたほうが絶対いいなって思います。
無理して男の人を振り向かせようとするのではなくて。
本当の意味で、愛したり愛されたり、その人のことをずっと想ったり。
たとえその期間が短くても、その気持ちを一生のうちに一度でも味わうことができたら、それでいいんじゃないのって。
それがあれば、いくつになってもステキに生きていけると思うんです

30代はまだまだで、誰かに愛されないとか、好きな人に出会わなくても憂鬱(ゆううつ)になったり、悲しがったりする必要はないと思うんです。
たまたま、そういう人に会っていないだけの話であってね。
誰だって自分に合う人がどこかにいるのに、きっと会わなかっただけに違いない。
心配しなくてもいつか現れる。

人間には誰しも何か導いてくれる運命みたいなものがあるから、ピンと来たら素直にやってみたほうがいいなと思うんです。
あと、自分の長所をいっぱい知っておくこと。

せっかく生まれてきたんだから、自分の長所を大切にしてね。
自分で考えて、探して行動して。

そうしたらきっとステキなことがたくさん見つけられるはず。

 
 


(画像はこちらからお借りしました)

 
 

♪生き方の極意やヒントがいっぱい♪

黒柳さんは今年87歳だそうだ。
達観した生き方からほとばしる言葉の数々に頷ける部分が多い。
入院した時のお医者さんの話が的を得ていて、それを実行されてきたのがいいなと思った。
好きなことをやって生きる。
これこそ生き方の極意だと私も思っている。

そして、何かに導かれている運命のようなものにピンと来たら、素直にやってみることだとも言っている。
そうそう、これは本当に大事。
まずは素直に、そして次は行動あるのみ。
これが人生を変えていくきっかけになる。

 
 
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【感染を恐れない暮らし方 新型コロナからあなたと家族を守る医食住50の工夫】本間真二郎著

医の前に食があり、食の前に農があり、農の前に微生物がある」

いいですよね〜、この言葉。
これが現役医師の言葉なんですから、感動します!
特に発酵食品にまで言及しているところが凄いです。
こちらの記事から、ぜひその詳細をお読みください。

先生は「コロナは怖くない」、「本当に怖いのはコロナでなく、人の恐怖心」と言い続けています。

この先生の本を参考にして、新型コロナウイルスのことを必要以上に恐れないようにしましょう。

 
 

【感染を恐れない暮らし方 新型コロナからあなたと家族を守る医食住50の工夫】 本間真二郎著

 
 

 
 
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