先輩。
この有難き存在。
私にとってのマクロビオティックは、この大先輩を抜きには語れない。
そのマクロビオティックの大先輩が、桜沢先生の一文を50年以上反芻されたという文章を私に教えてくださった。
この奥深い内容。
ぜひとも多くの方と共有したくて、公表のお許しを得た。
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<気になる一文> (この題は大先輩がつけられた)
多くの人は「先ず金をためて、ハタラキ、ソレからユメの実現にかかろう」と言う。
「金がないから冒険はできない。
私には妻子がある」とも言う。
しかし、カレらは入用な金をためるのに大テイ一生かかっても間に合わないのが多いし、タマニ大きな金額をたくわえても、モー生物学的に、生理学的にモーロクして若い日のユメなんか忘れていたり、モー貪欲の化身、守銭奴になっていたり、ドロボーに殺されたり、子供や孫から親の莫大な財産のオカゲで病弱者になっていたり、次々に若い者が死んでいくのを見送るので身も心も疲れ果て、はじめて人生の意義を考え出したり、お寺参りを始めたりする。
モーおそ幕である。
人生はその日その日がユメの実現であり、自己の表現であり、イトナミであり、楽しみでなくてはならない。
山登りと同じで、はじめから目標がきまっていて、道を一歩一歩進んで一分一分、目的に近づくのでなければならない。
山登りの用意のために一生かけたのではタマラナイ。
つまり、日々のイトナミと一生の目的が一つでなくてはならない。
(桜沢如一主宰雑誌「コンパ」105?106号19?20頁より)
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大先輩とは桜が満開の日に初めてお目にかかった。
桜沢先生が桜を愛でる季節に引き合わせてくださったのだろうか。
粋なことをなさる。
そういえば、京都の桜沢先生のお墓参りをさせていただいた時にも、桜吹雪が舞っていた。
桜沢如一、大森英桜両先生にも桜の文字が。
私は桜に見守られているような気がする。
ありがたい。
◆こちらにも大先輩の記事があります。
・もったいない一日?その1?
・もったいない一日?その2?
・もったいない一日?その3?