記事にするのが遅れてしまいましたけれど、感動したことなので書かせていただきます。
スタートは美味しい玄米ご飯を炊くためだったのですが、今彼女は確かに新しいステージに上がりました。
「ほんまもんのマクロビオティック」がむそう塾にあります。
記事にするのが遅れてしまいましたけれど、感動したことなので書かせていただきます。
さっこさんの記事にポロッと涙が出てしまいました。
穏やかなお天気に恵まれて、母の四十九日の法要も無事済みました。
時間が経ってやっと、母がもういないんだなという実感が湧いてきました。
こうして実家に帰ってみると、思わぬ感情が顔をみせることがあります。
先月のお通夜のとき、こんなことがありました。
ひ孫達が集まって何やら作っています。
そばに行ってみると、「○○○おばあちゃん今までありがとう 2010 9 14」の文字を書き、模造紙いっぱいに桜の花びらを散りばめているところでした。
何をするのかと聞いたら、「明日おかんの中に入れるお布団を作っているんだよ」といいます。
それはそれは綺麗で満開の桜がみんなの笑顔に見えました。
この子ども達が母との間にこんなにもたくさんの笑顔の思い出があるのだろうなぁと思った私でした。
そして、その真剣なひ孫達の姿に、思わずじ〜んとしてしまいました。
母は幸せだったなと。
一番大きいひ孫から一番小さいひ孫まで、みんなが一つのテーブルを囲んで真剣に作業をする姿に、私は血の濃さだけで、あなたの娘ですと母に言えないなと思いました。
実際に娘であっても、中学校を卒業すると母から離れて、ちっとも親許に寄り付かなかった私だから。
兄の家族と二世帯住宅で暮らしていた母は、孫もひ孫も全部子守りして可愛がっていました。
学校から帰ると、「おばあちゃんただいま!」とランドセルのまま母の部屋で遊び、夕ご飯まで過ごしていたようです。
赤ん坊の時から濃密にかかわって来た分、きっと孫やひ孫が相当に可愛かったに違いありません。
長い月日を一緒に暮らした者同士だからこそ生まれる愛情があります。
これこそが愛の原点だと感じました。
血が繋がっているかどうかではなく、どれだけ一緒の時間を過ごせたかどうかだと思います。
だからこそ、「藁の上からの養子」という言葉があるんですよね。
まったくの他人であっても、共有できた時間が多ければ多いほど、その者達の関係は深まるものです。
これは夫婦にも恋人同士にも言えることです。
人の心は距離で左右されます。
私は何度これを体験したことでしょう。
理想も現実もすべては距離の影響を受けます。
まさにこれこそが陰と陽ですね。
マクロビオティックをかじる者として、うまく陰陽をコントロールして生きたいものだと改めて思いました。