紙袋の収納〜我が家の場合〜

 
 

これは我が家の収納スペースの扉です。
中は幅50センチ・奥行き44センチ・高さ207センチの狭い空間です。
最上段には電気の分電盤がドカンとあるので、その部分をふさぐことはできません。
何も棚のない空間だったので、その中に私が雑貨を利用して4段の棚を作りました。
紙袋はこんなふうに収納しています。
右側は典型的な縦長の袋。
左側はデザインに凝った横長の袋。

 
 

左側を別の角度から見るとこんな感じです。
すべて大きさ順に並べています。

 
 

この中で緑のこの袋は息子がずっとお気に入りだったので捨てずにとっておきました。
(息子はなぜか緑がお気に入り)

 
 

でも最近は黒が好きなので、今年は捨てられる運命になるでしょう。
こちらの紙袋ですが、これもそろそろ捨てて良いような感じになって来ました。
息子の関心事が変わったから(笑)
となると、我が家の紙袋の総枚数は5枚になります。
でも不自由は何もありません。
きっと一枚もなくてもそれはそれでやっていけるのだと思います。
だって紙袋は間に合わせの物ですから。


<注意>
独身の方なら大きさ違いで2枚もあれば充分です。
安易に紙袋ばかり使用するのは美しくありません。


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慈しみのある丁寧 

よく「丁寧に」という言葉を見聞きします。
語源由来辞典によると、昔、中国の軍隊で警戒や注意を知らせるために鳴らす金属製の楽器を「丁寧」といったそうです。
そこから、注意深くすることを「丁寧」と言うようになり、細かい点まで注意が行き届いていることや、礼儀正しく手厚いことも意味するようになったとか。
楽器のイメージは銅鑼(どら)のようで、兵士たちに確実に伝えるため、何度も念入りに叩いたことも「丁寧」には含まれているようです。
金属製の楽器なら当然のことながら傷がつきやすいでしょうから、その傷をつけないように扱うことに気を配ったに違いありません。
ですから今私たちが「丁寧に」と言って使っている言葉のイメージとかけ離れているところはないのですが、私はあえて上の意味に「慈しむ」というのを付け加えたいと思います。
掌で大切に撫でまわすかのような慈しみの気持ち。
そこには荒っぽさも無神経さもありません。
心地良い穏やかな世界です。
ところで「丁寧」というと「ゆっくり」だと勘違いする人がいます。
でも、丁寧はゆっくりだけではありません。
最初はゆっくりに感じることがあるかも知れませんが、本当の丁寧は「慈しみのある心地よいスピード」だと思います。
速くするべきところを遅くすると心地よくありません。
反対に速さはあっても慈しみがなければ心地よくありません。
対象に「慈悲の心」が持てるような行為と気持ち。
それが本来の「丁寧」なのではないかと思っています。
これはお料理をするときにも、お掃除をするときにも、誰かと話をするときにも、考え方や生き方にも影響します。
「慈しみのある丁寧」を手放さず、笑みを絶やさずに生きましょう。
【特にむそう塾幸せコースの皆さんへ】
「慈しみのある丁寧」。
これが身につけば桂剥きのレベルはグンと上がるはずです。
そして刻み方にも艶が出てくるはず。
あなたの手から良い氣が発せられることでしょう。



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桂剥きと刻み方


これは先日「包丁研ぎの個人レッスン」をした際に、中川さんが剥いた桂剥きです。
まるでシルクのような柔らかさです。
この時期はむそう塾恒例の桂剥き投稿がラストスパートに入っています。
この段階になっても庖丁の持ち方が間違っていたり、右親指の動かし方が間違っていたり、「ああ、時間がもったいなかったね?」という状態の人がいます。
正しく効率の良い練習方法をお伝えして、動画や写真でアドバイスしているのですが、個人の観察力が結果を左右します。
何度もお手本の動画と自分の動画を確認して、指や腕の細部まで観察し直してくださいね。
Kaさんの動画をもう一度掲載しておきます。 
ダブルクリックすると画面が大きくなるので、臨場感たっぷりになります。
剥かれていく大根の音を、ぜひ静かな環境でお聴きください。
なお、手の動きばかりに気を取られるのではなく、大根から上に出ている庖丁の部分も観察してみてください。
大きく上下しているのが判りますね。
これが右手で剥かない証拠です。
まるで土の中から筍が生えて来るのを早送りしたかのように、にゅ?っと庖丁が上がって来ます。
この時同時に左指と左手首をぐ?っと回して大根を庖丁の刃先に送ってあげるのです。
人間の目は錯覚をすることがあります。
例えば川岸に立って流れる水を見つめていると、その流れる水のスピードで自分が動いているような錯覚に陥ります。
また橋の上から眼下の流れる水を見つめていると、まるで自分が橋ごと川上に向かって動いているかのような感じになります。
ですから、剥き進む右手と剥かれゆく大根ばかりを見ていると、まるで右手で剥き進んでいるように錯覚してしまうのです。
でも桂剥きの原理は上に書いたように、庖丁を上げるときに大根を送ることに尽きます。
それらが上手くいかない時に考えられる理由を、桂剥き投稿で細かく指摘していますので、あとはその指摘を忠実に具現化するのみです。
*   *   *
剥くことはある程度上手に剥けるようになって来たのに、刻みの段階でつまづいている人がいます。
普段の詰めの甘さが露呈して来るんですね。
これはもう性格そのものが表れて来る感じです。
荒っぽさ、アバウトさなど、繊細さとは対極の性格ですね。
一つひとつの物事に丁寧に生きて来なかったツケがここに集約されたかのような感じがします。
性格を攻撃するような書き方で申し訳ないのですが、まさにそこを直さなければ綺麗な刻みは実現出来ないので、あえて書かせていただきました。
刻むことの技術的な参考にしていただきたいのが次の写真です。
これも庖丁研ぎの個人レッスン時の写真ですが、左手の中指を見てください。

中指に庖丁が当たっていますね。
これは中指に面圧を当てているわけです。
桂剥きにするときにも大根の中心に向けて面圧を当てますが、刻むときにも面圧が必要になるわけです。
刻むときには左手の中指が刻む幅を感知します。
つまり目で刻む幅を決めるのではなく、センサーが決めるのです。
このセンサーが働くように左手が当てられているかどうかです。
ただなんとなく当てていませんか?
あるいは庖丁と左手が離れていませんか?
そこをもう一度確認してください。

この写真は中指がちょっとだけ浮いています。
それでもいつも中指には庖丁が当たるように。
ちなみに、第一関節とか第二関節とか一般的にいいますが、それは俗名です。
指先に近い方を第一関節と呼ぶ人が多いですが、反対の説もあります。
医学的に、あるいは法令的には呼び方が異なりますので、ここでは単に中指としておきましたが、むそう塾では次のように呼びたいと思います。
「指先に近い方の関節:第一関節」(医学的には遠位指節間関節と呼ぶ)
ということで、刻むときには中指の第一関節が庖丁に当たっているように意識してください。
それからむそう塾でのお約束。
「有次が見えていますか?」
これが最も怪我をしない方法でもあります。
最後まで怪我をしないで頑張ってください!
 


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さくらんぼ


外から帰ったら宅急便が。
好物のさくらんぼが次々と届く。
これは夫宛だったけれど、大半が私の胃袋に収まる(笑)

 


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東京大学には入ったけれど・・・ああ無常

「東京大学には入ったけれど・・・ああ無常 人生の失敗を始める頭の“良すぎる”学生たち」という記事を読みました。
今は「テレフォン・エンジニアリング」という言葉があるんですね。
読み進めながら「ふむふむ」と妙に納得していました。
私のそばにもこのような人がチラホラ見え隠れするので。
記事の最後の方にある次の文章に、私は「あ、あの時期からかな?」と思い当たることがあります。
>こういう「病」、ある時期以降世の中でも目にするようになった気がするのです。 


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