2008年11月18日(火)。
私は「むそう塾」の打ち合わせのために、京都に到着したばかりでした。
さあ、これから打ち合わせという時に、中川善博さんの携帯が鳴りました。
お母様が入院されていた京大病院からです。
大急ぎで病院に駆け付けた中川さんから、ほどなくして私にお電話がありました。
「13時30分に母が亡くなりました」。
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ご臨終には間に合われたそうです。
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翌日は「第7回むそう塾」の開催日でした。
大急ぎで申込者にお電話して「むそう塾」の開催を中止するべきか考えたのですが、私と中川さんの出した結論は「予定どおり開催する」でした。
理由は、「むそう塾の開催は申し込んで下さった方々とのお約束だから、いかなる理由があってもお約束を守りたい」でした。
しかし、「むそう塾」の開催には大変な準備があります。
前夜からパウンドケーキを2本焼き、お料理の仕込みをし、当日は朝5時から仕込みをして、参加者にお出しするお昼のお料理を作らなければなりません。
このような時に、時間的にも精神的にも可能かどうか中川さんにお伺いすると、「私は大丈夫です」とのお返事。
私も中川さんなら意地でもこなすだろうと判断していました。
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19日(水)。
少し早めに「なかがわ」さんへ到着した私が、「夕べは寝られましたか?」と尋ねると、「寝られませんでした」とのお返事。(やっぱり)
そして中川さんは、「いつもどおり、笑顔で明るくやりましょう」と仰います。
そして、「きょうの玄米ご飯は、キッパリと炊きました」とのこと。
中川さんの精神状態が伝わって来て、目頭が熱くなりました。
お昼にお料理をいただいてみると、見事に凛とした氣が伝わって来る仕上がりになっていました。
さすがだなぁと思いました。
「玄米ご飯から透けて見えるもの 」という記事を書いた私ですが、中川さんは見事に精神をコントロールされてお料理に向き合われたのだなぁと、改めて感じ入りました。
一流のプロであることの凄味を感じた一瞬でもあります。
予定どおり17時に「むそう塾」を終了し、私はお時間のある方々とホテルのティールームに移動しましたが、中川さんはそれからが大変だったと思います。
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20日(木)がお通夜、21日(金)が告別式でしたので、私は両日とも参列させていただきました。
お通夜の会場に入ってまず目を引いたのは、お母様のお写真でした。
思わず「うわ〜綺麗」と口にしてしまったほど、お美しいお母様でした。
お母様は踊りの先生をされていらしたということで、会場には舞姿の大きなお写真が何枚も飾られ、それはそれはお美しくて艶やかなお姿でした。
翌日の告別式の時には、お別れのお花がいっぱいで、棺のふたが閉められないほどでした。
お弟子さん達が大勢お別れに来て下さったそうです。
ところで、中川さんがお母様の旅立ちに選ばれたお着物は、作家の一点もので墨絵模様の縮緬地。
それに合わせた帯は、手刺繍で般若心経を縫い込んだ豪華なものでした。
きっとその中川さんの想いがお母様に通じて、お母様はこれからお好きな踊りを、広い宇宙で心ゆくまで踊ってくださるのだと思います。
ちょうど京都は紅葉がまっ盛りの季節です。
見事に色織りなす木々の何と美しいこと。
そのひとひらが、はらりと土に舞い降りた2008年11月18日。
お母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。