買い物カゴのその中身。
それじゃあ、冷えるよね。
彼女は甘い物の怖さを知らないんだね。
甘いものを控えるだけで、ずいぶん体調が良くなるのに。
その上で玄米ご飯を食べたら鬼に金棒だ。
たったそれだけでボディは変わり、人生も変わる。
そんな人の何と多いことか。
マクロビオティックの真の力を知ってほしいな。
あなたの体と心は間違いなく楽になるはず。
買い物カゴのその中身。
それじゃあ、冷えるよね。
彼女は甘い物の怖さを知らないんだね。
甘いものを控えるだけで、ずいぶん体調が良くなるのに。
その上で玄米ご飯を食べたら鬼に金棒だ。
たったそれだけでボディは変わり、人生も変わる。
そんな人の何と多いことか。
マクロビオティックの真の力を知ってほしいな。
あなたの体と心は間違いなく楽になるはず。
先日、中川さんから白米ご飯の炊き方を教わった。
昨年教えていただいた炊き方より進化していた。
なぜ進化したか?
それはお鍋の形状が違うから。
ということで、早速教わったとおりに炊いたのだけど、中川さんの所で見た炊き上がりのツヤより寝ぼけた感じがする。。。。
食べた感じもイマイチ中川さんのより劣る。
色々考えて思い当たったのが精米機。
絶対これだと思った。
なぜならお米屋さんの精米機は家庭用の精米機と比べたら、格段に性能が違うから。
我が家の精米機はカレコレ10年以上は使っていて、もうセラミックも摩耗しているのかも知れない。
ということで、お米屋さんが精米した白米で炊いてみると、やっぱり!!!!!
ツヤも粘りもバッチリ!
やはり道具の限界があるんだなあと感じたことだった。
で、なぜ白米?
はい、息子が白いご飯を食べたいと言ったから。
22歳の男子は、母親の不在中に友達と白米が欲しくなるようなものを食べていたらしい。。。
僅かな自宅滞在中は、夫や息子の体調のコントロールを取るのが私の務めだから、何でも作るのだ。
ちなみに、きょうのお昼は素麺派と玄米派。
糠床には美味しい糠漬けが待っている。
ところでこの白米ご飯は、シコマチック Tプラス 3.0Lで炊いた。
10万円以上の高級炊飯器よりはるかに美味しい!
お米が立った状態で炊き上がる炊き方だ。
炊飯器の半分以下の時間で炊き上がる。
ジャーに入れて丸二日経ってもビクともしない。
さすが中川式だと改めて唸る。
きょうは土用の丑の日です。
うなぎの蒲焼きを召し上がった人も多いことでしょう。
私がマクロビオティックを始めた頃は、鰻なんてとんでもない!
ということで、世の中が土用の丑の日であろうがなかろうが、鰻とはサヨナラしておりました。
それから何年も経ってから、鰻の陰陽加減を知るために、天然うなぎを食べることになりました。
恩師に教わったとおり、甘味のある蒲焼きは避けて白焼きを食べました。
うなぎを食べる時には天然物で白焼きというのが、教えだったからです。
ところで、桜沢如一先生の本に「うなぎの無双原理」があります。
古い本ですが、何故か好きな本です。
桜沢先生が錬金術として鰻を研究されていたことがあるそうで、軽いタッチで書かれているのですが、よ?く鰻のことを知り抜いていて面白い本です。
その中から今日にちなんで「かば焼き」をご紹介しましょう。
* * * *
<かば焼き> (うなぎの無双原理37Pより)
かば焼きは「香疾(はや)き」からきたという説が一番古いそうです。
しかし、私はかば色に焼いたという意味にとります。
なまずやどじょうのかば焼きもありますから。
かば焼きには最も上等の炭—-堅炭、姥女(うばめ)炭、備長(びんちょう)炭のごとき—-が必要です。
これは最も陽性の木で作った炭。
石炭やガス、電気ではまずい。
陽性がすぎます。
これを烈火とし、その上にのせ「手返し百辺」というほど返しつつ、ぱたぱた高い音をうちわでたてて焼きます。
これは最も陽性の火を最も陰性にする方法です。
「裂き三年、串八年、焼きは一生・・・・・・」という言葉があるほど焼きはむずかしいのです。
昔はうなぎの丸焼きに塩をつけて食べたそうです。
そのうち、たまりを用いるようになり、醤油というものができ、専門の店—-醤油屋までできました。
それからさらに、たれを作るようになったのです。
たれは醤油とみりんを等分に入れたのが同割り。
今では四分六分になっています。
東京でも深川へんの労働者の多いところでは、今でも六分四分のたれを用いる店があります。
これも昔は二割づめといって八割くらいに煮つめたのだそうですが、今では二分づめくらいが関の山です。
みりんのかわりに砂糖を用いているのもたくさんあるからたまりません。
かば焼きは頭と尾がうまいので、これを捨ててつけないのはウソです、ことに尾のおいしいことは有名です。
こんなことを聞くと、むしゃむしゃ食った人は恥ずかしくなります。
東京と大阪では料理方法も出し方も全く違います。
関西のウナギのまむし(実は飯(まま)蒸しで、蝮(まむし)にあらず)や茶漬けは温かいウナギを食べる方法としては天下一品です。
東京では白焼きしてから、むしにかけて脂肪の陰をみな取り去り、関西ではむしにかけません。
これは見かけからいえば東京流が美しく、カロリーからいえば大阪風がよろしく、どちらにも勝負ありませんが、無双原理からみると男性的(陽性)な江戸っ子は淡白を好みつつ、陰性の脂肪を去って、陰過多になることをさけ、女性的(陰性)な大阪人は濃厚な味を好みつつ、それを陰性の脂肪で取るというまことに賢明なやり方です。
梅雨が明けてから猛暑が続いております。
私も汗だくで片づけものをしていたら、首筋にあせものようなものが・・・。
この暑さの中で玄米ご飯を炊くのは、かなり頑張らないといけません。
クーラーがある場合はその風の向きや、部屋の温度、水温も考慮して浸水時間の加減、そして何より暑い中でも美味しい玄米ご飯を炊き上げる技術。
さらに、暑くなって来るとお米の保存にも気を使いますし、これから新米が出回るまでが、一番お米がまずくなる時期です。
そんな中でも奮起して3回目の投稿でパスポート品質の玄米ご飯を炊かれた方が登場しました。
39期ですから、丁度1週間前の18日の愛クラス受講者です。
奥様が授乳中のため、代役でご参加くださったご主人様が快挙です。
頑張りましたね?。
さすが男性です!
では、パスポート取得者を発表させていただきます。
<むそう塾 パスポート取得者>
なお、ご自身のご経験や気づかれたことなどを、中川さんの玄米投稿欄にどんどんコメントをしてあげてください。
経験者のご意見は、今模索中の方にとって、大変励みになりますし嬉しいものです。
そして、みんなが一緒にステップアップして、幸せになりましょう。
* * * *
パスポートは出発点であり、到達点ではありません。
従ってこれは、第三者に教える力を認めたものではありません。
「中川式玄米ご飯の炊き方」は、中川善博本人のみが口伝の形でお伝えしております。
なぜなら、「中川式玄米ご飯の炊き方」はオーダーメイドの炊き方だからです。
パスポートを取得されましたFuさんは、これで玄米投稿の目的は達成されましたので、お写真を中川さんに送らなくても結構です。
パスポートの発行は、この記事をもって公表するとともに、個人宛へのメールでお知らせいたします。
このメールにはパスポートナンバーが記載されていますので、もし、届かなかった場合はご連絡ください。
私はずいぶん自由気ままに生きて来ました。
真の自由は何なのかを知らないまま。
嬉しかったこと、悲しかったこと、沢山経験しました。
でも、その度に発見があって、その度に感動がありました。
いま沸々と心の奥底から湧いてくる熱い想いは、それらの感動が土台になっています。
一つひとつの細胞が新たな命を吹き込まれたかのように、新しい躍動をしている感じがします。
ああ、まさに今も青春なんだと実感します。
先日秋乃さんのブログにサミュエル・ウルマンの「青春」が掲載されていました。
懐かしいですね〜。
改めて読み直してみて、うんうんと頷いてしまいます。
まさに私はこんな想いで生きて来たから。
高校生のころから「年齢は不可抗力だ」が私の口癖でした。
便宜上生年月日を基準に年齢を数えるけれど、それは個人を識別するため。
心の年齢は戸籍とは関係ないと言い張って生きて来た人生でした。
今こうしてこの詩を読み返すと、サミュエル・ウルマンが70代の時にこの詩を書いた心境に、自分の年齢も心も近づいていることに気づきます。
今を生きるすべての人にこの詩を贈りたいです。
* * * *
「青 春」
・原作 サミュエル・ウルマン
・邦訳 岡田 義夫
・蔵版 青春の会
青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相(ようそう)を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、
こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や狐疑(こぎ)や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰(あたか)も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥(あくた)に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。 これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷(あつごおり)がこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は全く老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。
* * * *
「 青 春 」
・原作 サミュエル・ウルマン
・宇野収、作山宗久訳
青春とは人生のある期間ではなく
心の持ち方をいう。
バラの面差し、くれないの唇、しなやかな手足ではなく
たくましい意志、ゆたかな想像力、もえる情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
青春とは臆病さを退ける勇気
やすきにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うときはじめて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩、恐怖、失望により気力は地にはい精神は芥(あくた)になる。
60歳であろうと16歳であろうと人の胸には
驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探求心
人生への興味の歓喜がある。
君にも我にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美、希望、よろこび、勇気、力の
霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ
悲嘆の氷にとざされるとき
20歳だろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえるかぎり
80歳であろうと人は青春の中にいる。