主食に求められるもの

先日こちらの記事で書きました。
主食たり得るものは、玄米であっても限りなく白米に近いものであると。
・一生食べても飽きない
・どんなおかずでも合う
・老若男女が食べられる
・美味しさがある
これらを兼ね備えたものが主食になれるのだと、つくづく思うのです。
よく「美人の妻は3日経ったら飽きる」と言います。
ま、これには異論もあるでしょうが、主張の強いものは飽きることがあるということですね。
これを主食に置き換えると、「美味しすぎてはいけない」のです。
つまり、際立ってはいけないんですね。
これと同じく、主食はうんと陽性であってもいけないし、うんと陰性であってもいけないのです。
簡単にいうと、陰陽の偏りがないことです。
このように書くと、それが中庸というものだよという声が聞こえそうですね。
口で言うのは簡単です。
そして頭で理解するのも簡単です。
しかし、それを実現するのは大変です。
マクロビオティックの大先輩たちもそうでした。
中庸であるということは、ある意味で脇役です。
主演ではないのです。
玄米ご飯でいうなら、玄米ご飯は脇役でおかずが主役です。
しかし、一番量を多く食べるのは玄米ご飯なのです。
だから、玄米ご飯を中庸に炊き上げるのです。
これは理解しにくいでしょうが、とっても大事なんです。
ぜひ理解してね。
人間関係にも置き換えられますね。
自己主張の強い人って飽きるでしょ?
うるさいとも感じます。
毎日見たくなる顔、毎日会いたくなる性格って、あまり主張が強くないですよね。
いわゆる癒し系のイメージです。
これが主食に求められるものだと思っています。


カテゴリー: マクロビオティックが楽しい♪ | 12件のコメント

風のようなマクロビオティック

最近色々な意味で、つくづくバランスが大事だなぁと思います。
これは京都で中川さんと一緒にむそう塾をするようになって、日々実感していることでもあります。
マクロビオティックを始めたばかりの頃、マクロビオティックを第三者と語り始めた頃、マクロビオティックを外側から見られるようになった今、どんどんと精神的にバランスが取れていくのがよく判ります。
マクロビオティックの理論にしても、食材にしても、購入方法にしても、声高にマクロビオティックと言わなくてもいいような気持ちになれる今日この頃です。
普通に、当たり前に、風のようにマクロビオティックが存在したらいいなと昔思ったことが、今まさに自分の中で普通になっています。
月日がくれたプレゼントですね。
             *    *    *    *
中川さんと一緒にむそう塾をするようになって、そこから見えてくるマクロビオティックの欠点というか、弱い部分というか、そんなところが良く見えて一層バランス感覚が磨かれたと感じています。
私一人では見えなかった部分を、異質(笑)な二人が組むことによって見えたことが多々ありました。
そして何より一番大きい影響力は、塾生さんの変化です。
私が全国を廻り始めてから丸5年が経ちましたが、その間に接した皆さんや塾生さんの変化を観察していると、バランスの大切さを教えられます。
過度に陽性でもなく、過度に陰性でもないマクロビオティック。
言い換えると普通の暮らしかな?
でもね、今はなかなかこの普通の暮らしが出来ない時代なんですよね。
理由はいくつもありますが、とにかく普通の暮らしが出来るようになろうよ。
そんな想いでむそう塾から「ふつう」を発信しています。
普通を知った人、普通が出来るようになった人は、みんな笑顔に満ち溢れています。
きょうも明日も笑顔が絶えない生き方が出来ますように。


カテゴリー: マクロビオティックが楽しい♪ | 2件のコメント

中川式糠漬けと家庭用精米機

今年は中川式糠漬けのタネが130人以上のところにお嫁に行きました。
その後糠床を腐らせてしまった人、ご機嫌斜めになって中川さんに泣きついた人、さまざまです。
幸せコース1期生のNさんは、2年連続腐らせてしまいました。
中川さんが途中でタネの補充をしてあげても、また腐らせてしまうのです。
よっぽど物を育てるのが苦手な性格のようです。
かと思うと、こちらのkotoさんはたった1回糠漬けの単発講座にいらしただけで、見事瑠璃茄子を漬けました。
kotoさんの場合は、もう執念といってもいいほど、糠漬けで元気になろう、糠漬けでアトピーを改善しようという思いが強かったです。
私も糠漬けを漬けていますが、何しろ1週間のうちの5日間は自宅にいないのですから、それはもう糠床にとっては最悪の環境だと思います。
それでも中川さんにいただいた糠床が今も元気に頑張っています。
回数は少なくても、家族に一切れでも多く糠漬けを食べさせたい思いで手入れをしています。
今日のお昼も美味しい糠漬けが食べられます。
超陽性な中川菌に感謝! 
              *    *    *    *
ところで、中川式の糠漬けを未だに夏仕様にしたままの人はいないでしょうね?
真夏を過ぎて茄子を漬けなくなったら、秋冬仕様に糠床も衣替えしましょう。
ちなみに糠はいつも新鮮なものを使うことが美味しさの秘訣です。
そのためにお勧めなのが家庭用精米機です。
私がかつて使っていた精米機とは違って、これはかなり優れものです。
象印の製品です。(BT-AE05-HL)(私はamazonで買いました。)
この精米機から出てくる米糠はパウダー状で、とってもきめが細かいのです。
この米糠を初めて糠床に入れたら、糠床の表情がグンと違って、糠床が喜んでいるのがよ?く判りました。
酸化していない米糠を糠床が喜ぶ。
酸化していない食べ物を体が喜ぶ。
何だか人間の体の中を覗いたような気がしました。
癌って体が酸化して起きる病気なんですよね。
包丁も体も錆びさせない暮らし方が、より良い人生の原点だと思います。
ついでに頭も錆びつかないように出来たら最高ですね。


カテゴリー: 中川式糠漬け, マクロビオティックが楽しい♪ | 6件のコメント

お蕎麦の陰陽

京都に通い始めて、ずいぶんお蕎麦をいただく機会が増えました。
いつも東京では「生粉打ち」(きこうち)をいただくのですが、京都で行くお店には生粉打ちがなかったので、普通のお蕎麦を頼んでいました。
ところが最近睡眠時間が長くなっておかしいなぁと思っていました。
色々と考えてみましたが、思い当たることはありません。
ふっと出てきたのがお蕎麦。
気になったので中川さんに確認すると、京都のお蕎麦は関東より小麦粉が多いとのこと。
そういえばおうどんも京都のおうどんはふわふわで変な感じなのです。
いわゆる讃岐うどんのようなコシがないのです。
何年も前に、東京で京風うどんをいただいた時にもそうでした。
讃岐うどんに慣れた私には、京都のおうどんはちょっと。。。
ということで、どうも京都人は軟らかい物がお好きなようで。。。
はんなりとするためには、柔らかさが必要だからでしょうか。
さてさて、このお蕎麦ですが、マクロビオティックではお蕎麦は陽性の方に分類されます。
しかし、これは蕎麦を単体で見た時の分類であって、お蕎麦屋さんでいただく時の蕎麦は陰性に近寄っていることを考えなければなりません。
まずは、蕎麦の実が粉の状態になっていること。
次に、二八蕎麦(にはちそば)といわれるように小麦粉が入っていること。
京都のお蕎麦が二八より小麦粉が多いため、私の体に変化が出てきたんだなぁと納得した次第です。
ということで、私がお蕎麦をいただくときには、「生粉打ち蕎麦 + 蕎麦がき」という元のスタイルに戻さなければいけないなぁと痛感したことでした。
これは私が元々陰性タイプだからなんですね。
陽性タイプの人はこんなことではビクともしませんからご安心を。
ちなみに、検索してみると京都にも生粉打ち蕎麦のいただけるお店があるようなのですが・・・。
昔のマクロビオティック実践者は、お醤油を携えてお蕎麦屋さんに行ったのですから、その頃の大先輩がこの記事を読んでくださったら、何とおっしゃることか。。。
ああ、あの方のお顔が浮かぶ。
そして、あの方のお顔も。。。
最後に、陰性に傾くと間違いなく睡眠時間が長くなります。
これはかなり正確なバロメーターです。


カテゴリー: マクロビオティックが楽しい♪ | 4件のコメント

お礼

お礼って難しい。
お礼をスマートに出来るようになると一人前の大人だと思う。
義理のお礼、心からのお礼。
生きていくうえで何度となくお礼とつき合わなければならないけれど、それと共に頭を悩ませることも多い。
私の父母は義理堅い人だったし、子供たちもそのように育てられたけれど、時々そうではないタイプの人にお目にかかるときがある。
え?と不思議に思い、信じられないと思い、場合によっては人間性に疑問を抱いた若かりしときもある。
しかし、その人その人によって価値観の相違があるのだから、お礼についても相違点があって当たり前である。
大事なことは、自分の価値観ですべてを見ないことである。
自分の価値観に適合すれば良くて、適合しなければ駄目ということではない。
自立したお礼が出来るようになったら本物だと思う。
女性の場合はちょっと要注意。
お礼はいらないと言われることがある。
こんな時にはその言葉の裏も想像しなければならない。
しかし、純粋にお礼がいらないという人は一目置いた方が良い。
こういう人とは一生つき合いたいもの。
              *    *    *    *
それから、何が何でもお礼をするのが礼儀なのではなく、相手の気持ちに甘えることが必要な時もある。
私は先に書いたように義理堅い父母に育てられたから、きちんとお礼をしなくちゃ気が済まなかったのだけど、30代の時こんなふうに言われたことがある。
「お礼だなんてそんな寂しいことを言わないでくれよ。本当に君のことを応援したかったんだから、気持ちよく受け取ってくれよ。」
こう言われて私は本当にその人の心の大きさを感じたことがある。
女の一人暮らしだったから、ついつい必要以上に身の回りのガードを固めて、異性に対して用心をしていた頃だ。
この時に初めて、お礼を差し上げるのではなく、お気持ちを戴くことによるお礼もあるのだと知った。
(つまり戴きっぱなし)
この場合は心新たに頑張って、生き様でお返しすることになる。
どんな場合もお礼の気持ちはお届けするのだけれど、それに物が伴うかどうかの見極めは、結構経験を要する。
一歩間違うと人間関係にひびが入ることもあり得るからだ。
サラリとスマートにお礼が出来る人は一流の証だと私は思っている。


カテゴリー: マクロビオティックが楽しい♪ | 2件のコメント