「足るを知る」

現在玄米投稿中の塾生さんから「満足」についてご質問がありました。
多くの人に共通のテーマなので、ご一緒に考えてみましょう。
メールは長い文章なのですが、ポイントはここです。
>私は今まで『満足です』と言ってしまったら、そこで進歩が止まってしまうと考えてきたのです。
このように思われている人は他にもいらっしゃるかも知れません。
特に自己啓発がお好きな方、体育会系のこれでもか!の精神で生きている人には多いかも知れません。
でもね、これでは一生心が安らぐことはありません。
なぜなら、一瞬安らいだと思っても、また次なる目標をもってしまうからです。


私はね、満足って単純に考えても良いと思うのです。
・お腹がいっぱいになったから満足
・よく眠れたから満足
・嬉しいことがあったから満足
・怪我もせず無事に帰り着いたから満足
・家族揃ってご飯が食べられるから満足
・雨風凌げる暮らしが出来るから満足
・毎日ご飯が食べられるから満足
・お米もお味噌もお醤油も毎日必要なものが揃っている満足
・この景気の中で眠る所がある満足
・働ける場所がある満足
・健康である満足
etc
挙げればキリがありません。
                           *    *    *    *
満足したら進歩が止まるという発想は私も良く分かります。
私も安易な現状満足は嫌いで人生を過ごして来たタイプですから。
しかし、
・満足と言う言葉を口にされる人はみんなつまらない人ですか?
・満足といわない人はみんな素晴らしい人ですか?
老子の言葉に次のようなものがあります。
「足るを知る者は富み、強めて行なう者は志有り」


老子の言葉の解釈には諸説あることは承知の上で、あえて私は次のように解釈してこの言葉を当該塾生さんに贈ります。
「満足したらそこで進歩が止まるのではなく、現状には満足しながらも志を持つことは可能なのだから、あなたはここの受け止め方が違うように思うのです。
つまり、「自分」に打ち勝つ気持ちを失っていなければ、満足しても良いのではないかと考えます。
老子はそれを志と言ったのでしょう。
足るを知ることはあなたを萎えさせるものではなく、あなたを鼓舞するためにも必要な心のあり方だと思います。」


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料理もスポーツも似ている

料理は習ってお終いではなく
復習するところがスタート
その繰り返しがなくては
絶対に自分のものにはならない
頭で料理をするのではなく
体で料理をするのだと思えばよい
料理もスポーツも体で答えを出すもの
しかしその裏には
緻密な理論がある
理論を体で再現出来た人が
料理上手になれるのだと思う


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少し言葉を呑む

先日「喋る 話を聴けない」 「間合い」の記事を書きましたが、その締めくくりの記事を書きます。
やはり先日、中川さんが「不変であるための変化」という記事を書いてくださいました。
この文章を拝見して、つくづく人間関係と同じだなぁと思いました。
お料理の美味しさの受け止め方が人それぞれ違うように、人間関係もまた人それぞれです。
誰でも不愉快な人間関係や、喧嘩別れの人間関係は望んでいないはずです。
それでも気まずい人間関係になってしまうことはたまにあるかも知れません。
もしかしたら、たまにではなく、しょっちゅうあるという人は少し問題ですね。
人間関係に不器用なのでしょう。
俗に空気が読めないという人ですね。
私は20代の時から肝に銘じていることがあります。
それはどんなに相手が間違っていると思えても、100%言ってしまわないことです。
必ず少しは相手の逃げ込める隙間を作って、徹底的に叩きのめさないことです。
相手が気づくまで話したら、後は相手の判断で間違いを認めて反省してほしいから。
その方が相手が救われるから。
つまりとどめを刺さないことですね。
それは相手のプライドを傷つけないためでもあります。
たとえ責められる失敗をしたとしても、失敗したことがいけないのであって、相手の人格攻撃になってはいけないと思うからです。
しかし、人格に難があるからこそ失敗をすることが多いので、これはかなり難しく慎重になるものです。
それでも悪人にも一分の理だと思って、100%の追求は止めます。
これが「良い人間関係=美味しいお料理」だとしたら、そのために自分を自在にコントロールして、臨機応変に調整することが必要ですね。
望ましい人間関係のために、いつも弾力のある精神状態と氣、そして体力をキープしておくことが、美味しいお料理を作り続けるための努力と少し似ているなぁと思った次第です。


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木の芽の解釈(必読)

昨日ご紹介したmarikoさんの記事に書かれている中川さんの文章が、とても素晴らしいのです。
勉強になります。
携帯で苦労してスクロールされる方のために、ここに転載させていただきます。
1コメントとしてスクロールの海に埋もれてしまうのが、あまりにも勿体なくて。。。
              *    *    *    *
<松茸ご飯に木の芽を飾った場合の話>(中川善博さんのコメントより)
–前略–
まりこさんのお庭にある山椒の木は和食には無くてはならない香りを届けてくれます。
しかし「木の芽」と呼ばれるくらいですから芽なのですね。
そこからも判るように陰性です。
ですから強い香りを持っています。
使うのは立春を過ぎてから。
これを守れない料理人や料理屋はほんまもんではありません。
本当の木の芽は青菜の葉の部分のように柔かいはかない葉に繊維の立たない軸からなる、少し巻き込むようなRがついた小さな新芽の事を指します。
まりこさんがお弁当に載せられたものは正確には木の芽では無く「葉山椒」と呼びます。
使う季節はすこし木の芽より後になります。
それから夏に向けて「花山椒」が出て、ご存知「実山椒」が出ます。


私なら。
今回のお弁当に何かを載せるならば美山山椒の佃煮か山椒昆布を少し載せたでしょう。 
青物は不要です。
墨絵や書にはカラフルさは野暮でしょう? 
そういう事です。

–後略–


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シラルガン Tプラス3.0L

圧力鍋は数々ありますが、実は理想的な玄米ご飯に向いている鍋は少ないのが現実なんですね。
私はフィスラーでスタートして、シラルガンを何代かに亘って使って来ましたが、今はTプラスの3.0Lにぞっこんです。
何が良いかと言うと、あの浅さなんですね?。
元来日本料理は浅い鍋でお料理するものが多いので、3.0Lはご飯炊きだけでなく、抜群にお料理がしやすいのです。
きんぴらゴボウのような炒め料理、おでんのような煮込み料理、それでいて玄米ご飯がサラッとふっくら炊き上がるのですから、惚れないわけはありません。
ですから私は3.0Lを2台持たれることをお勧めします。
玄米ご飯用とおかず用にね。
すでに3.0Lを購入された方からは、2.5Lにも4.5Lにもない軽いふんわり感、さっぱり感を絶賛する声が届いています。
これが形状の陰陽差が生み出す炊き上がりの違いなんですね。
中川さんのレベルになると、2.5でも4.5でも3.0の炊き上がりを実現できますが、我々のレベルではお鍋の力を借りたほうが無難です。
そうそう、今月開催する「圧力鍋料理とモバイル味噌汁の会」では、この3.0を使います。
もちろん少人数の場合は2.5LでもOKですが、3.0Lは平べったいので、材料が重ならないで煮ることが出来てとても良いです。
本当に日本人向けの形状です。
ちなみに色は白・黒・赤・緑・黄・ピンクの6種類あります。
ピンクについては中川さんにご希望を伝えて下さると用意してくれます。
私もピンクを注文しました。
心だけは乙女で(笑)


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