きのうはホテルをチェックアウトしてから、中川さんと一日打ち合わせをしました。
美味しさから健康へ。
きのうはホテルをチェックアウトしてから、中川さんと一日打ち合わせをしました。
いよいよ新米が出回って来ました。
昨年はイマイチのお米だったので、今年はきっと最高のお米が収穫できるだろうと思っていたのですが、今年もイマイチになってしまいましたね。
夏の猛暑と雨不足が原因です。
新米であっても水加減には気をつかわなくてはいけないお米になってしまいました。
改めて私達は自然によって生かされているのだと思い知りますね。
さて、新しくパスポートに到達できた人が登場しました。
最初から美味しそうな玄米ご飯を炊き上げた人、精神的に満足してはいけないと思いながら生きてきた人。
それぞれの玄米ご飯は、精神的な納得が得られて安定できると判断しましたので、パスポートに至りました。
お二人ともこれからは「氣で炊く玄米ご飯」を確立なさってください。
では、パスポート取得者を発表させていただきます。
<むそう塾 パスポート取得者>(受講者番号順)
なお、ご自身のご経験や気づかれたことなどを、中川さんの玄米投稿欄にどんどんコメントをしてあげてください。
経験者のご意見は、今模索中の方にとって、大変励みになりますし嬉しいものです。
そして、みんなが一緒にステップアップして、幸せになりましょう。
* * * *
パスポートは出発点であり、到達点ではありません。
従ってこれは、第三者に教える力を認めたものではありません。
「中川式玄米ご飯の炊き方」は、中川善博本人のみが口伝の形でお伝えしております。
なぜなら、「中川式玄米ご飯の炊き方」はオーダーメイドの炊き方だからです。
パスポートを取得されました皆さんは、これで玄米投稿の目的は達成されましたので、お写真を中川さんに送らなくても結構です。
パスポートの発行は、この記事をもって公表するとともに、個人宛へのメールでお知らせいたします。
このメールにはパスポートナンバーが記載されていますので、もし、届かなかった場合はご連絡ください。
むそう塾の塾生さんであっても、中川さんの玄米投稿記事をあまり読まない人がいます。
多くはパスポートを取ったからもう関係ないと思うパターンです。
でも、これでは余りにも勿体ないです。
玄米投稿記事の最後には、中川さんの編集後記が短い文章で載ります。
その日その日に感じる想いを、時には面白可笑しく、時には厳しい目で書いておられます。
きょうも深く心に沁み込む後記を書かれていました。
「切る」ことへの認識を改める良い文章です。
私達は普段包丁を使っていても、切ることの重要性を具体的に認識しないまま、あるいは一度も教わることなく台所に立っていると思います。
そうしてお料理がまずいとか、材料が煮崩れてしまうとかの経験をしているわけです。
しかし、それにはそうなるだけの理由があるのだということを、中川さんの文章は教えてくれています。
特に最近の中川さんは、この夏に行なった陰性化作戦が功を奏して、長い文章やちょっとロマンチックなお写真をアップされるようになりました。
面白いですね。
食べ物で人間は体だけでなく、精神状態もこのように変化するのです。
最近のあなたはどうですか?
お仕事や人間関係に変化はありませんか?
あなたのものの見方や考え方が変わってくると、新しい自分を発見して人生までもが変わります。
これがマクロビオティックを生きるということなんですね。
では、中川さんの文章をご紹介いたします。
* * * *
割烹という言葉をご存知でしょうか。
割烹着という名の和装用エプロンならば聞いた事があるかもしれませんね。
割烹の割という字は物を複数に割る(=切る)事を表します。
割烹の烹は煮焚き物を表します。
煮焚き物をするためにはその前準備として切るという作業が必要ですよ、という事を表しています。
春から幸せコースを始めて、夏が過ぎ秋を迎えるまでにこの切るという動作ができるように指導してきました。
そうして今月の栗剥きにつながり、来月の芋剥きに繋がるのです。
切り口の稚拙さが不味さに直結しているという事実をこれからどんどん感じて行く事でしょう。
今からでも遅くはありません。
研ぐ事、切る事、剥く事を大事に練習して下さい。
あまりにできない人が多すぎますね。
「春からいったいなにをして来たんだ!」って大きな声で叱ったらみなさんビックリしてしまわれるだろうなぁ、等と思いながら指導中にクスッと笑ってしまうのです。
別に板前修業じゃ無いのですから無理にできなくても良いのです。
ただあまりに時間とお金がもったいない方が居られるので少しつぶやきました。
現在玄米投稿中の塾生さんから「満足」についてご質問がありました。
多くの人に共通のテーマなので、ご一緒に考えてみましょう。
メールは長い文章なのですが、ポイントはここです。
>私は今まで『満足です』と言ってしまったら、そこで進歩が止まってしまうと考えてきたのです。
このように思われている人は他にもいらっしゃるかも知れません。
特に自己啓発がお好きな方、体育会系のこれでもか!の精神で生きている人には多いかも知れません。
でもね、これでは一生心が安らぐことはありません。
なぜなら、一瞬安らいだと思っても、また次なる目標をもってしまうからです。
私はね、満足って単純に考えても良いと思うのです。
・お腹がいっぱいになったから満足
・よく眠れたから満足
・嬉しいことがあったから満足
・怪我もせず無事に帰り着いたから満足
・家族揃ってご飯が食べられるから満足
・雨風凌げる暮らしが出来るから満足
・毎日ご飯が食べられるから満足
・お米もお味噌もお醤油も毎日必要なものが揃っている満足
・この景気の中で眠る所がある満足
・働ける場所がある満足
・健康である満足
etc
挙げればキリがありません。
* * * *
満足したら進歩が止まるという発想は私も良く分かります。
私も安易な現状満足は嫌いで人生を過ごして来たタイプですから。
しかし、
・満足と言う言葉を口にされる人はみんなつまらない人ですか?
・満足といわない人はみんな素晴らしい人ですか?
老子の言葉に次のようなものがあります。
「足るを知る者は富み、強めて行なう者は志有り」
老子の言葉の解釈には諸説あることは承知の上で、あえて私は次のように解釈してこの言葉を当該塾生さんに贈ります。
「満足したらそこで進歩が止まるのではなく、現状には満足しながらも志を持つことは可能なのだから、あなたはここの受け止め方が違うように思うのです。
つまり、「自分」に打ち勝つ気持ちを失っていなければ、満足しても良いのではないかと考えます。
老子はそれを志と言ったのでしょう。
足るを知ることはあなたを萎えさせるものではなく、あなたを鼓舞するためにも必要な心のあり方だと思います。」
料理は習ってお終いではなく
復習するところがスタート
その繰り返しがなくては
絶対に自分のものにはならない
頭で料理をするのではなく
体で料理をするのだと思えばよい
料理もスポーツも体で答えを出すもの
しかしその裏には
緻密な理論がある
理論を体で再現出来た人が
料理上手になれるのだと思う