先に「人の好き嫌い → 嫌うより好きになる」という記事を書きました。
長くなってしまうので半分で止めておいたのですが、その続きです。
私は人の好き嫌いを言っていられるうちは、まだ自由があると思っています。
つまり選択の余地があるんですね。
その選択の余地のある範囲内であれこれと悩むわけです。
ということは、悩める時間もあるということです。
寝る間もないくらい忙しくて、仕事や用事に追われていたら、悩む時間などありません。
目の前にあることを急ぐものから片付ける現実に追われるからです。
また、人生は何があるか分かりません。
生きていくためには嫌いな人にも頭を下げなければいけない時もあります。
ハラワタが煮えくり返るくらい嫌いな人に対しても、そうしなければ生きる術がないときだってあるのです。
だから私は、人の好き嫌いを言って悩んでいる人を見ると、生活に困らない人だなぁと思います。
どん底まで行き着くと、自分でも思わぬ選択をしたり、行動をとったりするものです。
それは生きるための人間のエネルギーでもあります。
その時に初めてその人の真の姿を知ることになります。
平易と困難があったら間違いなく困難な方を選んで、己の真の姿を知ると良いです。
困難は必ず内面を成長させてくれます。
その繰り返しが人生でもあるのです。
上っ面で生きていると、何十年経っても成長しません。
人間は歳を重ねたから偉いのではありません。
どのくらい深く生きたかだと思うのです。
まあ、そんなに苦労しないで生きられる人もいますから、この話はなんとな?く頭の片隅に置いておかれても結構です。
そんなときにはどうぞ、ご先祖様やご家族様やまわりの人達に感謝のお気持ちだけは持ってほしいです。
まわりの人の陰徳に助けられているのですから。
陰徳を積むというのは古く感じられるかも知れませんが、私は大きな効果を持つと確信しています。
それは生き方そのもので、良い氣につながるからです。
どんな状態に置かれても常に良い氣を発する人間であり続けたいものですが、マクロビオティックの考え方と食事法はそれを可能にしてくれます。













