玄米ご飯を噛むことの大切さ

マクロビオティックの中心になる玄米ご飯。
しかしこの玄米ご飯を消化吸収の良い状態に炊いて、きちんと消化吸収できている人は驚くほど少ないと思います。
これが実態でしょう。
そのために玄米ご飯を食べているのに体調不良を訴える人が多いです。
さらに体調不良とまで行かなくても、玄米の効果が精神の安定まで及んでいない人を多く見受けます。
その原因は三つ。
・玄米の炊き方が消化吸収に良い炊き上がりになっていない。
・よく噛んでいない。
・お食事の前後に水分を取り過ぎる。
他にも食べ方の間違いが細かくありますが、何と言ってもこの三つは基本中の基本です。
幸せコースでもこのことをきちんとお伝えしているのですが、人間って自分の癖をなかなか直せないんですね。
何年経ってもよく噛まない人がいます。
時々すり鉢のような並外れて丈夫な胃をお持ちの方がいます。
そのような人でない限り、噛むという行為は消化のためのお薬のようなものです。
特に玄米は白米と違って硬い皮がありますから、普通の炊き方をしただけでは胃腸を傷つけてしまいます。
その現実があるのでお医者さんは玄米を食べることを禁止される人が多いのです。
特に幼児に玄米ご飯なんてとんでもないというお医者さんもいらっしゃいます。
しかしむそう塾では「中川式玄米ご飯の炊き方」で白米のように炊き上がる玄米ご飯をお伝えしているので、胃腸を傷つけるようなことはありません。
一般的な炊き方の玄米ご飯は「よく噛む」ことによって消化のお手伝いをするのですが、この噛むという行為は大食いを防ぐことにもなります。
よくご飯の食べ方が早い人がいるのですが、こういう人は大抵量を多めに食べます。
早く食べると満腹中枢が働く間がないので、結果として満腹感を得るための量が多くなってしまうのです。
よく噛むことの大切さは玄米ご飯に限らず一般的に言われていることですが、この効果をなかなか信じないか無視する人が多いですね。
でも、玄米ご飯ならその違いを体で感じることが出来ます。
特に体調が今一つ、あるいは精神的に悩みを抱えている人は、騙されたと思って玄米ご飯を最低100回は噛んでみて下さい。
本当は200回と言いたいところなのですが、そうするとお食事の時間が長くなって、おかずやお味噌汁も冷めてしまうので、現実的なところで100回〜150回をお勧めします。
白米や中川式玄米ご飯でも30回は当たり前です。
私は日常的に50回前後噛んでいます。
中川式玄米ご飯になる前は80回前後噛んでいました。
これはマクロビオティックの世界では少ない方です。
もし特定の病気を抱えていたり改善したいところがあるのなら、絶対100回以上は噛んでほしいです。
200回どころか1000回噛んだ小学生もいました。
アトピーを治したい一心で。
噛めば噛むほど効果が期待できます。
よく噛むと唾液で殺菌もできるので、病気予防にもなります。
噛むことは私たちが体にしてあげられる最後のいたわりです。
健康でいたいなら、まず体を労ってあげましょう。
体を大切に思って丁寧に暮らすために、そして食べ物に感謝するためにも、ぜひお食事を丁寧にいただきたいものです。


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<岡部賢二先生とスペシャルおしゃべり会>のご案内

岡部賢二先生をお招きしてのおしゃべり会が開催されますので、ご案内させていただきます。
これから岡部先生は九州で子育てに専念(?)されるそうですから、しばらくは関東ではお会いできないことでしょう。
マクロビオティックのこと、放射能のこと、子育てのこと。
お聞きしたいことはいっぱいおありだと思います。
そんな疑問を岡部先生と一緒に解決されてはいかがでしょうか。
以下、関係者からいただいた原稿をご紹介させていただきます。
*   *   *
<岡部賢二先生とスペシャルおしゃべり会>
?向き合おう! 放射能のこと、子どもの健康と食事のこと? 
(マクロビランチつき・ヴァイオリン&ギターのライブも♪ )

福島第一原発事故から1年。
「なんか疲れちゃった」 これまで、子どもたちを被ばくさせないようにがんばってきた多くのお母さんたちの本音ではないでしょうか? 
そこで、「子ども千葉ネット」では、4回シリーズで講座をお願いしてきた岡部賢二先生をお招きし、おしゃべり会を開催することにしました。
極上のアコースティックライブで癒してくれる「Dawn-People」の若いふたりも、おしゃべりに参加します(ギター担当は、岡部先生のMI塾卒・マクロビオティックインストラクター)。
日頃不安に思っていることや、食事のことでわからないことを、「岡部先生に質問したい」という方も大歓迎。
ぜひぜひ、ご参加ください。
【日時】 
2012年4月18日(水) 10:30?13:00
【場所】 
千葉市中央区弁天2丁目の個人宅
(JR千葉駅東口徒歩8分・詳細はお申し込み後に)
【参加費】 
2500円(玄米おむすびプレート代含む・お子さまプレートは500円)
【定員】 
20名
【お申込み・お問い合わせ】
moon*e-oryza.com(*を@に変えて送信)
◆件名を「岡部先生おしゃべり会の申し込み」とする。
◆下記事項を記載する。
・お名前
・メールアドレス
・携帯電話番号
・参加人数
・お子さまプレートの有無」
【主催】
『子どもたちを放射能から守る千葉ネットワーク』
【プロフィール】
岡部賢二(おかべ・けんじ)
1961年、群馬県生まれ。「ムスビの会」主宰。正食協会理事。著書に『マワリテメクル小宇宙?暮らしに活かす陰陽五行』(ムスビの会)、『月のリズムでダイエット』(サンマーク出版)、『心とからだとキレイにするマクロビオティック』(PHP研究所)、『家族を内部被ばくから守る食事法』(廣済堂出版)がある。

「ムスビの会」
◆Dawn-People
小畑亮吾(ヴァイオリンと歌)と吉度模彌(ギターと歌)によるアコースティックユニット。オーガニックミュージックシーンを中心にライブを展開し、話題を呼ぶ。2012年4月1日に、彼らの演奏が最大限に引き出される”土壁の部屋”でのレコーディングを敢行した1st albumをリリース。

「Dawn-People」 視聴サイト 



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手作業と心の安定

きょうは久しぶりにお裁縫をしました。
糸を通したり、針を持ったり、ハサミを使ったり、アイロンをかけたり、全部手を使うことばかりです。
手は使っていても頭ではあれこれ考えたり思いを巡らしたり、そんな時間がとっても貴重で、心が落ち着いて、本当に癒されました。
私は母がお針仕事をしているそばで遊ぶのが好きでした。
私のお裁縫箱には母が教えてくれて作った針刺しがあります。
母が着ていた着物の端切れで、私が小学生のときに作ったものです。
この針刺しを見て、亡き母が最後まで手を動かしていたことを思い出しました。
最後に私が母に会ったのは、亡くなる3ヵ月前、病院のベッドの上にお座布団を敷いて、その上にきちんと正座して、編み物をしていました。
「編み物は狭い所でもできるから」と言って、少し浮腫んだ指を器用に動かしていました。
ひ孫の靴下を編んでいたようです
手を動かしながら家族のことをいっぱい思っていたのでしょう。
これといった娯楽もせず、ひたすら台所に立って家族のためにお料理をつくり、夫の仕事も手伝い、生まれ育った町で死んでいった母。
私はそんな母よりもっと外に生き甲斐を求めて故郷をあとにしたけれど、結局一番落ち着くのはこうして家事をして、手を動かしているときのような気がします。
 

*   *   *
きっと手を動かすという行為は、左脳の疲れを和らげてくれる効果があって、左脳と右脳を理想的なバランスにしてくれるのだと思います。
しかし現代は手間のかかることは極力避けられ、手作業は非生産的とされて、隅っこに追いやられてしまった感があります。
そのためにアンバランスな感情に揺れて、自分を持て余している人もいます。
そんな人が何か手を動かすことで開けて来る道があるような気がします。
むそう塾で皆さんの手先を見ていても、不器用そうな人が結構多いです。
でもそれは絶対不器用というのではなく、手を使う機会が少なかっただけなんですね。
もっと小さい時から折にふれ時にふれ、手を使うことを日常的にしていたなら、もっと結果は違っていると思います。
それと一番の問題は、どんなに手先が器用でも学校ではあまり評価してくれないことです。
これがいびつな人間をつくってしまった最大の罪だと思います。
人間を丸ごと評価してあげる。
そんなことが学校教育で出来たらいいのに。
*   *   *
そういえば私が帰省すると、母の部屋にはいつもひ孫が何人も遊んでいました。
自分の家にランドセルを置くとすぐ母の所に遊びにやって来ます。
そして夕食までずっと遊んでいます。
お迎えに来たお母さんに「どうしてここがいいんだろうね?」と私が聞いてみると、「きっとここのテンポが心地いいんだと思います」と即答しました。
時間がゆったりと流れて、せかされないで自由に遊べることが楽しかったようです。
そのひ孫たちが中学生のときに母は亡くなったのですが、女の子は全員器用に編み物をしていたのが印象的でした。
「おばあちゃんに教えてもらったの」と嬉しそうに編んでいて、何だかウルッとしました。
ひ孫と母が一緒に編み針を動かしたであろうその時間は、きっとひ孫たちの情緒に大きな安定感を残してくれたに違いありません。
たまに帰った私がやきもちを焼きたくなるほど、ひ孫たちは母になついていました。
きっと一針一目ごとにひ孫たちと心を紡いでいたのですね。



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学びと副産物

私は桜沢如一先生の本やテープから、「ダイナミックさと行動力」を学んだ。
残念ながら直接お目にかかれる時代に生まれていなかったので、先生が残されたものにすがるしかなかった。
恩師大森英櫻先生には幸いに直接教えていただく機会に恵まれた。
誰に教えられたわけでもなく、誰に奨められたわけでもなく、自分の判断でこの人から教えを受けてみたいと思った。 
そして大森先生からは「経験の大切さと生き方の美学」を学んだ。
大森先生からは本やテープやビデオでは学べない世界を学ばせてもらえた。
それは休憩中の先生の一言だったり、お食事をしている時の先生の表情だったり、往復の電車の中の先生の行動だったり、そんな空気も含めて私の財産になった。
マクロビオティックを学んでいるはずが、いつしかそれ以外の生き様を含めたすべてを学ぶようになっていた。
直接学ぶということは、この副産物ともいえるところに大いなる魅力があると思っている。
こんなことがあった。
泊まりがけの講座で大森先生が松葉杖姿で現れたことがあった。
先生が時々顔をしかめながらお話をされる姿が印象に残ったけれど、その時の日本CI協会のスタッフのTさんの実力が凄かった。
座って話される大森先生の言わんとしている内容を、Tさんはホワイトボードにスラスラと書いて行くのである。
図も含めて。
この人は凄いと思った。
このこともあってずっと私はTさんを尊敬しているし、Tさんのひと言ひと言から今も学ばせてもらっている。
人間ってやっぱり直接接することによって得られる学びが一番強い。
「百聞は一見に如かず」というけれど、まさに人と人の関係にも学びにも同じようなことがいえる。
この目で、この耳で、この細胞全体で学ぶ。
それが生きていることの証であり、学びの原点であるような気がする。
私はその上にその人の「息づかい」も学ばせてもらった。
どんなに便利な文明の利器が登場しても、その人から直接学ぶ形は大切にしたい。


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桜沢如一先生のこと

きょうは急に桜沢先生の本を読みたくなって、手当たり次第読んでいた。
手当たりという言葉がピッタリの、手の赴くまま。
すぐそばに桜沢先生が立っておられるかのような息吹を感じて、やはり凄い人だったんだなぁと思った。
特に桜沢先生最後の著作「健康の七大条件」は、六大条件に一つ加えねばならなかった経緯を思うと、人間ってつくづく完璧はないのだと思う。 
多くの弟子に伝えてしまったマクロビオティックの誤りの部分を完全に正せぬままに、桜沢先生はどのようなお気持ちでこの本を書かれたのだろうか。
一度書いて本にしてしまったものは、もう桜沢先生の手を離れてどんどん一人歩きして行く。
間違いを正したくても現実的には困難である。
晩年になって前説を修正する本を出版しても、すでにインプットされてしまった弟子たちの頭はそう簡単には切り替わらない。
もし今桜沢先生がこの世におられたら、間違いなくネット上で発信しまくっていただろうと思う。
ブログもTwitterもFacebookもどんどん更新されていたと思う。
そして間違いなく多くの人たちに大きな影響を与えていたことだろう。
今なら、あるいは、その間違いを修正するチャンスはあったかも知れない。
恩師の大森英櫻先生があれだけの実力がおありなのに、なぜ本を書かなかったのか最初は不思議でならなかったけれど、書かなかった理由を知ったとき、正直言って「そんなものなのかな??」と思っていた。
しかし今、こうしてむそう塾で「正しく伝える」ことの難しさに 日々直面していると、大森先生があえて本を書かなかった理由が本当に良く理解できる。
大森先生には幼稚な質問もさせていただいたけれど、どんな時にも真っ正面から答えてくださった。
それはきっと「正しく伝えたい」お気持ちの表れだったのだと思う。
マクロビオティックは今過渡期にある。
混乱期にある。
私がこのブログを立ち上げた理由も、むそう塾を始めた理由も、その混乱を少しでも交通整理してマクロビオティックの楽しさをお伝えしたかったからに他ならない。
桜沢先生のお伝えしたかったこと、大森先生のお伝えしたかったこと、それを不肖な私が耳かきほどでも「正しく」お伝えできたらいいなと思った。
4月は桜沢先生の亡くなられた月。
新たな思いで先生の墓前に手を合わせて来たい。
 


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