2009年の元旦。
私はこんな記事を書いています。
今もまったく変わることなくこの気持を持ち続け、日々実践しています。
昨日むそう塾生がまたお一人幸せのステージを上げました。
嬉しいです。
実に幸せです。
こうして幸せに向かっていく人に接することのできる自分は、本当に幸せ者だと思います。
古い記事ですがもう一度ここに掲載して祝福の言葉にさせていただきます。
○○○○○○○○○○
マクロビオティック実践者からこんなお話を聞きました。
「私のうちはみんな幸せだからこれでいい。それ以上他人の幸せに関知したくない。」
・・・・・
よくマクロビオティック実践者は、「自分が幸せになって、周りを幸せにして、世界の平和を」と言います。
しかし、その言葉を口にするだけで、あまり幸せそうでない人を見かけることが結構あります。
まるで、呪文のように「世界の平和」を繰り返す人が多いです。
人それぞれですから、どのように表現しようと自由なのですが、私はちょっと違うとらえ方をしています。
結論からいうと、幸せって一人で得られるものではないということです。
つまり、自分だけが幸せで、周りにいる人が不幸せという構図はないのです。
自分が幸せだと思える時は、周りの人も幸せで、限りなく愛おしくなければなりません。
幸せのステージの違いとでも言いましょうか。
それが人それぞれで違っているのでしょう。
でもね、自分が真の意味で幸せになるには、周りの人ももっと大きなところも幸せ(平和)でなければ、自分の幸せはまだまだ未熟だと思うのです。
* * *
抽象的すぎますので、ちょっと具体的なお話を。
古?いお話で恐縮ですが、私が独身時代に「タンンポポ」(伊丹十三監督)という映画がありました。
あまりヒットしなかった作品ですが、その映画のラストシーンが今も目に焼き付いています。
母親が胸をはだけて授乳しています。
ただそれだけのシーンが徐々にズーム化されて、最後はスクリーンいっぱいになります。
無心にお乳を吸う赤子と、柔らかな乳房のふくらみが目に焼きつきました。
スクリーンに漂う匂いたつような優しさ。
美しさ。
慈しみ。
安心。
この感覚はどこから来るのだろう?
限りない愛。
無償の愛。
この光景にはこれがある。
そう、愛なんですね?。
深い深い愛情。
その愛情の原点は、親が子供に与える愛情だと思います。
そして、この愛をず?っとず?っと心の奥深くに落とし込んであげると、エクスタシーを感じるのです。
涙が出てきます。
愛が頂点に達すると、人間って泣けるんですよね。
愛をここまで感じられたら、自分と他人の区別がなくなります。
そして、物にまで一体感を感じるようになります。
自分も周りの人も、そこの机も車も、お隣の家も、まだ見ぬ人も物も動物も、草花・山の木々・砂浜・空・風・地球・宇宙も、これらのすべてが一つに感じます。
* * *
この一体感。
すべては繋がっていることの認識。
そこに到達すると、限りない安堵感が拡がって、これこそが真の幸せだと自覚できます。
そこに至らない幸せ感は、まだまだ本物ではないのだと思います。
話はそれますが、愛する男女が交わって一体になった時の幸せ感は、この宇宙規模の幸せを縮小したものなんでしょうね。
ちなみに私の場合は、宇宙との一体感を自覚出来たときは、まるでセックスの時のオルガスムスのように、とっても気持のよいものでした。
心地よいことだから繰り返したくなります。
繰り返すことによって、ますます気持ちが安定するんですね?。
このように、あらゆるものと心が通じて精神的に一体感を感じたときには、安心して心が開き、信頼感も増して落ち着くのだと思います。
この状態が真の意味での幸せではないかと私は思っています。
* * *
桜沢如一先生は、この宇宙との一体感をもって世界平和を実現されたかったのではないでしょうか?
「マクロビオティックは世界平和を目指すもの」と短絡的に受け入れるのではなく、愛をどこまで深く掘り下げることが出来るかが大切なのだと思います。
このことがあなたの人生を大きく左右することも、桜沢如一先生の説かれたかったことなのだろうと想像します。
「むそう塾」ではこの精神を大切にして、皆さんと真の幸せを求めるために「幸せのマクロビオティック」を意識しています。
そして、それを実現するべく、「むそう塾」のテーマは「愛」です。
自己愛、夫婦愛、家族愛・・・動物愛・・・自然愛・・・地球愛・・・宇宙愛、それらのすべてを追及していきたいと思っています。
ですから、「むそう塾」でどうぞ「愛」を育んでください。
そして、本物の幸せに辿り着いてください。
中川さんと私が全身全霊で皆様と向き合います。
本年があなたにとって、最良の年になってくれますよう、心からお祈りしております。
(2009年1月1日記)