何年も前から感じていたこと。
そして、最近も感じたこと。
思い切って記事にします。
よく、マクロビオティックに出会うと、その素晴らしさに感動して、すぐ広めようとされる方がいます。
家族や友人、まったく知らない方へ。
そのお気持は分かりますが、ちょっと一呼吸おかれることをお勧めします。
なぜなら、マクロビオティックは諸刃の剣だから。
このブログでも何回もしつこく取り上げていますが、マクロビオティックを正しく理解しないまま広めてしまうと、危険ですらあります。
難しいことを理解するには、それ相当の年数がかかりますが、気軽にご家族や友人と美味しさを楽しむ程度のことは良いと思います。
くれぐれも偏らない範囲でね。
でも、伝えることを意識するとちょっと事情が違ってきます。
* * * *
先日、「美味しい玄米ご飯の炊き方」や「むそう塾」のことを伝えることをしたいという方にお会いしました。
意識してというより、かなり自然体である部分を含んでいるのですが、今一つしっくり来ないのです。
それは、きっと、その人の「氣」が上がっているからなんだと思います。
そして、ふっと思いました。
このようなタイプの人が多いのは何故なんだろうと。
それは二つの理由があるように思います。
一つは、丹田に意識が行っていない。
つまり、「氣」が上がっているということですね。
「氣」が上がるということは、マクロビオティック的にいうと、陰性が多いということですね。
しっかりした陽が体にあれば、「氣」は丹田にあるはずです。
「氣」が上にあると、先(将来)のことばかりに気持ちが行ってしまい、夢が先行するのです。
もう一つは、コマーシャルの影響でしょう。
テレビが登場してからというもの、一方的な情報発信に慣らされ、さらにコマーシャルが判断力を狂わせる時代に生きて来た人達は、良いと思ったものを比較的軽い気持ちで勧める行為に出るのだと思います。
ですから、マクロビオティックにしても、先の玄米ご飯の炊き方にしても、単純に良いと思ってくださった結果の行動なんだと思います。
しかし、何かを伝えるということは、まず、伝えるべきものをしっかり自分のものにすることが先決です。
受け売りではなく、自分の血となり肉となるほど、そのものを咀嚼し尽くすべきだと私は思います。
良い面も悪い面も、両方自分で体験してみて、納得したものでなければ伝えてはならないとも思います。
そうでない伝え方は、限りなく無責任であるというのが、私の結論です。
でも、ここまで書くときっと、思い上がりではないかとか、傲慢ではないかと、叱責を受けそうですね。
それは覚悟の上です。
だからこそ、私も自分で咀嚼するべく、勉強の日々であり、これは自分への戒めの姿勢でもあるのです。
ちなみに、マクロビオティックを完全に自分のものにしようと思っていたら、一生かかっても達成できません。
ですから、どこかで見切り発車せざるを得ません。
そして、死ぬまで勉強の日々なんですね。
* * * *
これから何かを伝えたいと思っていらっしゃる方は、努めて質の良い陽性を体に取り込んでおきましょうね。
そして、丹田に力が入るような人になってください。
まずは自分づくりからです。
過去に書いた記事の中から、この言葉をあなたにもう一度送ります。
<新聞を売っての感想>
(1) 一つの思想を売るのだから、どんな相手の人をも抱擁するような、いや愛されるような表現がないとダメである。
(2) 自分の態度に、傲慢なところ、排他性があっては売れない。
(3) 自己批判には、もっとも役立つ行為である。
(4) その日の売上部数は、その人の健康など人間の完成度のバロメーターである。
【注】(1)の「一つの思想」とはマクロビオティックのことです。
全文は次の記事からお読みください。
「マクロビオティックについて最近思うこと」