久司道夫先生の講演会

10月29日(土)に久司道夫先生の講演会に行って来ました。
今年の9月から10月にかけて、全国十数ヵ所で開催された一連の講演会とは、
主催者が違うのですが、当日は久司先生の日本における今年最後の講演とあっ
て、多くの方が参加していました。


演題は、前半が「平和の実現」、後半が「意識の進化」 です。
公演内容は、ほとんどが久司先生のご著書に書かれているものであり、その内容
を確認する感じでした。
非常に内容の濃いテーマを、短時間でお話されていたので、予習なしの受講者は
??のところが多かったかも知れません。
でも、その後に先生のご本で公演内容を復習すれば、力がつくこと請け合いです。
しかし、悲しいかな、予備知識のない人は、後で復習しようにも、“解らなかったこと
が判らなくなる”ので、予習は大切ですね。
プロジェクターを使っての説明が主だったのですが、すべて英語版だったのが残念
です。
そこに引用されている図も、すべて本に書かれているものなので、本を読みなさい
ということでしょうか。
例によって、歌を交えながらのお話でしたが、講演の締めくくりとして“椰子の実”を
唄われた時、私は涙が流れてしまいました。
異郷の地で、故郷に想いを馳せながら、マクロビオティックの普及活動をされた久司
先生の胸中を想像すると、万感胸に迫るものがありました。
久司先生のご活躍に敬意を表して、ご一緒に“椰子の実”の歌詞を味わって下さい。
     *    *    *    *
        椰子の実
                     島崎藤村作詞
                     大中寅二作曲

名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷の岸を 離れて
汝はそも 波に幾月
旧の木は 生いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚を枕
孤身の 浮寝の旅ぞ

実をとりて 胸にあつれば
新なり 流離の憂
海の日の 沈むを見れば
激り落つ 異郷の涙
思いやる 八重の汐々
いずれの日にか 国に帰らん


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大森英櫻先生の「偲ぶ会」

きょうは、大森英櫻先生の「偲ぶ会」でした。
場所は「三鷹産業プラザ」。12時受付開始。会費5,000円
私は11時30分に到着しましたが、すでに数名が着席されていました。
会場に入ると、「正食医学セミナー」(宇宙法則研究会)のビデオが流れていました。
大森先生の声を聞いたとたん、「うっ」と込み上げて来るものがあり、いつものスマイルで
講義をなさるお顔を拝見していると、何だか大森先生が亡くなったように思えませんでした。
でも、隣席のご夫人が不自由な体を押して出席されたお話を伺っていると、だんだん「本当
にいなくなってしまったんだなぁ」と感じると同時に、涙が頬をつたいました。
玄米を食べている者同士は、初対面でも穏やかに話をできることは何度も経験済みですが、
開始を待つ間に近くの方々と大森先生のお話をしていると、青森・沖縄・京都など遠方のかたが
とても多いことにびっくりしました。
ところで、大森先生のお写真は、少し微笑んでいるもので、とてもいい表情でした。
ニヒルな笑みではなくて、心からの安らぎが漂ってくる、穏やかな微笑です。
    *    *    *    *
さて、1時7分、黙祷で偲ぶ会が始まりました。
その後、石田英湾先生がご挨拶をされ、230名ほどの参加者がある旨のご報告がありました。
また、英湾先生は、「大森先生の真似事でもいいから、私達は日本の正しい文化を守って広めて
いきたい」と話されました。
次に、半断食の國清拡史(くにきよ・こうじ)先生のご挨拶。
「大森先生は自分で考えろと言葉では言わないけれど、いつも感じていた。」
「大森先生のように自分に厳しく、他人に優しくできる人を、私は他に知らない。」
その次が、愛知県小牧市の伊藤誠先生のご挨拶。
「大森先生は病気治しをする時、病人と同じ物を食べることに感動した。」
「骨折した直後なのに、痛み止めの注射を打って板の上に横になり、寝た状態で最後の講義を行な
ったのは、常々自分のことより皆のことを思って50年間運動してきた姿勢そのものだ。」
最後は、宇宙法則研究会料理部の加藤千枝先生のご挨拶。
いつも包丁を持ってまな板に向かっているので、このような場は慣れないからと原稿を読まれたが、
あまりにも表情の素晴らしいかたで、みとれているうちに内容を失念してしまった。
1時45分、正食医学セミナーのビデオが上映される中、一人ずつ白菊の献花が始まりました。
(ビデオの講義タイトルは「一、宇宙法則と万物創世学等」「二、マクロビオティックと正食医学」)
2時10分、指名されたかたの一言スピーチ開始。
まず、長生堂の山本英勝先生
「大森先生は玄米と病気治しをされたので、私は玄米と歩くことを研究したい。」
次に、元リマ東北沢店の店長、田山氏
「大森先生は、私の青春のすべてだった。」
以下、住所地とスピーチの内容
鹿児島:女性
     「大森先生、地上界にメッセージを送って下さい。」
長野県:女性
     「大森先生は、亡くなった時たぶん38キロだったが、骨壷に骨が入りきらないほど、骨が多か
     った。」
熊本県:男性
     「私にとって大森先生は、お釈迦様より最高の人物だった。」
     「私達は、後世に無双原理を広める必要がある。」
福島県:女性
     「病気の経過、注意点が、大森先生の言ったとおりになるので、びっくりした。」
     「一粒万倍をしたい。」
東京都:男性(98歳) (桜沢先生のもとで、事務局長も務めた方が、足が悪いので出席できない
               けれど、お手紙を頂いたと、英湾先生が代読。)
     「大森先生に100歳まで生きて下さいと言ったら、『私は若い時から体をいじめているから、
     そんなに生きれないよ』といった。」
宮城県:男性
     「巨星落つ」
2時52分、飛び入りスピーチ。
男性:「夏、白い麻のスーツを着て、すごいスピードで歩く姿に、さすがと思った。」
    「全世界の損失だ」「まさに巨星」
女性:「先生のお宅にお邪魔した時、先生自ら栗をゆでてご馳走してくれようとしたが、真っ黒に焦が
    してしまい、『君達に食べさせようと思ったのに・・・』と残念そうに真っ黒な鍋をみせてくれた。」
ここから、また、指名されたかたのスピーチ。
京都:女性
    「大森先生が、人間の判断力を一段階上げるには100年かかると言っていた。」
    「『小生の生涯の悔いは、英語を勉強しなかったことである』と手紙に書いてあった。」
沖縄県:女性
    「玄米が入らなくなった時、大森先生は『陰陽を4つに分けてな』と言った。」
    「病気で、どうしてもホルモン治療以外に道がなかった時、大森先生が『病院がダメっていって
    るんじゃないぜ、陰陽が合っていればいいんだ』といった。」
    「無双原理は哲学だからなぁ、女性には無理なんだよ。」
    「先生が残した言葉を、自分の感情を入れずに、たくさんの人に伝えていきたい。」
3時30分、大森一慧先生のご挨拶。
「大森は、2,3年前から死後の世界に興味をもっていた。でも、『あの世から戻ってきた人はいない
もんなぁ』とも言っていた。」
「子供達は、お父さんの手の平の上で動かされていたと言う。」
「大森の死後、不思議なことがたくさん重なった。」
「1歳6ヶ月の12番目の孫が、空間を指差して『じーじ、じーじ』と言う。」
「四十九日を過ぎてから、色々な考えが少しずつまとまってきた。想念・パワー・エネルギーは、
すべてこの世に置いていくんだなぁと思った。だから、霊はあると思う。肉体にエネルギーがなくな
ったら、宇宙に帰るんだとも思う。」
3時35分、すべて修了した。
お土産は、 
 1 「人間 大森英櫻」の本一冊
 2 玄米ご飯(おにぎりのような三角の形で、プレーン1個、黒豆入り1個)
 3 寒漬け大根一切れ 
  4 小梅1個
 5 みかんジュース1本(大森先生が、みかんが好きだったのでと説明あり。)
  (上記2・3・4は、宇宙法則研究会の料理部が、二日がかりで作ったそうです。)
    *    *    *    *
「偲ぶ会」に出席して思ったこと。

まず、文字どおり、北は北海道から南は沖縄まで、全国のいたる所から駆けつけたかたの何と多
かったことか。生前の大森先生が、いかに活動範囲が広かったかを証明していると思いました。
また、大森先生に感謝している人達が、義理ではなく、心から出席したいとの想いを持って集まった
せいか、とても良い波動に満たされていたのが、印象的でした。
何しろ、30年・40年と玄米を食べ続けている、颯爽とした人達が集まっているのですから、当然と
言えば、余りにも当然ですが・・・。
よく、「お葬式でその人の人生がわかる」と言いますが、まさに、大森先生の人生の縮図をみた思いが
したのは、私だけではなかったと確信します。
大森先生は、玄米だけでなく、生き方をも教えて下さいました。
細かくは、おいおい書くつもりですが、きょうの出席者をみると、年齢がやや高めの人が多いものの、
老若男女が実に見事に調和しているのです。
真の幸福は「完全調和」であり、それが自己完成に至ることを思うと、大森先生の偉大さを改めて感じ
ました。
大森先生から教えを受けた者の一人として、その功績を忠実に多くの人達に伝えることを、大森先生
の遺影にお約束をして、会場をあとにしました。
大森先生、一粒万倍ですね。
見守ってくださいね。
 
            


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時の想い出

時を刻め
時を惜しめ
そして
ときには
時を忘れ
時をかみしめよ
   *   *   *   *
これは、私が高校2年生の時にかかわっていた文芸集の巻頭言として書いた詩で
す。
当時は、今のように毎日大忙しの日々を過ごしていました。
文章を書くのは大好きで、一晩に原稿用紙116枚を書き上げたこともありました。
その頃は、新聞部に所属していて、明日から期末テストだというのに、学校新聞の
校正のため、23キロも離れた印刷所の片隅で赤鉛筆片手に真剣でした。
顧問の先生が車で送り迎えをして下さったのですが、その先生は「倫理・社会」の
担当でした。そして、明日はそのテストなのです。
 「あ?、あしたはテストだな」
 「はい、先生テスト難しいですか?」
 「いや、簡単だよ」
次の日、問題用紙をみると「・・・について述べよ」というのが二つ。
ちょっと考えて、あとはひたすら鉛筆を走らせるだけです。
好きでしたねぇ、こういう問題。
フロイトの本をよく解らないまま読んだり、毎日夢日記をつけて夢判断をしたり、心理
学に興味をもった時期でもありました。
当時も一日に30時間ほしいと友達にいっていましたが、状況は似ていても今の私
は、心穏やかに時間を忘れて過ごせるようになって来ました。
*   *   *   *
時を忘れ
歳を忘れ
120歳超えるだろう


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手づくり味噌の想い出

「マクロビという考え方」の自家製味噌がおいしいの記事に刺激されて、
私もお味噌に関しての想い出をひとつ。
私は、ず?っと母の手づくり味噌で育ちました。
私の実家は北海道の十勝です。
十勝は豆の産地なので、味噌の材料である大豆は、当然家の畑で栽培
していました。
ですから、母はその豆で沢山の味噌をつくっていたのです。
母は、「三年経った味噌が一番美味しい」と言って、三年前のものから
食べさせてくれました。
木の樽に仕込むときは、子供達も喜んで手伝ったのを、懐かしく想い出し
ます。
仕込んだ順に、チョークで年月日を記入して、開ける順番の遅いものから、
奥に並べました。
当時は、漬け物小屋(冷暗所)があって、漬け物好きの母は実に色々な
漬け物を漬けていました。
当然、その味噌を使った「味噌漬け」もありました。
母は92歳になって、樽を持てないからという理由で味噌作りをやめました。
残念ですが、仕方ありません。


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言葉と潜在意識

泊りがけでのワークショップ、癒されました?。
若女将さんの手から、パワーをスリスリ刷り込んでもらって大満足!
kodamacro netさんともお話できて、これまた大満足!
ところで、潜在意識の重要性はよくわかっていても、つい、現実が優先
してしまうことがあります。
先日の“時間がほしい”の記事がそうでした。
そんなかたは、きっと他にもいらっしゃると思うので、ご存知でしょうが、
あえて、再確認の意味で書いてみますね。
           *   *   *   *
プラスの言葉
嬉しい  楽しい  充ち足りている  快適だ  爽快だ  元気だ  丈夫だ
おだやか  美しい  きれいだ  
できる  自信がある  必ずやる  成功する  余裕がある
順調にいく  どんどんよくなる  必ずうまくいく  私は運がいい
私は幸せだ  称賛の言葉
プラスの感情
愛  慈悲  喜び  満足  安心  希望
調和の心
マイナスの言葉
腹が立つ  憎い  苦しい  つらい  悲しい  困った  難しい
できない  わからない  自信がない  時間がない  いやだ
ぞっとする  けがらわしい  暗い  私は運が悪い  どんどん悪くなる
私は不幸だ  そしりの言葉
マイナスの感情
怒り  憎しみ  恨み  ねたみ  そねみ
不幸  不満  不安  ぐち  ひがみ 
恐怖  失意  悔やみ  苦しみ  悲しみ  怠惰
           *   *   *   *
どうです?
最近、マイナスの言葉を口にしませんでしたか?
心当たりがありますか?
潜在意識が心身に及ぼす影響は、想像以上に大きいそうですよ。
プラスの言葉とプラスの感情で、毎日を送りたいですね。


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