(うまい!)
(なんてうまいんだ!)
(唐揚げと合うなあ!)
(以上 写真:中川善博)
洒落たボトルに詰まったうまいもん。
新しい感覚のデザインに懐かしい味のビール。
緑の瓶が素敵だね。
女性たちもカンパーイ!
ハートランドビール(キリン)
(うまい!)
(なんてうまいんだ!)
(唐揚げと合うなあ!)
(以上 写真:中川善博)
洒落たボトルに詰まったうまいもん。
新しい感覚のデザインに懐かしい味のビール。
緑の瓶が素敵だね。
女性たちもカンパーイ!
ハートランドビール(キリン)
先日のこと。
東京から京都へ向かう新幹線の車内はいつもどおり乾燥していました。
試しにちょっと湿度を計ると22%です。
もっとひどい時には16%なんていう時もありました。
そんなことをTwitterでぼやきながら京都に到着すると、雪がちらほら。
翌日の北山や比叡山は白くなっていました。
昨日は中川さんから加湿器をプレゼントされました。
こ、こんなに小さいの(゚д゚)!
スポッとコップの中に収まります。
もちろん、電源が必要ですが、パソコンにも差し込めるようになっています。
右側がiPhoneのコード。
左側が加湿器のコード。
こんなに小さいのに、生意気にもタイマーもついています。
4時間と8時間。
青いのがタイマーがセットされている状態。
右側2時あたりのところの薄茶色に軽くふれるとタイマー解除もできます。
蒸気はこのくらい出てきます。
(ああ、うっかり縦撮りしてしまった・・・)
[youtube]
ということで、これはオフィスでスポット加湿に便利だなと思いました。
お仕事でパソコンを使っていたら、パソコンに接続して使えば良いし、iPhoneの充電と同じくコンセントに接続しても使えます。
インフルエンザの流行る季節ですが、喉の乾燥を防ぐだけでも効果はあります。
ウイルスに負けないように、水分はしっかり補っておきましょう。
中からも外からも。
商品名:FOGRING フォグリング ポータブルマルチ加湿器 ホワイト WH
(カラーもあります)
価格:3,150円
類似品にご注意。
突然ですが、人生の最期をあなたは設計されていますか?
あるいはあなたの身近な人は、人生の終わりについて何か意思表示をされていますか?
何も意思表示をしていないと、残された家族は困る場合があります。
私も父や母の最期にあたって、そのことを感じました。
何かひと言、これといった希望を残しておいてくれたら、手術に際して兄弟で意見が分かれなくてもいいのになって思ったのが父の時。
反対に母は、いつお迎えが来ても良いようにと、すべての準備を整えて毎朝般若心経を唱える暮らしをして、最期は子供たちも納得のお別れが出来ました。
生前に自分の最期はどうしてほしいのかを残される家族に意思表示しておくのは、先に逝く者としてのマナーだと私は思っています。
なぜなら、今は昔と違ってなかなか自分の思うとおりに死なせてもらえない現実があるからです。
黙っていると、家族の情で判断してしまう場合があって、心臓が動いているだけの状態になりかねません。
でも、常々マクロビオティックの考え方で暮らしていると、こんなときスッと答えが出せます。
人間は自分で食べられなくなったり、自分で排泄できなくなったりすると、それはもう生き物として終わりが近づいている証拠なのです。
つまり、生きて行くための陽性エネルギーが枯渇しかかっているわけですね。
そこに何かしらの感情移入をしてみても、生命ある者の本当の生きる姿ではありません。
むそう塾では「むそう塾スタイル」という言葉を使っていますが、それは「死」をも含めて無双原理で生きてみようという提案です。
私たちは常々自分の健康や死について、他人任せにしていないでしょうか?
お医者さんに丸投げするのではなく、まずは自分で自分のことは完結する生き方をしようというのがマクロビオティックの考え方です。
「生き切る」ということですね。
その過程でお医者さんの力を借りなければいけない時には、きちんとお世話になるのも良いでしょう。
しかし、あくまで生きる責任は自分にあるのだということを忘れてはなりません。
その基準になるのが、「自力で食べられなくなったら生き物としては終わりが近い」ということです。
あるいは、自力で排泄ができない時も同様です。
私の父も母も95歳で亡くなりました。
ともに癌でしたが、父は93歳で手術をし、母は痛みを取るために最後は入院しました。
父の手術に際しては、私を含む娘たちは高齢だから反対だったのですが、兄は情緒的判断で手術を希望しました。
兄の気持ちも良く理解できたので、最終的には私たち姉妹も手術に同意しました。
その時の私の一つの拠り所は、父はまだ食欲があって消化がちゃんと出来たからでした。
ただ、直腸がんで排泄に支障を来たしたのです。
父は手術が終わってから退院すると、母の手料理を「うまいな」と何度も言いながら笑顔で食事していました。
兄の希望はこれだったのです。
何年にも及ぶシベリア抑留生活のため、飢えと寒さでボロボロになって、命だけ残って帰国した父のために、1口でも多く食べさせてやりたかったのでした。
母は乳がんだったので、食欲も排泄も支障はありませんでしたが、痛みを取り除く(正確には感じさせなくする)薬のためにだんだん食欲は落ちていきました。
最期は眠るように亡くなったと兄から聞きました。
母の死に際に「今くれば間に合う」と兄から電話をもらいましたが、むそう塾の授業があったので北海道行きの飛行機に乗りませんでした。
母には心の中で手を合わせて。
(蓮根 むいた人:中川善博)
きょうは冷蔵庫の残り物整理のために、色々なお料理をしていました。
少し残っていた里芋をむきながら、フッと思ったことがあります。
野菜や果物を選ぶときの目利きの一つに重さがあります。
器でも絹の反物でも重さが品質の善し悪しを決めることがありますが、その理由は密度の濃さでしょうね。
マクロビオティックの陰陽でいうなら、密度の高いほうが陽性ということになります。
同じ大根でも南瓜でも里芋でも、大きさの割に重いものは中身が詰まっていることになります。
収穫してから日数が経つと、まずは水分が減り始め、次には一つひとつの細胞が痩せてきます。
すると当然ながらそこには隙間が生じるので、包丁を入れるとサクッと気抜けするような軽さになります。
これがまだ新鮮なときなら、包丁を入れた時の感じがムチッと吸いついてくるような圧迫感があります。
ですから、持った瞬間、包丁を入れた瞬間に陰陽が判るというわけです。
これは結構面白くて、的中率は100%と言ってもよいくらいです。
里芋の皮をむいて切ってみると、「ああ、やっぱりね」と陰陽を確認することになるのですが、持った時に軽いものは皮に近い部分から崩壊が始まっています。
(ああ、やっぱり陰性から始まるのねぇ。)
あるいは全体的に組織が緩んで、すでに食べ物としての栄養価も旨味も薄いであろうことを目で確認できます。
茎に近い部分は密度が粗くて陰性であることがすぐ判ります。
食べてもこの部分は下の部分より陰性で味が落ちますから、多めに切り落としたりして陰陽を感じながらお料理をするのはとても楽しいものです。
里芋の皮を向きながら、これをそのまま人間に当てはめると病気になった人と一致するのです。
元気なうちは水分も細胞も満ちてピチピチしていますが、何らかの理由で組織にゆるみが生じてくると、そこを突破口にゆるみが全体に及んで、やがて崩壊してしまいます。
細胞ってやっぱりゆるんではいけないんだなと、里芋から教えられた気がしました。
マクロビオティックでは陰陽で物事を判断しますが、盲目的に陽性を良しとして陰性を嫌ったりするのではなく(またその反対を良しとするのでもなく)、目の前にある現実から陰陽を確認して納得することがとても大事です。
普段の生活のそこかしこに陰陽は転がっています。
というか、陰陽の中に私たちは暮らしているわけですから、そのことに気づいて自分の身体や生活に当てはめれば良いわけです。
そうすることによって、病気になる理由や健康になっていく方法も自分で考える力がついて来ます。
まずは細かな觀察がスタートになります。
(里芋)
きょうは1月7日。
今は新暦で世の中が動いているので、新暦に合わせて七草粥の記事を書きましょう。
我が家では旧暦を意識して生活をしていますが、お正月を過ごした後のお食事という意味で七草粥に触れたいと思います。
中川さんのブログにはちゃんと七草粥について書かれた丁寧な記事がありますので、プロの世界を知っていただくのが一番ですから、それらの記事をご紹介します。
今は過去記事を遡って読む人が少ないのでね(/_;)
ちなみに今年の旧暦1月7日は2月6日(木)です。
その時にこの七草粥を味わってみてください。
周りの景色はどんなでしょうか?
(玄米の七草粥 料理:中川善博)
この盛り方は参考になります!
ちょうど1月7日が授業日だった年があって、その時にこんなふうに盛られた七草が登場しました。
みんなで中川さんの説明を聞いて「なるほどー!」と勉強になったものです。
そういえばこの写真の七草粥は、中川さんが1週間の断食明けの回復食になったのでした。
私にとっては想い出深い写真です。
(七草 料理:中川善博)
次の記事はぜひお読みください。
お若い方には参考になるはずですよ。
料理方法も書かれています。
「松の内 たまには画像無しでお話してみよう」
なお、旧暦については私の過去記事でも書いておりますので、そちらをリンクしておきます。
「お正月と旧暦の話」
2006年の記事ですが、マクロビオティックを知った人は旧暦も意識されたら良いと思って書いたものです。
自然界と同期するという意味では旧暦の方がピッタリするからです。
なぜなら、私たち人間もまた自然界の一部として生きているからですね。