袖振り合うも多生の縁といいますが、私たちは日々の暮らしの中で色々な人と出会って影響を受けながら生きています。
本人が自覚するかどうかは別にして、必ずなんらかの影響を受けています。
日本にはもともと仏教思想がありましたから、昔の人は輪廻転生を当然のように思って暮らしていたのでしょう。
しかし今は葬式仏教なんていわれて、あまり思想的に意識しなくなったような感じがしてしまいます。
それでも私たちが何気なく使っている言葉の数々に、仏教の中で用いられる言葉がたくさんあります。
マクロビオティックもそんな世界に相通じる考え方をしているため、人間関係を陰陽で考えていくととても落ち着く答えにたどり着きます。
冒頭の諺であえて「他生の縁」の文字を用いなかったのは、そんな背景を考えてのことです。
ところで、生きて行くためには働くわけですから、当然仕事上、あるいはその他でも人と接触するわけです。
それは月並みな言い方をすれば「ご縁」なのですが、そのご縁をどのように受け止めるかで人生は大いに変わります。
人間の個性は多岐にわたりますから、その個性と波動の合う人もいるでしょうし、合わない人もいるでしょう。
あるいは苦痛に感じる人がいるかも知れません。
人間にはタイプがあって、広く浅くつき合うタイプの人と、狭く深くつき合うタイプの人がいます。
さらにはその両タイプを併せ持った人もいます。
そのタイプによって職業の向き不向きが判断できますね。
私は人間が好きなので、やはり深くつき合うのが性に合います。
こちらで相手のことを苦手だと思うと、その気持ちは相手に伝わっているものです。
ですから私は相手のことを好きになろうといつも思っています。
そうすると、どこかで焦点が合った感じがする時があって、それはそれは嬉しいものです。
漠然と人生を送っていると、感情で動いてしまいがちになります。
それはまたトラブル発生の原因にもなります。
しかし、一期一会のご縁を大切に思う気持ちで生きていると、人とのかかわりが愛おしくなります。
そしてその人から沢山のものを受け取りたいと思うようになります。
反対に自分も誰かに何かをお返ししたくなります。
そんな関係が生きるということなのではないかと思うのです。
人間には大きく打てば大きく応え、小さく打てば小さく応える面があります。
熱意が相手を動かすのはその好例ですね。
私はいつも大きく打ちながら生きて来た感じがします。
無鉄砲な感じもしますが、十分に満足しています。
信頼関係は大きなエネルギーになって、良い氣を生みます。
そんな関係が築けると人生って面白いですよね。
マクロビオティックでは人間関係も陰陽で判断しますが、ご縁があった人とはなるべく陽の関係でありたいですね。
陽といってもゆるやかな陽からタイトな陽まで段階があります。
あなたが発した氣はまたあなたに返って来ます。(あなたの子孫にも返ります。)
こうして輪廻転生しながら人間は何度も生まれ変わるのです。
ですから、多生の縁を大事にしながら生きていきたいと思うのです。
(芍薬 教室の掛花が急に開きました)