最近驚くことがある。
マクロビオティックをしていても、桜沢如一先生の本を一冊も読んだことのない人が多くなっていることだ。
色んなルートでマクロビオティックを知ることになった現在では、このような現象も起きるのだと複雑な想いになる。
特に、ファッションでマクロビオティックを実践している(つもり)の人は、深刻な体調不良に陥っている人もいる。
・玄米を食べることがマクロビオティック(玄米以外はNGと思っている)
・肉や魚を一切排除することがマクロビオティック
・乳製品を絶対摂らないことがマクロビオティック
・白砂糖を摂らないことがマクロビオティック
・
・etc
挙げればキリがないほど、がんじがらめの条件下でマクロビオティック料理を作ろうとする。
こんな苦しいことは不自然だ。
マクロビオティックって苦しむためのものではなく、人生を楽しくダイナミックに生きることだよ。
そのことが、桜沢先生の本にきちんと書いてあるよ。
その本を読んだら、早熟な人は10代でものめり込んでしまうだろう。
私は遅くにマクロビオティックに出会ったけれど、やはりのめり込んだ。
それまでの経験や出来事を、マクロビオティックの観点から見ると、いとも簡単に答えが出てきた。
「な〜んだ、そういう事だったのか」。
原因と結果が符合していた。
何と無駄な人生を歩んだのだろうと愕然とした。
しかし、すぐさま思った。
私には、それらの体験が必要だったのだ。
生きているうちにマクロビオティックに出会えて良かった。
心から、そう思う。
* * * *
1966年(昭和41年)4月24日に、桜沢如一先生は急に倒れた。
その後の里真夫人の慌てふためいた様子を、恩師大森英櫻先生は幾度となく語ってくださった。
さっと消えてしまうところが桜沢先生らしいが、弟子達は相当ショックだったようだ。
この混沌とした今の時代。
何を信じていいか分からないことの連続。
溢れる情報に自信をなくしてしまう人が、何と多いことか。
そんな時代だからこそ、今まで以上にマクロビオティックの精神性が必要だと信じて疑わない。
魔法のメガネをかければ、あなたの人生は心穏やかになるし、真の自由を手に出来るし、何よりも世界が一つになれるのに。。。
明日の桜沢先生のご命日を契機にして、1人でも多くのかたが桜沢先生の目指した世界を真に理解されることを願っている。
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桜沢先生のお墓は、京都の上京区本法寺の中にある教蔵院にある。
こぢんまりとして、質素で、シンプルで、桜沢先生の人生そのもののように感じるはず。
櫻澤家十二代目の文字が歴史を感じる。
ちなみに、この本法寺には大きな桜の木がある。
桜吹雪が舞う季節になると、窪みに桜の花びらが集まる。
まさに「桜沢」だと思う。
綺麗な名前だ。
桜吹雪は、青い空によく似合う。