京都やマクロビオティックのことなど」カテゴリーアーカイブ

赤い鴨川

授業が終わって外に出た

西の空が見事に赤い

急いで鴨川へ

ああ、きれい

刻一刻と色が変わってゆく

一瞬のことなのに、いつまでも忘れない

感動って、こういうことなんだよね

 
 


(京都 鴨川 御池大橋から 2021.5.8撮影)

 
 

鴨川には床が並び始めた
夜になると床の明かりが情緒的なのだけど
今年はどんな景色になるのだろう?

 
 
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マクロビオティックの創始者 桜沢如一先生のお墓参り 一日早く

4月24日はマクロビオティックの創始者・桜沢如一先生のご命日です。
明日は授業があるため、今日のうちに3名でお墓参りを済ませて来ました。
少し風が強めでしたが、コートがいらないくらいの暖かさで、気持ちのよい一日でした。

今年も、新型コロナウイルスが終息しないどころか、25日からここ京都にも「緊急事態宣言」が発出されようとしている中でのお参りでした。

しかし、桜沢先生が示してくださった無双原理の考え方を知っているおかげで、いつもどおりに落ち着いて暮らせていることに感謝し、むそう塾生とそのご家族の皆さんもコロナとは無縁であることをご報告させていただきました。

このような状態の日々であっても、マクロビオティックを知っていると、「今どうすればよいのか?」ということが瞬時にわかって、とても心強いです。
陰陽の考え方は本当にすごい力を持っています。

 
 

お掃除が済んだ桜沢先生のお墓

 
 

では、ここからは時系列で。
まず、お墓のある本法寺の境内です。
緑が綺麗です。

 
 

 
 

桜沢先生のお墓は、本法寺の中にある教蔵院にあります。
(店子のような感じですね。)

お墓に着くと、まずお掃除から始めます。
ヘドロのように汚れがこびりついているので、それを指ですくい上げたり、持参したお掃除道具で磨いたりします。

 
 

水鉢をお掃除しています。
ここは故人にお水を差し上げるところなので、綺麗にします。
ちなみに、故人はお水とお線香の香りが、この世で生きている人の食べ物にあたるのだとか。

 
 

あっちもこっちも細かく汚れをこすって行きます。
麗可ちゃんも頑張っています。

 
 

次は線香立。
ここも汚れが詰まっていて、お線香が立たないくらいなので、中をほじくってから汚れを落とします。

 
 

やっとお掃除が終わりました!
わずか90センチ四方くらいの小さな小さなお墓です。
でも、大きな大きな夢をもって、多くの人に感動を与える生き方をした桜沢先生でした。

 
 

(桜沢如一先生のお墓は、京都市本法寺の中にある教蔵院にあります。)

<桜沢如一先生のお墓参り関連の過去記事より> 抜粋
マクロビオティックの創始者 桜沢如一先生のお墓参り 2020.4.23
マクロビオティックの創始者 桜沢如一先生のお墓参り 2019.4.24
桜沢如一先生のお墓参り 2018.4.24
桜沢如一先生のご命日 2017.4.24
桜沢如一先生のお墓参り 2016.4.25
桜沢如一先生の50回忌(4月24日) 2015.4.24
桜沢如一先生のお墓にご報告 2014.4.22
櫻澤如一先生のお墓参り 2013.4.22
櫻澤如一先生のお墓参り 2012.4.23

 
 
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京都の竹の子(筍)はなぜ美味しいか?

今が旬の竹の子。(筍とも書く)
しかし、美味しい筍の選び方を知っている人は案外少ない。

筍は一般的にえぐみのある食材のように思われているが、それは筍を掘る段階から間違っているからだ。
いや、「正確には育てる段階から」と言った方がよいだろう。

なにしろ、京都西山の筍は山自体を1年中かけて育てているのである。
急傾斜の中で、危険な場合もある過酷な仕事である。

下記の記事にそのことが詳しく書かれており、わかりやすい動画も載せられている。
「京たけのこ屋のたけのこ総合メディア」
京都らしく「京たけのこ」となって、よその筍とは違うんですと主張しているように感じる(笑)

こちらのPDFも参考になる。
「竹と竹の子について」

本当にこの西山でとれる筍はおいしい。
えぐみなど一切ない。
特に「塚原産」はミルキーで、私はここの筍で本当の美味しさを知った。
白筍」(しらこ)と呼ばれるものだ。

さて、筍掘りだが、動画にもあるように、予め「印付け」をしておいた場所で、早朝の暗いうちから掘り始める。
穂先がニョッキリ顔を出したのを掘るのではない。
筍は紫外線に当たるとえぐみが出てくるからだ。

東京にお住まいの塾生さんが、京都の「物集女(もづめ)産」を入手して復習投稿してくれたが、この写真のように白っぽいものが美味しいのである。
穂先の色、粘土質の土。
これが京筍の美味しさの決め手だ。
(サラサラした土では筍の保湿ができない。)

 
 


(京都 物集女産筍)

 
 

【塾生さんの作品より】

むそう塾では、京料理人である中川善博が、プロの味そのままを再現できるように教えている。
いつも、復習投稿のレベルが物凄く高くて驚くのだが、今回もまた素晴らしい投稿があった。

京都産の筍で復習投稿してくれた。
生まれてはじめて作った筍料理だ。
感想のコメントがまた素晴らしかった。

素人の私が、こんなに美しくてお上品で、とびきり美味しいお料理を作れるなんて夢のようです。

 
 

【菜の花と筍の炊合せ】

 
 

【筍の木の芽和え】

 
 

【筍と烏賊の木の芽焼き】

 
 

【筍玄米ごはん】

 
 

【若竹汁】

 
 

【生麩田楽】

 
 

この竹串は、竹道具屋さんが手で削り出してくれた芸術品である。
細かい技術に見惚れる。

 
 

<授業の様子はこちらから>
マクロビオティック京料理教室 むそう塾 第7期満足コース 日曜クラス
マクロビオティック京料理教室 むそう塾 第7期満足コース 月曜クラス

 
 
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桜が運んでくれた氣

2013年4月1日。
京都の「野村美術館」がある場所に桜を観に行った。
このあたりは「野村別邸 碧雲荘」をはじめとする別荘が立ち並んでいて、とても落ち着いた場所だ。
観光客の多くは有名な桜の名所に行くので、ひっそりと静かに桜を愛でて満足だった。

その足で琵琶湖疏水(岡崎疎水)の桜も観に行った。
そろそろ散りそうなほど満開で、岡崎疎水の景色がとても気に入った。
忙しい日々の1時間ほどの出来事だったが、私はとても癒やされた。

毎週京都と埼玉を往復する生活をして丸5年。
そんな慌ただしい私を一瞬にして癒やしてくれた。

時は経って、京都は外国人観光客が増え、私が泊まるホテルもなかなか予約しにくくなってきた。
毎週新幹線代もホテル代もかかるので、いっそのことマンションを借りた方がよいと顧問税理士がすすめてくれた。

すぐ希望物件を2つ見に行ったけれど、ピンと来なかった。
翌週、不動産屋さんの男性が、「僕がいいなあと思っている物件があるんですけど」と切り出したので、早速行ってみた。

なんと、2年前に私を癒やしてくれた岡崎疏水の近くだった。
平安神宮の近くで、氣も申し分ない。
部屋の作りもゆとりがあって、とても気に入った。

こうして2015年7月から京都に住み始めて、もう6年半が過ぎた。
毎朝東山から昇る太陽と、西山に沈む太陽を見ていると、つくづくこの土地を選んでよかったと思う。

桜が運んでくれた氣とでもいうのであろうか。
8年前のあの日と同じ場所に立って、岡崎疏水の桜を眺めていると、気持ちが高鳴ってあの日を想い出す。

その日の私はブルーのコートを着ていた。
今年もまた、そのコートを着た。

 
 

 
 

*   *   *

京都 岡崎疏水の桜 2013.4.2
京都 野村別邸の桜を眺めながら陰陽を想う 2013.4.2
風の通り道は氣の通り道 京都東山のすぐそばの風 2015.7.15

 
 

今年は桜の開花が早かった。
でも、まだ咲いているところも多いので、4月になっても桜を楽しめる。

3月28日の強い雨の夜。
中川さんが写した桜が素敵だった。
どこか寂しげで、儚い桜が今にも語りだしそうだ。
やっぱり中川さんの写真は違うなあと感心する。

 
 


(高瀬川の桜 中川善博iPhone撮影 2021.3.28)

 
 
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京都らしい食材 麩嘉さんの花麩 そして京文化の一端

京都のお料理や食材には、ここまで考えるのか!という繊細さがある。
たとえばその一つに「花麩」がある。

むそう塾では「麩嘉」さんの生麩をお料理に使うことが多い。
先日も愛クラスの「福ZEN」に桜の花麩が使われた。
桜の季節だけ1ヵ月間くらいしか売られていない。

 
 

 
 

この後は、緑のもみじ麩になる。

 
 

そして、秋になって紅葉が始まると緑に黄色やオレンジが入って来る。

 
 

もっと紅葉が進むと緑が消えて、オレンジが増える。

 
 

紅葉真っ最中の、もみじ麩。
季節とともに、小さな食材の表情まで変える繊細さ。
そんなところが京文化の一端なのだと思う。


(料理:京料理人 中川善博 マクロビオティック京料理教室 むそう塾)

*   *   *

そしてもう一つ、京文化の特長に「控えめ」というのがある。
これはかなり色々な場面で感じるが、お料理にもそれがあって、これが関東とは大いに違うように感じる。

先日、塾生のきよさんが素敵なコメントをしてくれた。
深いところまで感じ取っているのが素晴らしいなあと思った。
こちらの記事

どちらも、本当に細かい技術の詰まったお料理だなという事を
実感しました。
控えめな美しさと、主張しない、でも細かな技術に
「お料理」というのは、こういうものなんだなと感じました。
こんなお料理を教えて頂ける事、本当に嬉しく思います。

本来この「控えめ」というのは、日本人の美学でもあったと思う。
しかし、生活の欧米化とともに、むしろ「控えめ」はよろしくないような風潮があった。
でも、ここ京都では、今も「控えめ」が当たり前のように感じる。
「よそさんはよそさん」ということで。

 
 
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