京都 祇園 いづう本店 京ちらし寿司

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京都 祇園 いづう本店
一般のお寿司屋さんとは違って、巻物が主体の一風変わったお店です。
店内はカジュアルで気楽なテーブルが4席あります。
座席の予約はできません。

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京ちらし寿司

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錦糸玉子は本当に糸のような細さでした。
こんなに長く絡みあっています。
白は手綱烏賊。
細長い茶色は木耳。
なかなか絶妙なマッチです。
巻物(陽性)が多い中でこのちらし寿司はほっこり出来る陰性をもっていていいなと感じました。

 


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京都のいなり寿司(いづう)

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あの鯖寿司でお馴染みのいづう。
京都大丸の地下にいなり寿司が売っていました。
祇園の本店メニューにもなく、ここでしか売っていないそうです。

 

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案の定薄味で東京に比べて甘さはかなり控えめでした。
その分お出汁とお揚げの香りが漂って来ます。
でも私的にはもう少しすし飯の甘さが控えめでもいいかなと思いました。
中川さんによると京都のいなり寿司は三角が多いそうですが、これは俵型でした。
三つ葉と柚子がアクセントでとても食べやすかったです。
京都のお土産にされると喜ばれるかもしれません。
あっさりしているので写真の量は一人で食べられます。

 


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病気を治すな病人を治せ

健啖家ってマクロビオティック的に分類すると陽性な人が多いです。
エネルギーがあって何でもテキパキとこなして食べるのも速いので、傍で見ていると生命力に溢れます。
たくましさを感じますね。
これと似て非なるのが単なる食いしん坊。
こういう人は食べることに頭の大部分が占められているため、難しいことを考えるのが苦手な人もいます。
でも性格はサッパリしていて友だちとしては楽しかったりします。

しかし、そんなことを長い間続けていると、よほどの人でない限り体の方が悲鳴をあげて来ます。
色々なことを「食べる行為」で解消する癖がついていると、空腹ではないのに食べ物を口にすることになって、不健康なループから抜け出られなくなってしまいます。
そんな人が病気になって、たまたまマクロビオティックを知って食事療法で病気が改善しても、良くなるとまたもとの食べ癖に戻ってしまうのです。
そうしてまた同じ病気になるわけです。
それが先の記事の「最後は好きな食べ物で死ぬんだよね」という表現につながります。

また桜沢如一先生はそのことを見越して、「病気を治すな病人を治せ」とおっしゃっています。
つまり病気になる前の段階に手を打ちなさいということですね。
私たち人間は食べ過ぎて良いことは何もないと言い切って良いと思います。
動物でさえ体調が悪い時には食べることを控えます。
大脳のある人間ならなおのこと食べ過ぎは戒めなければなりません。

なぜなら、食べ過ぎると感謝の気持ちが薄らぐからです。
食べられることが当然となってしまうからです。
でも人間は少し足りないくらいがちょうど良いのです。
お金も食べ物も満たされ過ぎない方が感謝の気持ちを失うことなく生きられます。
このことを忘れかけて不満ばかりを口にする人間にはなりたくありません。

断食を経験するとお分かりだと思うのですが、食事を断つことによってどんどん体がクリアになり、精神面が敏感になってくるのが判ります。
そしてどんどん自由になって、食べない心地よさ(断食ハイ)を感じるようになってきます。
それを知ってから断食の回復食をいただくと、一口のスープでも泣けるほど美味しいのです。
食べ物を生産してくれるありがたさのみならず、食べ物を口にできる環境とその美味しさに鳥肌が立つほどです。

その断食後の一口が私は究極の美味しさだと思っています。
それは体にピッタリと合って、乾いたスポンジが水を吸収するのと同じです。
そんな状態なら、食事の量は少なくても満足なのです。
お食事に対する感覚はついつい麻痺してしまいます。
ですから、せめて休日には1食を抜くとか、毎週末は一日断食するとか、そんなふうにして定期的に心身をリセットしてあげると良いです。

ちなみに私はマクロビオティックを知ってから一日2食です。
その頃は最高に陽性度が強くて、睡眠時間も少なくて、バリバリこなしていました。
でも今は京都で毎週お料理教室があるため、ちょっと食べる量が増えました。
そうすると体は正直なもので、体重が増えて来るではありませんか。
いけない、いけない。
特に陰性に気をつけなくては

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好きな食べ物で死なないために

「最後は好きな食べ物で死ぬんだよね」。
これは恩師大森英櫻先生から教わった言葉でした。
ずーっと多くの人の事例を見ていると、本当にそうだなぁとつくづく思います。

好きなものは回数を多く食べるので、体に偏りが生じてそのような結果につながるわけです。
味の好みも同じで、同じ味を続けて取ることによって体への負担がかかり続けるわけです。
道具だって、機械だって、衣類だって、同じ所に刺激を与え続けると摩耗するから、人間の体だって同じことなんですよね。

好きだから。
食べたいから。
これに任せないで、ちょっと体と食べ物のバランスを考えるだけで、ずいぶん体が楽になったりします。
あるいは量を減らすだけでも変化が出ます。

食べ物の量を減らすと心の安定が生まれます。
さらに食べ物の質を選ぶと睡眠時間が減ります。
こうして人間は健康になり精神の満足感が得られます。

食べ過ぎない。
これがすべてのスタートです。

もしあなたが太っていたら、それは間違いなく食べ過ぎです。
あなたは自ら自分の寿命を縮めていることになります。
そして不満を生み出しています。

もし不満が多い暮らしをしているなら、食べる量を減らすことをお勧めします。
人間はそんなに食べなくても活動できるので、多くの場合は精神面の反映で食べています。
悪い連鎖はどこかで断ち切らないと良い流れに乗れません。
TPPの問題もあります。
自分の健康は自分で守らないと、とんでもないことになります。

好きな食べ物で死なないために、マクロビオティックの陰陽で考える食べ方をお薦めします。

 

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(ホテルグランヴィア京都 ロビー)

 


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味の陰陽 性格の陰陽 心の陰陽

むそう塾でお伝えする中川さんのお料理を見ていると、私にも美味しさの秘密が徐々に分かって来ました。
その内容はお料理ごとに異なりますが、一貫しているのは味の陰陽かと思います。
味の陰陽とは、たとえば煮魚を例にとってみると、外側の味と内側の味が異なるので、お口に入れた時、この味の差が得も言われぬバランスがあって美味しく感じるのです。
あるいは食べ始めは薄い味に感じても、食べ進めるとちょうど良くなることを計算した味付けなど、随所に味の陰陽を感じます。

外で結構なお店でお食事をしても、このあたりの味の陰陽が整っていないお料理に出会うとちょっと悲しくなります。
きっとそこまでの追究がされていないか、末端まで行き渡っていないのだと思います。
小さいうちは良かったけれど、名前が売れて大きくなった途端に味が落ちるお店もありますので、それほど繊細さをキープするのは難しいのでしょうね。

ここでふと思うのです。
頑固だと敬遠していた人でも、思わぬ場面でその人の優しさや心遣いを感じた時にはとても嬉しいものです。
常々とっつきにくいと思っていた人が垣間見せる気配りに感謝することもあります。
普段から無口で何を考えているのかよく分からない人でも、お酒を呑んで語り合ってみるととても人情的な人で大好きになることも多々あります。
大胆なように見えても結構小心者だったり、豪放なように見えても案外臆病だったりと、性格にもそこかしこに陰陽が同居しています。

それと同じように心にも陰陽があります。
嬉しい時、悲しい時、困ったとき、楽しい時、甘えたい時など、それぞれが陰陽で分類できますが、それが自分にとって最も心地よい状態になっている時間が長いといいですよね。
でも人によっては心の陰陽がめまぐるしく入れ替わって、自分でも疲れてしまう人がいます。
自分で自分が嫌になるとおっしゃるのですが、そんな人は食べ物が乱れていることが多いです。
食べ物の波動がそのまま心の陰陽に反映しているからです。

そんな人はどうしたら良いのか?
新年度の「マクロビオティックの陰陽を実生活に落とし込む講座」で詳しく伝授します。

 

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