新型コロナウイルス」カテゴリーアーカイブ

私の精神面のルーツを少し 情報の質は人生を変える

【羊羹の想い出】

私は16歳で家を出て自炊生活に入った。
だから、母親がお料理をする姿は、15歳までの記憶しかない。

先日、中川さんが羊羹を切り分ける場面を見ていて、ふと昔の光景を想い出した。
母は羊羹を切り分ける時、予め定規できちっと計っていた。
いつもは計量スプーンとか計量カップを使わない人なので、子供心に不思議に思っていた。

我が家は子どもが4人いたので、羊羹の大きさに差が出るといけないと考えていたふしがある。
子どもというのは、誰しも自分が一番大きいのをほしいと思うから。

 
 

【漬物の想い出】

母は95歳で亡くなったのだけど、その3年前に父が95歳で亡くなるときまで、三食をきちんと作っていた。
さすがに漬物石が重くて、晩年は昔のような漬物の漬け方はできなかったが、自分の体に見合う漬け方を工夫して、漬物を欠かさなかった。

しかし、父が亡くなると、自分のためだけだと三食はいらないといって、食事の回数が減ったらしい。
誰しも食べるのが自分だけだと、作る意欲は失せるものだ。

それでも、亡くなる直前で入院するまで、母の自炊生活は続いた。
なんでもよく作った人だったけど、やはり母の漬物はすごかった。

子どもの頃からそれを手伝わされたので、うろ覚えに記憶がある。
細かい分量は知らないけど、手順は憶えている。

秋になって、大量の大根を干す光景は、近所の人もビックリ!
何しろ1,000本超えなのだ。

なんでそんなに大量の漬物が必要なのか?
それは、近所の男性たちが、父のもとに一升瓶を下げて夜な夜な飲みに来るからだ。
男たちは、母の漬物を「旨い旨い」といって、嬉しそうに食べていた。

 
 

【商家と武家】

母は酒や塩の販売もする大きな商家に生まれた。
その家は大地主でもあったが、農地改革を境に土地は小作人のものになった。
それでも祖父は、13人いる子どもたちに平等に財産を残してくれた。
男の子が11人、女の子が2人。
(3人目〜13人目は後添えさんの子ども。)

母は、実の母を5歳の時に亡くしている。
2番目の弟を産んで、産後の肥立ちが悪く、入院先の病院から帰宅できるというその日に。
それで母は、母方の祖父母(私からは曽祖父母)に尋常高等小学校を卒業するまで育てられた。

曽祖父母は、鹿児島出身で武家教育を母に施した。
だから母は男尊女卑の考え方が強く、私はそれがイヤだった。
私が早く家を出たいと思ったのは、そのせいなのだ。

そんなわけで、母の中には武家の教育と商家の教育の両方が混在している。
そして、私もまた両方の端っこを感じながら生きている。

 
 

【平坦ではないのが人生 あなたの情報は?】

女性としての実務は母から学び、人間としての哲学部分は父から学んだように思う。
そして、夫婦としてのあり方は、父母双方がよいお手本を示してくれた。
途中で戦争を挟んで、不完全燃焼の一生だったと思うが、曽祖父母にしても、祖父母にしても、父母にしても、とんでもなく大きな変化のある人生だった。

まさに天地がひっくり返るほどの激変であるにもかかわらず、全員が95歳超えまで生き抜いた。
それらの体験は、あらゆる面で参考になる。
北海道という地域の面でも、食事という面でも、住まいという面でも、病気という面でも、考え方という面でも。

 
 

今は新型コロナのことで大騒ぎをしているが、テレビのスイッチを切っただけでも、環境は大いに変わる。
野や山や海に出て、人工的な情報に距離をおいてみたら、グンと心が穏やかになることだろう。

ふと思う。
ご先祖さまたちは、いずれも変な情報に毒されていなかったと。

人は、情報過多で死ぬこともある。
あなたの情報はどうだろうか?

 
 


(栗蒸し羊羹 料理:京料理人 中川善博 マクロビオティック京料理教室 むそう塾)

 
 
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コロナのことや、甘いお菓子を大量に食べたあとの私のお食事

9月4日・5日は「自由人コース」の授業がありました。
9月4日。
9月5日。

今月はコロナのことで、皆さんと話をする機会があったのですが、さすがむそう塾生の皆さんは頼もしいご意見ばかりで嬉しかったです。

ちゃんとご自分を持っていらっしゃって、まわりの圧力にどう向き合っていくか、それぞれのケースで参考になるご意見がありました。
自分とは異なる意見があっても、自分の意見を通そうとしてギクシャクするのではなく、相手を頭から否定しないでやり過ごすことも必要かと思います。

つまり、こんなところでも人間力が試されていると感じる日々です。
予想外のことがおきた時、人はどんな考え方をして、どんな行動をとるのか?
それは限りなく興味のあることですが、その土台は日々の生活の中に散りばめられています。

それがコロナとか、ワクチンという事例で具体的にわかりやすくなっただけですね。
ですから、今までどおり、焦ることなく淡々と我が道を歩きましょう。

どんな人も色々なウイルスに囲まれて生きているのですから、上手につきあっていくしかないのです。
人間づきあいと同じですね。

 
 

【大量のミネラル】

ところで、一昨日、昨日と、私はお菓子の試食で大量の甘味が体に入りました。
その二日間で私の体は、しきりに陽性を欲していたのです。

 
 

一日目残業のあと。
【新中川式ラーメン】

 
 

2日目昼。
【鱧にゅうめん】

 
 

2日目夜。
【鱧蕎麦】

 
 

なんと、これらのスープを完食した私なのでした。
それだけ甘さで失うミネラルを補給したいという体の欲求です。
本当に体の声というのは面白いものです。

 
 

【余談】
最後の「鱧蕎麦」のスープが、今回初めての試みだったのですが、これがメチャクチャ美味しかったのです!
ぜひ、これを教えてあげたいなと思いました。

 
 
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やけどのお手当の続き 柿渋 紫雲膏

先日、「火傷(やけど)は冷やすより温めた方が治りが早いそうです」という記事を書いたところ、Facebookでマクロビオティックの大先輩からコメントをいただいた。
桜沢如一先生の書かれたお手当の本の写真とともに。

 
 

<花井良平氏のコメントより>

桜沢先生の「自然医学」の「火傷」の「手當」の(一)が「柿澁を塗る」ですよ(笑)。

大火傷を柿渋で治した体験談を何人かから聞いたことがありますよ。
臭そうですが、塗ってみると、すぐにパリパリになって臭わなくなります。

7、8年前、代々木公園のイベントに出店している時、これから同窓会に行くという80代の爺さんが、柿渋を見るなり「懐かしいなぁ。子供の頃は、頭が痛い、お腹が痛い、熱がある、何でも柿渋だったよ。皆んなに飲ませてやろう。」と言って嬉しそうに1本買われたのが印象的でした。
戦前までは柿渋は民間薬の代表だったようですね。

 
 

 
 

*   *   *

柿渋については、私のブログでも以前記事にしてあります。
ノロウイルス、インフルエンザに柿渋が効果的? 2016.12.13
「よろず“医者いらず”」柿渋の効能と歯医者さん 2014.7.4

購入時の注意。
・本物であること
・賞味期限のないこと

 
 

*   *   *

また、Facebookで川北行雄氏からもコメントをいただきました。
漢方の外用薬ですね。

 
 

<川北行雄氏のコメントより>

経験談ですが、紫雲膏という薬があり患部に塗って油紙を貼り包帯で巻く事を毎日行うと全く跡も残らず治療ができました。

 
 

コメントをいただいた皆様に感謝いたします。

 
 
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「自然治癒力を高めるマクロビオティック(実践編)」磯貝昌寛著

群馬県で「マクロビオティック和道」を主宰されております、磯貝昌寛先生の新しい本が発売されます。
発行は9月中旬になります。

昨年の8月に出版された「自然治癒力を高めるマクロビオティック 基礎編 正食医学の理論と実際」の実践編になります。
昨年の記事はこちらから。)

 
 

世界のあちこちが新型コロナウイルスに未だに翻弄されているため、感染症についてもページを割かれていますので、今にピッタリの内容になっています。

あなたの不安を少しでも解消するヒントが、この本にはいっぱい詰まっていますよ。
そして、マクロビオティックに不信感のあった方でも、健康になるための考え方を知って、むしろ好奇心を持たれるかもしれません。

 
 

「自然治癒力を高めるマクロビオティック(実践編)」 磯貝昌寛著

 

 
 
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埼玉の開業30周年のお店で新型コロナの自粛要請を思う

昨夜は、埼玉の自宅近くにある鉄板焼のお店に行きました。
このお店は今年が開業してから30年になるので、そのお祝いにというわけです。
夫や息子はランチでお世話になっているのですが、たまには夜でお返ししなくちゃ申し訳ないですから。

開業30周年ということは、1991年にオープンですから、バブル崩壊の頃です。
でも、このお店が入っているビルは、バブル当時に建築されたので豪華な造りなのです。
お店をオープンしたら景気が後退して行くなんて、大変だったと思います。

それでも、バブル崩壊を乗り越え、狂牛病騒動も乗り越えて頑張って来ました。
そうしたら昨年からコロナです。
飲食店は政府の意向で翻弄されて、存続の危機です。
ですから、私たち家族だけでも、気持ちをお届けしたいと思いました。

 
 

 
 

本当はフォアグラを使うメニューなのですが、家族がフォアグラは嫌というので変更してもらいました。
真ん中にあるのは玉ねぎのスライスです。

ところで、このお店は遠慮しながらアルコールを出してくれました。
表立ってはご案内しないそうなのですが、この企画からは決心したそうです。
わかります。
もう限界なんですよね。どこだって。

でも、「なんだこの店は」と感じるお客様もいるだろうからと、ネットにもアピールしていません。
そうすると、お客さんが増えないそうです。
「お酒出します!」と張り紙したり、SNSで知らせたお店は賑わっているというのに。

こういう場合は、肚をくくって堂々と宣伝した方が良いのかもしれません。

 
 

 
 

同じビルに入っていたスポーツクラブは、6月一杯で閉鎖しました。
これで、このビルがオープンしたときから入っていたテナントは、このお店だけになりました。

コロナの影響が、どんどん飲食店の首を締めています。
緊急事態宣言を出しても出しても繰り返し発出するということは、その政策が間違っていることを暗に示していると思うのです。
早く政策を変えないと、お正月までに潰れるお店がどんどん増えることでしょう。

もしかしたら東京はピークアウトに向かったかなと思うのですが、どうなりますことやら。

 
 
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