毎年この時期になると、伝えることの難しさと醍醐味を感じます。
中川さんのブログでは次々と桂剥き投稿の記事がアップされるので、皆さんの目にもハッキリ判ると思うのですが、同じことが玄米投稿でも、お料理投稿でも起きているのです。
つまり、同じことを伝えても、受け手が変わると内容がズレて受けとめられてしまうことが多いのです。
これはお料理に限らず、その人の日常の色々な場面で起きているはずなのです。
でも、それが問題化しないと自ら知るチャンスがないわけです。
しかし、むそう塾のマンツーマンの指導を受けると、たちどころにその差が表面化してきます。
そして、一斉に桂剥き投稿として記事になると、その違いが歴然としてきます。
きっと皆さんもその差に驚かれていることでしょう。
一番驚いているのはご本人かもしれません。
でも、そこで落ち込むのではなく、「ああ、私ってこれが本当の性格なのね」とか、「へ〜、私ってそんな癖があったんだ」とか、自分を正しく知ることに役立ててほしいのです。
私が会社勤めをしている時、こんな社内教育がありました。
指導者が設問の文章を読み上げます。
そして、その内容を受け手が理解したとおりに絵(又は図)に描いて答えるのです。
同時に5名程度で進めて行くのですが、それぞれの答えが異なることが多くてビックリした経験があります。
これは非常に意味のあることで、上司から指示された仕事や、かかって来た電話の内容を正確に処理するには、正しく理解することが必要不可欠だからです。
この理解する力を試した教育(テスト)でした。
むそう塾では一人ずつお料理をしますので、同じことを教えても結果が微妙に違ったり、とんでもない結果になったりすることが日々の光景です。
ということは、それが自然の姿であり、それを前提にして物事を伝えないと正しく伝わらないということになります。
出来上がりを同じにするために、個々人の癖や思い込みや勘違いをなくして行く作業が「伝える」側には求められます。
それなくしては絶対に正しく伝わりません。
でも、その地道な血の滲むような努力を双方が出来て、やっと正しく伝わったときには、お互いに達成感で泣けるほど嬉しいです。
そこにはスッと伝わった時より、お互いの意思の疎通があるので、結果として強い信頼感や絆が生まれます。
子育てで「出来の悪い子ほど可愛い」といいますが、それに似たものがあるのは事実です。
まさに手塩にかけて、一人ひとりに向き合うむそう塾の指導方法は、本当の親子のように相手の健康を願って、幸せを願って、それだけの想いで繰り広げられています。
純粋に幸せを追求したら、やはり最小単位の愛が不可欠であることを痛感します。
まずは自分が心身ともに健康になること。
それから家族。
笑顔があふれる日々を過ごすことだけを考えて、「今」を頑張るのがむそう塾スタイルの基本です。
(包丁の砥ぎ方も正しく伝わりますように)