先日、てんこさんからメールをいただきました。
てんこさんはお医者さんとして医療の現場で日々患者さんの医療のかかわり方を体験されているので、その内容はとても貴重です。
お医者さんができること、患者さんがするべきこと。
そんな医療の原点を実際の事例をもとに、皆さんで一緒に考えてみましょう。
そして、マクロビオティックを知っているからといって、全面的に西洋医学を拒否する人を多くみかけますが、私は盲目的な拒否ではなく、西洋医学や東洋医学を上手に利用するべきだと常々言っております。
てんこさんのメールにもそのことが書かれています。
マクロビオティックの食事療法にすがって来られても、時間的にその余裕がない人もおられますので、私もてんこさんの文章を拝見して同感でした。
<てんこさんからのメール>
美風さん、こんにちは。
先日のコメントに引き続き、昨日診療で感じたことをお伝えさせていただきたくてメールします。
外来に、子宮全摘術と左の付属器(卵巣と卵管)を切除したあとの経過観察を受けている方が受診されました。
手術前は月経中でなくとも鎮痛剤が手放せず、内膜症に対する薬物療法もかなりたくさん受けていて、日常的な体調不良を訴えられていました。
手術後半年経過し、診察室に入ってきたその方は、嘘のように調子いいんです!鎮痛剤も飲んでいません!と笑っていました。
これまでで一番の笑顔だったと思います。
簡単に体の臓器を切除してしまうことに批判的な意見はありますが、私はこの方は手術してしかるべきだったと思いました。
体の一部を取り除いてしまうことでしか回復できないくらい、状態が悪かったのだと思います。
手術することで全身のバランスは変化してしまうでしょう。
でも、私は美風さんの『完璧はない』という言葉を思い出して、手術してもしなくても完璧はありえないのだから、この方は今置かれた状況から目指せる最良の状態を目指せばいいじゃないか、と思い至りました。
例えば癌性腹水(癌がおなかに散らばって産生する水がたまった状態)でお腹が苦しい方は食事療法などと言っている余裕はありません。
抗がん剤を使って一時的にでも体調を回復させ、そこからどうするか、なのだと思います。
西洋医学が医原病を作り出しているのは事実ですが、東洋医学と異なった役割を担っているのもまた事実です。
重要なのは、中心に自分があって医学的なものをどう『利用』するのかということなのだと思います。
医療に丸投げするのではなく、頼り切りにならず、自分が医療を利用することを『選ぶ』ことが基本スタンスとして必要です。
本来人間に与えられている能力を十全に発揮すれば医療のお世話になる必要はないはずで、『病んでいる』ことがスタートラインとなってしまっているのが現代社会であると認識しなければならないことは残念です。
でも、無双原理が世界を作り出していることが分かっていれば決して悲嘆しなくてよいことを知っていますから、良くなっていく方向を目指す希望を失うことはありませんね。
私は日常的に自分の仕事に疑問を感じていた訳ではないのですが、自分の進むべき方角がはっきりしてきたので、お伝えしたくメールさせていただきました。
読んでいただき、ありがとうございます。
今月京都でお目にかかることを楽しみに。
てんこ
【注】文中に「完璧はない」という言葉が出てきますが、それはこのような場面でのやり取りからきています。
<てんこさんからのコメントの抜粋>
完璧にしてきちきちに生活することはそこに無理にとどまってしまうことになって、ゆるやかなリズムを失ってしまった状態なんですね。
なるほど~と納得でした。
<私からのお返事>
講座でもお話ししたように、私は大きな意味での完璧なんてないと思っています。
小さな意味でも完璧というのはごく少数です。
仕事上や自己満足としての完璧はありますが、陰陽バランスとしてみれば、それは一瞬の完璧なのだと思います。
すべてはゆらぎの範囲内ですね。
私たちは相手のある社会で生きているのですから、自己満足ではいけないと思うのです。
常に相手のことを考えて、そのうえでの自分を最大限に活かすことが、一番障碍を少なくする物事の進め方ですね。
そして満足感も大きいです。
(水仙:宝泉 京都駅店)