昨日は「中川善博による盛り付け秘伝(生麩の田楽)」の記事に、多数のコメントをいただきましてありがとうございました。
OBENTERSだけでなく、公開記事として多くの皆様と盛付けのことを考える機会にしたいと思って記事にしました。
今回のお料理は生麩の田楽でしたが、これが串団子であったり、楊枝を使った銀杏であったり、あるいは焼き鳥だったりした場合に、その時の盛付けは何を基準に考えるのかという問いかけでもありました。
盛付けには絶対というものはありませんが、いくつかの理由からこの方がより良いのではないかという型はあります。
その一つとして田楽を例にとって勉強してみましょう。
まず、中川さんからの解答文は昨日の21:00前に私のところに届いておりましたが、皆さんのお勉強のために答えの公表を控えておりました。
気になるでしょうから、中川さんからの文章を先に読んでみましょうかね。
* * *
<中川善博より 田楽レッスンの解答>
たくさんのコメントをありがとうございました。 いろんな意見があって(二者択一なんだけど)楽しかったですね。
まず質問の意味の整理を。
長皿に盛られた生麩の田楽の田楽串の持ち手の置き方が田楽本体のこっち側にあるのか? 向こう側にあるのか? どちらが正解でしょうか? という質問だったと捉えてください。
正解を先に書きます。
正しく私が盛り直したのは下の画像です。田楽本体より串の持ち手が奥にあるのが正しい田楽の盛り方です。
なぜそう置かなくてはいけないか?については「まぁらさん」と「きよちゃん」がほぼ完璧なコメントをくださってますので再度読んでおいてください。
もともと田楽というのは田楽豆腐という料理から来ています。
豆腐という柔らかい水分の多い食材を串に打って炭火で焼いて味噌を塗って提供したものです。
この柔らかい豆腐に一本串を指すと、食べるときにくるっと重い味噌が下に下がってポタっと熱い味噌が膝や着物に落ちて汚してしまうトラブルが続出したそうです。
そこで考えだされたのが二本串をさすという方法です。
これならクルッと味噌は回転しません。でも生産性を考えると串打ちの手間が2倍になってしまったのです。
そこで賢い人が考えだしたのが松葉串という松葉のように手前が繋がった二本串です。
これならば一回の串刺しの手間で2本分の効果があります。
しかし、開いた松葉串はその特性から戻ろうとします。
焼いている時に何度も裏返したり表返したりしているうちに松葉が閉じてしまい、一本串のようにくるっと味噌が返って落ちてしまうことがありました。
そこで改良されたのが何も刺さないうちから二本の間に間隔が開いている松葉串です。
これならば自分で閉じようとしないので味噌落ちのトラブルが解消されました。
これをいつしか田楽串と呼ぶようになりました。
(松葉串)
(田楽串)
なぜ正解のあとにこのような田楽串の由来を長々と説明したかといいますと、田楽という料理における「味噌落ちトラブル」は宿命的な問題なのです。
豆腐の田楽を一度でも下火で焼いた事がある人ならば実感すると思いますが、水分の多い豆腐を焼くと中で水分が沸騰します。
そして形成された表面の皮膚のような皮から蒸気が噴き出るのです。
そしてそれはたっぷり塗った味噌の下でも起こるのです。
硬い目の田楽みそを塗っても下から吹き出てくる蒸気で味噌は緩み、味噌と豆腐の間に水分の層を作ってしまい密着率が落ちるのです。
うかつに味噌面を焼こうと裏返すと炭火に味噌が落ちてそこらじゅうが灰だらけになり他の田楽も台無しにします。
その味噌落ちを起こさないように焼いたものが田楽豆腐としてお客様に出されるのです。
さて今度はお客様が食べるときの話です。
上の画像のように手前に田楽串の持ち手があると手前から利き手で持ち、口に運ぶ時に最短距離で運ぶ場合、上の味噌が舌の上に乗るように回転して口に近づきます。 そのときに先の味噌落ちが起きるのです。
味噌落ちが起きることを知っている人間は水平回転をさせて味噌を上に保ったまま口に持ってくるでしょう。
それならば下の画像のように最初から持ち手を向こうにしておいたほうが「誰も間違わずに」味噌を上に保ったまま口まで田楽を最短距離で運べると思いませんか?
次に田楽について付記しておきます。
田楽豆腐というのはどこから来たのかといいますと、昔お百姓さんの田植えや収穫の時に歓びを表す踊りを踊る風習があったそうです。
それを田楽踊りと呼んでいました。田楽舞では無いと思います。
今でも盆踊りや田植えや収穫を祝う踊りと「舞」ははっきり分けて語らなければなりません。
異論はあるかと思いますが私の区分けとして、土や海や自然に感謝して踊るのが「踊り」、神や恩、縁など目に見えないものに感謝するのが「舞」であると認識しています。
この田楽踊りが拡がりやがて踊りの専門家、今で言うパフォーマーのように活動する人が出てきました。その人達の出で立ちは一本の竹馬に乗り白い袴に色のついた上着というものでした。
子供の頃に流行ったホッピング?を想像してしまいました。
白い豆腐に色の濃い味噌を塗って串を打って焼いた料理がちょうど田楽踊りを踊って居た人に似ていたことから田楽豆腐と呼ばれるようになったそうです。
これが正解の説明です。 納得できなくてもしてください。(笑)
そして隠しヒントとして木の芽をいじっておきました。
私から木の芽の扱い方を習って忘れていない人ならば、ここにピン!と来るはずです。
上の木の芽より下の木の芽の方が葉の数が2枚少ないですね。
私は八百屋ではありませんので木の芽は持ち歩きません。
どう頑張っても木の芽の葉っぱを二枚増やすことなど不可能なのです。
ということは時系列でいっても上の画像より下の画像の方が後だということが判りますね?
こんなところからも判断の確証をもとめられるのです。
判断力を養うというのはマクロビオティックで目標とするところです。
画像をよく見ることも含めて、みなさんも判断力を鍛えてください。
では!
むそう塾 中川善博
* * *
<マクロ美風より>
いかがでしたか? 中川さんの答えを読んで納得されましたか?
いや、やっぱりそれでも何だか釈然としない、というかたもおられるかも知れませんね。
そんな時あなたならどうされますか?
本で調べる? ネットで検索する? 誰かに質問する? はっきりしないまま放置する?
そんな中で一番多いであろうネット検索をしてみました。
すると圧倒的多数(95%くらい)が串が手前にある上の写真が氾濫していました。
中川さんが萬亀楼さんにいたころは、次のような「田楽箱」に入れて串を向こう側(奥)に向けてお出ししていたそうです。
つまり、箱の中は下の写真を逆にした形になるので、「小」の字の形に置くのだそうです。
このように串を向こう側に置いて盛り付けているお店もありましたが、木の芽の向きは中川さんの解答とは異なりますね。
(写真そのものの向きを確認しましたが、これで間違いないようです。)
とまあ、こんな感じで、ネット検索をすると中川さんの解答は少数派になってしまいます。
不安になりましたか?
でも、ちょっと待って下さい。ネットの情報だけがすべてでしょうか?
案外本当の(重要な)情報ってネットには出ていないことがあります。
たとえば、むそう塾の玄米ご飯の炊き方もそうですね。
ネットで上位だったり、数が多い方が正しい訳ではありません。
そんなとき何を信じたり、何を支持したり、何を取り入れたりするでしょうか?
洪水のように情報が氾濫している現代は、ネットがなかった時代より判断力が問われている時代になりました。
自分の直感力や真贋力に磨きをかけるだけでなく、腑に落ちる納得の仕方を癖にしてしまうのが確実だと思います。
その「腑に落ちる」ですが、それはその情報を誰が発信しているかも大きな要素です。
その人は信用できるのか? その辺が最終的にはものをいうことでしょう。
今回はお料理の盛付けをテーマにして情報の取捨選択について考えてみました。
今の時代を情報に踊らされて、常に不安と同居しながら生きるのではなく、確かな拠り所と大きな安心を手にしながら生きられたら素敵ですね。
そのためにむそう塾が少しでもお役に立てたなら嬉しいです。