「ウクライナとそっくりな日本列島」長周新聞のコラムより

長時間の仕事が続くと、メールのお返事、次に睡眠が優先されてしまうので、私の大好きな新聞社のコラム欄を読むのは後回しになってしまう。
私はもともと新聞が好きで、高校生の時は「新聞部」に入って新聞づくりに没頭していた。
当時は革マル全盛時代。
それらに関する書物も読んで、大人っぽい高校生だった。

ものすごい熱量を注いで書いた記事が、顧問教師にボツにされたことがあった。
なぜ?と思って顧問教師に尋ねると、「大人だったらよいが、高校生の君には早すぎるテーマだ」というのが理由だった。
ソフトな答えだったが、思想的な偏りをよしとしなかったのだろう。

社会人になっても私の人生は、あのボツになった記事をなぞるような結果になった。
角材を持って走り回ったわけではないが、高校生の時に興味を持ったテーマは、一生心に引っかかるものなんだなと、この歳になっても思う。

新型コロナウイルスでも、マスコミやSNSで流れて来る情報が本当だろうか?と自分の頭で考えることは絶対必要だ。
特にウクライナ情報に関しては要注意である。
私は新聞のコラム記事を読むのが好きなのだが、先日の長周新聞に素晴らしい記事があったのでご紹介しよう。

ウクライナ問題を対岸の火事とするのではなく、今まさに日本人にも当てはまる問題であることを知ってほしい。
真の平和のためには、一人ひとりの意識の覚醒が必要だ。

 
 

*   *   *

【ウクライナとそっくりな日本列島】2022.3.3

 
 

 ウクライナ情勢が緊迫し、ついにロシアが軍事侵攻に及んだことで世界中に緊張が走っている。ウクライナ政府とロシア政府の停戦交渉が無難にまとまることを願いつつ、一方で解せないことも山盛りである。SNSには虚実入り乱れてフェイク画像や動画がこれでもかと溢れ、要するに一方向から「ウクライナ可哀想」の感情を揺さぶるばかりである。そうやって「ハイブリッド戦争」などという謀略じみた手口が駆使され、真偽がはっきりしない情報が散乱し過ぎている状況については、これはいったいなんぞね? という疑問が拭えない。

 日本国内に溢れているその多くも西側発信の一方的受け売りにほかならず、右も左も見事なまでにプーチン悪玉論一色に染まっているから驚かされる。自民党から共産党に至るまでがロシア制裁に鼻息を荒くし、右へ倣えなのである。まず第一にウクライナを巡ってあらわれている矛盾は、部分切り取りの局面だけを見て、あっちの味方かこっちの味方かの二元論で片付けられる問題なのか? である。

 感情にまかせてロシアやっつけろ! だけがエスカレートした場合、これはもう第三次世界大戦の勃発であり、事態はより悲劇的な方向に向かうほかない。そうではなく沈静化させるなら、その歴史的経過を十分に認識したうえで、もっとも無難な落としどころに具体的にランディングさせていくほかないのが現実であろう。真に戦争に反対し、武力衝突を収めるためには、その原因を取り除かないことにはどうにもならないのである。

 ロシアにとってはウクライナのNATO加盟はのど元にミサイルを突きつけられるようなもので、断じて容認できないというのが主張である。一方で、ロシアにとっての兄弟国ともいえるウクライナまでNATOに取り込もうと工作をくり広げ、東欧諸国の取り込みに勤しんできたのが欧米側であり、ワルシャワ条約機構の解体後も散々ちょっかいを出してきた挙げ句の今回の事態である。NATOとは名実ともに軍事同盟であり、ロシア包囲網にウクライナを取り込み、最前線でミサイルを向けることを意味する。その軍事的緊張を取り除かないことには、問題は解決のしようがない。

 誰もが思うようにウクライナの民衆は可哀想である。経済制裁によってルーブル急落とインフレに見舞われるであろうロシアの民衆も同時に可哀想である。ウクライナがロシアとEUの緩衝地帯であるばっかりに、地政学的にも欧米vsロシアの争いに巻き込まれ、おかげで国民は逃げ惑わなければならない。そして、いざロシアが侵攻するとアメリカなんて真っ先に「関与しない」といって梯子を外し、EU各国なんて「これでたたかったらどうか」といって武器だけ持ってきて、みんなして「オマエらが血を流せ」をやる。

 緩衝地帯とは、すなわち最前線の鉄砲玉か盾のような扱いに見えて仕方ないのだ。NATO取り込みで煽ってきた張本人の欧米各国は前線から蜘蛛の子散らして逃げていき、武器を渡されたり火炎瓶の作り方を教えられて、欧米vsロシアの矛盾に巻き込まれたウクライナの民衆に悲劇を押しつけているのだから、まったくひどい話である。それ自体、ウクライナ人をなんと思っているのか! と激怒して然るべきものだ。

 戦争によって無辜の老若男女が殺されることはあってはならない。ましてや人類の頭上に核兵器を投げつけるなど言語道断であることは論を俟たない。それだけは広島、長崎に唯一原爆を投下され、一瞬にして数十万人の非戦闘員を虐殺された被爆国として、世界に向けて叫び続けなければならないことである。

 国際社会としてやるべきはウクライナ危機に際して双方に自制を求め、武力衝突ではない道に誘っていく力が必要だろうと思う。その場合、アメリカはじめとしたNATO加盟国は当事者であり、ロシアが本質的に対決している相手は、誰がどう見てもウクライナの背後でそそのかしてきた彼らである。こうした状況下にあって、本来ならば事態沈静化のために間に立てる中立的な第三国の存在があってもいいはずだが、世界にはそのような国がいないのだろうか。

 緩衝地帯として最前線の人柱にされているウクライナを見ていて思うのは、日本列島もまさに最前線の人柱にされようとしていることだ。南西諸島への自衛隊のミサイル部隊の配置や、米軍岩国基地をはじめ沖縄・九州管内の基地増強体制など、ロシアに対するウクライナ以上に現実に軍事力の配備は進行しているし、中国に向けてミサイルを向ける――を真顔でやっている。いざ揉めたら、米軍はウクライナ同様に「関与しない」をやり、欧米は武器だけ持ってきて、小さな島国を逃げ惑う日本国民に「オマエらがたたかえ」とでもいうのだろうか。竹槍ならぬ火炎瓶の作り方を日本政府は国民に教えるというのだろうか。米本土防衛のための盾になるとは、いかにも愚かな道である。

 アメリカにそそのかされてアジアの孤児になるのではなく、軍事的緊張を取り払い、周辺国との平等互恵の関係を切り結ぶこと、経済的にも「アジアの世紀」の枠組みのなかに入り、歩んでいくことが日本社会を豊かにしていくうえでも最善の選択であろう。目下、興奮した安倍晋三が核の共同運用まで唱え始めた折、誰かあの男を黙らせろ! とは思う。反知性主義者がオラついた結果、国民が悲劇に見舞われるなどまっぴらゴメンである。

 ところで、ゼレンスキーのコメディアン時代の動画を幾つか見て、妙に考えさせられるものがあった。全裸でギター演奏したり、はたまた男性器でピアノ演奏していたような男が人気ドラマの主演を通じて現実の大統領にまでなったというから、これはいったいなんぞね? と。プロパガンダとは色んな意味で考え物である。

                               武蔵坊五郎   

 
 


(教室の掛花 マクロビオティック京料理教室 むそう塾)

 
 
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