こころ・想い」カテゴリーアーカイブ

私が変化を求めるきっかけになった甥の存在

先日、「育ち方が一生を支配するのは間違いない 新しい自分へ」という記事を書きました。
これにはちょっとしたきっかけがあります。

お正月に私の兄の子ども(甥)と、初めて長電話をしました。
冠婚葬祭の時しか故郷(北海道)に帰省しない私は、甥や姪ともすっかりご無沙汰していますが、家族の近況報告を兼ねて甥が電話をくれたのでした。

もう亡くなった私の両親のことや、6歳年上の私の兄のことなどを甥の視点から話してくれたのですが、それらの人が私の思っている姿と違っていてとてもびっくりしました。
人間は立場の違う人から見ると、まったく別人のような評価になったりすることに、ある種の驚きも感じました。

そのとき甥は色々な人の人生を語ってくれました。
すべて私の知っている人の人生ですが、すべて人生の晩年に生き方が集約されていって、とても興味深かったです。
その時思ったのです。やはり「育ち方が一生を支配している」と。

そんなことも影響して、ふと「私は何者?」と考えたのでした。
自分としては悪事に手を染めず、真面目に生きてきたつもりですが、第三者から見た私ってどうなんだろう?
自己満足だけで生きてきたのではないだろうか?

これから何年生きられるか分からないけれど、今までしなかったことをしてみようかなと思ったのでした。
今までと同じことをしていては変化の乏しい人生になるので、ここらへんで生き方の角度を変えてみようと思ったのでした。

ズバズバと物事をはっきり言う甥の存在は、私を面白い方向に押し出すきっかけになりました。
私が高校1年生のときに兄が結婚して、第1子が甥でした。
子ども好きの私は嬉しくて嬉しくて、甥の名前も候補にあげて兄に採用されたのでした。
ですから、私の思い入れもひとしおです。

こうして若いエネルギーの考え方がきっかけとなって、私自身が新しい自分になりたいなと思えたことがとても嬉しいです。
人は何がきっかけになるかわかりませんね。

 
 

<関連記事>
育ち方が一生を支配するのは間違いない 新しい自分へ 2025.1.15
変わろうと思ったら早速変化が! 新しい動きに感動! 2025.1.20

 
 

(レモンゼリー 料理:京料理人 中川善博 マクロビオティック京料理教室 むそう塾)

今日の授業でこのレモンゼリーが大人気でした。
さっぱりした酸味にしびれました。
これからの人生の味付けにも参考になりましたよ。

 
 
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育ち方が一生を支配するのは間違いない 新しい自分へ

先日、むそう塾の座学で私としては珍しい内容のお話をしました。
その後の塾生さんの反応を見ていて、あれこれ感じることがあります。

割と多くの人が「変わりたい」とか「もっとよくなりたい」と思っていらっしゃるんだなとも思いました。
むそう塾ではお料理をきっかけに変わることもできるのですが、他の切り口があってもいいのかもしれないと感じています。

でもね、この年齢になると、人はなかなか変われないということも実感としてあります。
しかし、そのように言い切ってしまうと、将来に絶望的になってしまう境遇の人がおられるかもしれませんね。
どんな境遇の人であっても、今より良い生き方ができるように、希望が持てるきっかけを模索するのは必要なことだと思います。

 
 

しかし、人生にはこんな一面があります。
「育ち方が一生を支配する」のです。
色々な場面でそれが顔を出すのです。
本人が望むと望まないとにかかわらず。

ですからそれを踏まえて、あるいはそれも計算に入れて、現実的な模索が必要かと思います。
私のように親に真面目一辺倒に育てられた人間は、この歳になってもなかなか要領のよい生き方ができません。
しかし、多少のルーズは織り込み済みの育てられ方をしていれば、また違った人生の展開になっていたかもしれないと思います。

塾生さんでもいらっしゃいます。
ものすごく生真面目な人が。
そこまで生真面目でなくても、もっといい加減(適度なゆるみ)でもいいんだよと言いたくなる人が。

そうかと思うと、箸にも棒にもかからなくて、笑ってしまうほど面白い発想をする人もいます。
でも、本人はいたって「普通だと思っている」のですから、わからないものです。
私はその背景には育ち方があると思っています。
どんな大人と接し、どんな環境で生きてきたかはとても影響が大きいです。

でも、人生はそれで終わりではありません。
そこから自分の人生を創り上げていけばよいのですから、まずは自分を知って、具体的に動くことをするのがよいと思います。

 
 

2008年に中川さんと一緒にむそう塾を始めて、中川さんの素晴らしいお料理に魅了され続けてきましたが、ふと「私は何者?」と考えたときに、塾生さんと一緒に新しいマクロ美風になるのもいいなと思えて来ました。
さあ、どんなふうになりますことやら?

 
 

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私が変化を求めるきっかけになった甥の存在 2025.1.17
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(マクロビオティック京料理教室 むそう塾 自由人コース2の授業にて)

 
 
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陰陽は人生という航海の羅針盤 京都タワーは灯台

昔、マクロビオティックを知ったとき、「陰陽は人生という航海の羅針盤」だと教わりました。
そのときは「へ〜」という感じでしたが、ほどなく「羅針盤」の意味が理解できるようになりました。
そうしたら陰陽が俄然面白くなって、年月を重ねるたびに私のしっかりした柱になってきました。

「羅針盤」とはよくいったもので、これを持っていると自分の進むべき方向が確認できるので、とても安心できるのです。
夜の大海原に放り出されたら、誰だって死を覚悟することでしょう。
でも、どんなときにもこの世は陰陽で動いていることを知っていると、なんとかしてそれにすがろうとするでしょう。

そうです。
すがってもいいのです。
陰陽は日々の生活に根ざしていた方が、諦めない生き方ができるのです。
だから、どんどん日常に役立てましょう。

昨日もちょっと陰陽の話をしました。
自分の性格ってなかなか変えられないものですが、一歩だけ踏み出してみると、陰陽の違いを感じることでしょう。
そうやって、自分の目指す方向に歩んでみませんか?

 
 

 
 

昨日、神戸から京都に帰ってきたら、京都タワーがショッキングピンク色になっていました。
この京都タワーは、町家の瓦屋根を波に見立て、それらを照らす灯台をイメージしているそうですね。
(日によってライトアップの色は変わります。こちらに色の解説あり。)

 
 
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マクロとミクロの視点でバランスよく生きてみよう

人は視点を小さくすればするほど、不満や不安が増えます。
何かの道具を使えば、裸眼では見えないことまで見えてしまいます。
重箱の隅をつつけば、森が見えなくなってしまいます。

でも、飛行機や山の頂上から下界を見下ろすと、もっと雄大な景色が広がっています。
この視点に立つと、それまでの不満や不安はちっぽけなことだったり、こだわりすぎていたと思うことがあるでしょう。

人間関係も仕事も人生も同じです。
まずはマクロな視点を基本にして、部分的にミクロな視点を追加するのがちょうどよいのです。
その比率は決してミクロが勝たないことです。
迷ったときにはマクロの視点を優先するのがいいですね。

 
 

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健康情報にはミクロな情報が溢れていますから、その一つひとつに踊らされないことが大事です。
健康になろうと思って集めた情報で、かえって不健康になっている人をたくさん見てきました。
人はついついミクロの世界に入り込んでしまう生き物のようです。

また、子育てにしても、夫婦間の問題にしても、100%を目指すと失敗しますね。
世の中は陰陽で成り立っていることを知っている人なら、決して100%は目指しません。
ちょうどよい「落としどころ」を探ります。
これが「中庸」であり、マクロとミクロの絶妙なバランス帯なのです。

なお、喧嘩というのがありますが、これは物事がうまく流れていない時に起きます。
つまり陰陽バランスを欠いているわけですね。
流れが滞っているので氣が悪い状態です。
こういう人は病気になる確率が上がるので、早急に流れを良くしてほしいですね。

 
 

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先日「自由人コースにおけるマクロ美風の座学でお伝えしたいこと」という記事を書きました。
まずはマクロの視点を幹として、それに枝葉をつけるつもりでミクロの視点を採用するのが基本です。
でも、枝葉が多くなってしまったら、日当たりも悪くなるし、風も通らないので、剪定して幹をしっかりさせます。

これと同じことが人間の生き方や考え方にも当てはまるのです。
理想を求めて頭でっかちになっているときは、ぜひ剪定をして大事な部分のみを残してみてください。
必ずそこから良い方向に進めますから。

 
 

(立冬の日の京都東山の空 薄っすらと上弦の月が見える 11/8 13:38撮影)

 
 
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「平成の米騒動」のとき、ずっと国産米を配達してくれたお米屋さん

突然ですが、私は1993年に起きた、「平成の米騒動」の経験者です。

結婚したばかりのとき、お米は歩いて200mほどのお米屋さんまで買いに行っていました。
城下町独特の古い作りのそのお米屋さんは、奥の方からお店の様子が見えるようになっており、寒い冬でもお店まで奥さんが出てきて挨拶をしてくれました。
陽気な奥さんは、世間話をするのが楽しいらしく、あれこれよく話したものです。

そのうちに我が家は、30kmほど離れた他の街に家を建てて引っ越したのですが、相変わらずお米はそのお米屋さんで買っていました。
夫の職場までお米屋さんが届けてくれて、夫が自宅まで運んでくれました。

そうこうしているうちに、1993年の米不足問題が起きました。
お米屋さんの店頭には輸入米も並び、国産米との抱き合わせで販売するようになりました。
しかし、お米屋さんのご主人は、「大丈夫。国産米だけで配達するから安心して。」とおっしゃって、ずーっと最上級の国産米を配達してくれました。

 
 

***

少し前からスーパーにお米がないという情報が流れてきますが、スーパーを何軒も回るより、お米屋さんに行った方が在庫があったりするものです。
スーパよりお米屋さんの方が、生産者とつながっていることが多いので、仕入れルートが異なるのです。

私は、食べ物はできるだけ生産者さんの顔が見えるルートで購入するのがよいと、いつも思っています。
スーパーの方が何円か安いからといって利用してしまう人が多いでしょうが、そこには人間的なつながりが生まれにくいんですよね。

なんていうのかしら?
人間と人間が触れ合う買い物の仕方が、私は好きなんです。
そうして、そういうつながりがあると、いざというときに気持ちのよい対応をしてくださることがあって、感動することがしばしばあります。

生きるためには消費を伴うものですが、その消費の仕方で人生の醍醐味が変わってきたりします。
今の時代では、私のような人間は古いのでしょうが、大事にしたいことの一つです。

 
 

(教室の掛花 マクロビオティック京料理教室 むそう塾)

 
 
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