2007年7月1日(日)。
この日は、私にとって記念すべき日になりました。
全国で展開して来た「マクロビ井戸端会議」が、ついに沖縄までつながったのです!
開催のご希望をいただきながら、私の多忙が原因でまだ訪れることの出来ていない県が何県かあるのですが・・・、北海道から沖縄までの主要都市に「マクロビ井戸端会議」の核が出来ました。
ですから、沖縄での「マクロビ井戸端会議」には、特別の想い入れがあって、開催前から感慨深いものがありました。
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6月30日は名古屋に講演会があって、その夜は中部国際空港のホテルに泊まり、翌日、朝一番の飛行機で沖縄に向かいました。
梅雨の明けた沖縄の空はまぶしく、太陽の強さを感じました。
空港の到着ロビーを出たところで携帯の電源を入れると、メールやら着信記録やらをどどーっと受信。
急ぎのメールもあったので、とりあえず待合室で返信しようと思って座ると、おっきなおっきなお腹をした外国人が10人ほど座っていました。
「おおっ、すごーいお腹、う?ん、マクロやると痩せるのになぁ」と思いながら携帯と格闘。
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会場の「NOAH」さん近くでは、事前に頑張って準備をして下さったカノンカノンさんのご主人様が、大汗をかきながら車の誘導をしてくださっていました。
炎天下なのに頭がさがりました。
早速、アトピーのお子さんを連れて来られたお母さんとお話を開始して、次々とお話の連続です。
これはいつもの井戸端会議と同じ光景なのですが、今回の井戸端会議ではちょっと違った雰囲気を感じました。
それは、「沖縄の人は強いなぁ」ということです。
気が強いという意味ではなく、忍耐力があるとか、へこたれないとか、「精神力の強さ」を感じました。
これは、長い間の沖縄の歴史がそうさせるのでしょうか?
戦争をはじめとする沖縄の歴史を考えると、その「強さ」に、本土に住む私達の「甘え」を恥ずかしさと共に自覚します。
しっかりと自立して暮らしている沖縄の人。
よそに頼りながら暮らしている東京の人。
沖縄の人とお話をしていると、今一番病んでいるのは東京の人だなぁと、つくづく思いました。
かねがね私は、「夫が死んだら沖縄に移住する」(夫よゴメン)と公言していたくらい沖縄に住みたかったのですが、今回、ますます「夫が死ななくても沖縄に移住したい!」と思ってしまいました。
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ところで、二次会は「わらほんど」さんへ。
暑い暑い沖縄なのに、ここではクーラーがありません。
扇風機がブ?ンブ?ンと回っているだけです。
そこに西日があたって、しっかり汗をかきました。
わらほんどさんを出たところで、あんまり夕日が眩しいので、思わず「海に沈む夕日をみたいなぁ」と言ったら、「じゃ、夕日の見えるところに行こう!」と、車を走らせてくれました。
海岸まで走ったら夕日が沈んじゃうので、とりあえず上から見ようということになって、「とまりん」の15階にあるラウンジへGO!
ラウンジの人が「3分前に沈みました」と・・・。
でも、赤く染まる空と、刻々と変わっていく海辺の景色、街の灯りを眺めながら、女ばかりなのにロマンチックになりながら、恋のお話に発展します。
「こんな素敵なところは、アベックで来たいなぁ」と私が言うと、もう男女の話が止まりません。
その調子で9時半ころまでここにいたでしょうか?
その後、琉球料理のお店(名前は失念)に行って遅い夕食を食べて、ホテルにチェックイン。
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翌日(きょう)は、ホテルにお話したい人が何人か集まってくださって、ロビーやらラウンジでお茶を飲んだり、レストランで昼食をご一緒したり、いっぱいいっぱいお話をしました。
「井戸端会議」の第2部と言う感じで、とっても充実した時間でした。
このお話の内容などは、また後日記事としてUPしたいと思います。
80歳のかくしゃくとした女性が2日間とも参加してくださって、とても貴重なご意見をいただきました。
感謝しています。
6時ごろ皆さんとお別れして空港に着き、パソコンに向かっています。
もうすぐ、飛行機の時間なので、きょうはこの辺で止めますが、沖縄ではたくさんのことを教えていただきました。
ご縁のあった皆様に、心からお礼を申し上げます。
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さ、明後日(4日)から四国です。
「山村塾」でしっかりお勉強しよ・・・・・・・・オットット、イケナイ・・・、今月は試験があるのでした・・・(大汗)
どーしよう、山村先生、難しい問題出さないでくださいネ、オ・ネ・ガ・イ。
あー、もう搭乗時間が!
じゃ、東京に向かいま?す!