食べる。
これは誰にも欠かせない行為ですね。
着る。
これも誰にも欠かせないことです。
住む。
これも欠かせないことであるはず。
しかし、最近はこれが怪しくなっている人もいます。
先日京都駅に遅く着いた時にもいました。
寒風吹きすさぶ深夜の京都で、身を縮めながら駅の通路に並ぶ人達が。
炊き出しを待っているようでした。
よく衣食住といいますが、これらをきちんと管理することは、精神衛生上も大いに影響があります。
私は小さいころから、この管理が結構好きでした。
深い理由はありませんが、気持ちがスッキリするのが心地よかったからです。
着ることにも食べることにも同じくらい関心があった高校生の時、東京の女子大学を卒業してすぐ北海道に赴任してきたハイカラ先生が、こんなふうに仰いました。
「お洋服は買い続けることは出来ても、お食事は買い続けることは出来ません。必ず飽きが来ます。だからお料理出来る人になりましょうね。」
なるほどと思いました。
私は99.9%手づくりの家庭で育ったので、手づくりの大切さを意識したことがなかったのです。
それが当たり前と思っていましたから。
でも、同級生の中にはそうでない家庭も結構ありました。
それから年月を重ねても、何かのおりにハイカラ先生の言葉が思い出されました。
一人暮らしの時にも一番出しと二番だしをとり、糠漬けも漬け、お蕎麦も手打ちで、餃子の皮も作り、マヨネーズも手づくりするような生活をしていました。
マクロビオティックは知らなかったけれど、好きな食べ物は結構バランスが良かったなぁと思います。
これは母のお蔭です。
* * * *
今こうして食べることの重要性を発信している私の土台は、もしかすると、あの高校生の時に芽が出来たのかも知れません。
恩師はそんな話をしたことは記憶にないことでしょう。
でも、あの言葉が私の中では一生生き続けています。
そして今なお思います。
食べることはやはり一番重要であると。
恩師の言葉は、45年近く経った今、確実に私の中で私のものとなりました。
お料理が出来る。
このことは普通に考えている以上に、物凄いエネルギー源になることを、むそう塾の皆さんを通じて教わりました。
お料理が出来ることは武器ですね。
それが美味しかったらなおのことです。
さらにそれがマクロビオティックの理論に適っていたら、もっと強力です。
その両方を併せ持ったむそう塾の「幸せコース」は、幸せへまっしぐらです。
その一歩は「愛クラス」と「炊こう会」から始まります。
食べることは誰にも欠かせないことです。
その欠かせないことをしっかり押さえると、人生にちょっとゆとりが生まれるような気がしませんか?
戦後の焼け野原からいち早く復興してくるのも、食べ物屋さんです。
京都駅で見かけたホームレスの人達も、お料理が出来たら違った選択が可能だったかも知れません。
改めて食べることとお料理の重要性を感じたことでした。