きょうは冷蔵庫の残り物整理のために、色々なお料理をしていました。
少し残っていた里芋をむきながら、フッと思ったことがあります。
野菜や果物を選ぶときの目利きの一つに重さがあります。
器でも絹の反物でも重さが品質の善し悪しを決めることがありますが、その理由は密度の濃さでしょうね。
マクロビオティックの陰陽でいうなら、密度の高いほうが陽性ということになります。
同じ大根でも南瓜でも里芋でも、大きさの割に重いものは中身が詰まっていることになります。
収穫してから日数が経つと、まずは水分が減り始め、次には一つひとつの細胞が痩せてきます。
すると当然ながらそこには隙間が生じるので、包丁を入れるとサクッと気抜けするような軽さになります。
これがまだ新鮮なときなら、包丁を入れた時の感じがムチッと吸いついてくるような圧迫感があります。
ですから、持った瞬間、包丁を入れた瞬間に陰陽が判るというわけです。
これは結構面白くて、的中率は100%と言ってもよいくらいです。
里芋の皮をむいて切ってみると、「ああ、やっぱりね」と陰陽を確認することになるのですが、持った時に軽いものは皮に近い部分から崩壊が始まっています。
(ああ、やっぱり陰性から始まるのねぇ。)
あるいは全体的に組織が緩んで、すでに食べ物としての栄養価も旨味も薄いであろうことを目で確認できます。
茎に近い部分は密度が粗くて陰性であることがすぐ判ります。
食べてもこの部分は下の部分より陰性で味が落ちますから、多めに切り落としたりして陰陽を感じながらお料理をするのはとても楽しいものです。
里芋の皮を向きながら、これをそのまま人間に当てはめると病気になった人と一致するのです。
元気なうちは水分も細胞も満ちてピチピチしていますが、何らかの理由で組織にゆるみが生じてくると、そこを突破口にゆるみが全体に及んで、やがて崩壊してしまいます。
細胞ってやっぱりゆるんではいけないんだなと、里芋から教えられた気がしました。
マクロビオティックでは陰陽で物事を判断しますが、盲目的に陽性を良しとして陰性を嫌ったりするのではなく(またその反対を良しとするのでもなく)、目の前にある現実から陰陽を確認して納得することがとても大事です。
普段の生活のそこかしこに陰陽は転がっています。
というか、陰陽の中に私たちは暮らしているわけですから、そのことに気づいて自分の身体や生活に当てはめれば良いわけです。
そうすることによって、病気になる理由や健康になっていく方法も自分で考える力がついて来ます。
まずは細かな觀察がスタートになります。
(里芋)
美風さん、こんばんは。
>陰陽の中に私たちは暮らしているわけですから、そのことに気づいて自分の身体や生活に当てはめれば良いわけです。
このことについて考え続けています。
私たちの命は陰陽の揺らぎの中で存続できる能力があるからこそこの世に存在してる訳ですよね。
揺らぎに適応できずに誕生できない命もあります。
なぜ私たちは陰陽の中に生かされていることを簡単に感じ取ることができないのでしょうか。
なぜ苦しい方へ人は向かっているのか。
こんなことを陰陽落とし込み講座から考え続けています。
>目の前にある現実から陰陽を確認して納得することがとても大事です。
ただ真っすぐに起こっていることを見つめて、それを認めるだけでいいのですよね。
事実を冷静に観察していると、答えがころっと転がり出てくるような気がしています。
てんこさん、おはようございます。
>揺らぎに適応できずに誕生できない命もあります。
世の中は100%ってないのだと思います。
天災で亡くなるかたもそうですが、理不尽というのが存在すると私は思っています。
マクロビオティックのある先生はすべてそれを陰陽で解いてくださいました。
もっともっと長いスパンで考えた時に、そこには陰陽が存在するというものです。
でも当事者になると、感情移入したくなりますよね。
>なぜ私たちは陰陽の中に生かされていることを簡単に感じ取ることができないのでしょうか。
人間本来の能力(野性的なものも含めて)が退化するような生活様式と、情報のせいではないでしょうか。
情報の一番の影響は学校教育かと思います。
第一次産業に近い人ほど(それを陰陽とは認識していなくても)、現象そのものは肌で実感されていると思います。
>なぜ苦しい方へ人は向かっているのか。
これは前提がどこまで含むのか明らかではないのですが、社会そのものが苦しい方へ向かうという意味ではないと仮定してお返事しますね。
人が苦しい方へ向かうのは成長のためだと思います。
人は楽な方へ流れる特性がありながらも、苦しい方へ向かうことによって苦しいだけでなく成長もします。
しかし個人差によって残念ながら成長を手にできない人もいますけどね。
ここでも100%でないわけですが、私はだからこそ人間なんだと思っています。
>ただ真っすぐに起こっていることを見つめて、それを認めるだけでいいのですよね。
そうですそうです。
現象から学ぶという感じです。
その現象を陰陽で考えてみるということです。
>事実を冷静に観察していると、答えがころっと転がり出てくるような気がしています。
最初は答えが解らなくても、ある日点と点がつながる瞬間があります。
まさに( ゚д゚)ハッ!とする瞬間です。
それはまるで、ずっと解けなかった数学の問題を自力で解けた時のような喜びがあります。
今私は京都にいて、手元に本がないのですが、桜沢先生の「無双原理・易」(黄色い表紙のもの)の最後にはクラックス集が載っています。
この問題をすべて解けた人はいるとかいないとかいうのが昔からのマクロビオティック指導者の裏の話です。
そのくらい難問ぞろいなうえ、答えがありません。
桜沢先生の教えは答えは自分たちで出すものだからです。
それを解く練習をされると、てんこさんの視点は飛躍的に幅が広がると思います。
http://www.ci-kyokai.jp/book/mustbook_sakurazawa.html
このページの上から4段目の左にある本です。
美風さん、おはようございます。
ご丁寧なお返事を、ありがとうございます。
無双原理・易は手元にありました。
問題集。。。考える練習してみますね。
????ですが、考えること自体が面白そうです。
たくさんのハッとする瞬間を体感したいです!
てんこさん、おはようございます。
一つひとつが難問ですが、一生飽きることのない問題です(笑)
てんこさんならかなり解けるかも?