(Isさんの盛り付け)
(中川善博の手直し後)
(量が多いために、中川善博が取り出した胡瓜)
むそう塾では盛り付けを大事にしています。
美味しいお料理を作って、最後に、より美味しさを引き出せるように盛り付けられて初めてお料理が完成するからです。
いえ、実際はこれではまだ完成ではありません。
お料理を召し上がる人の喉を通過して胃袋に収まってやっと完成というところでしょうか。
さて、昨日の授業中に盛り付けを中川さんにチェックしてもらっていた時のことです。
Isさんの盛り付けが1枚目。
2枚目が中川さんの手直し後です。
どんな違いを発見できますか?
おや?
取り出した胡瓜の厚みが違いますね。
厚みが同じになるように切りましょう。
美味しくするための基本です。
美風さん
盛り付けを意識してやってみるととても難しいなと思いました。盛り付けにも人間性がはっきり出てしまうのですね。まずは、わたしは中心からずれないように気を付けます!
おたにさん、おはようございます。
盛り付けはその人のすべてを白日のもとにさらけ出します。
コワイですね〜。
頭の中、心、日常生活が丸見え状態になるので、もう自分を隠すことなんて出来ません(笑)
中川さんによると「人生が盛り込まれている」ことになるからですね。
とは言ってもちゃんとセオリーがありますので、それを幸せコースの盛り付けの時間に、中川さんの座学としてお伝えしますから、楽しみにお待ち下さい。
美風さん、こんにちは。
こんなにも無様だったのかと、お写真を見て愕然としました。
よくもまぁ「見て下さい」と言えたものです。
このお料理は「うざく」です。
修正前の盛り付けは、
【鰻と「和えた」「酢の物」】に見えません。
鰻と胡瓜(和布)が独立してますし、
せっかく仕込みをした胡瓜もただスライスしただけの生胡瓜に見えます。
修正後は、
鰻・胡瓜・和布が一箸で挟めるように盛りつけられています。
ベタベタと貼り付けるように積み重ねている修正前に比べ、エアリー感があり、すっと箸が通るように「和えられて」います。
しかも、安定感があります。(修正前のトップの鰻は今にも転げ落ちそうです。)
召し上がる人の胃袋に収まるまで。
お料理の完成をここまで意識できていませんでした。
頭での理解止まりではなく、きちんと実践につなげること。
その前に厚さを揃えるなどの基本を徹底すること。
盛り付けをもっともっと大事にしたいと思います。
記事にして下さってありがとうございました。
Isさん、おはようございます。
(´∀`*)ウフフ
こうして比較すると勉強になるでしょう?
あなたの盛り付けは、パッと見ても曲線がありませんよね?
ここでも「直線」が出ています(笑)
桂剥き投稿の最終段階で中川さんに指摘された「からだの直線」がここでも!
もう笑ってしまいますよね。
一品のお料理からもバランスを学ぶことが出来ます。
美しいものには美しいバランスがあるからです。
機能美といわれるものですね。
過去記事でも書いていますので、リンクしておきますね。
・「美味しいお料理を作るために」
http://musojuku.jp/bifu-blog/?p=45858
・「美学」
http://musojuku.jp/bifu-blog/?p=53023
中川さんから直接に手直ししてもらえるチャンスは、中川さんの前でお料理した者の特権ですね。
レシピだけのお料理教室ではないむそう塾の醍醐味を堪能なさってください。
美風さん、おはようございます。
なんといいましょうか。
口ポカン状態です。(苦笑)
先日の実習中に、中川さんがあの直立姿勢を真似された時があったんです。
「それはもうありません!」
とキッパリ断言したにもかかわらず、、、トホホ。
ほんとうにもう笑うしかありません。
過去の記事のリンク、ありがとうございます。
再読すると、改めて頷く点、そして当時では理解できなかったことが腑に落ちる点がありました。
バランス。
この言葉にはあらゆる視点が存在していることを実感しています。
幸せコースの受講の仕方が広がりました。
ありがとうございました。
子象さん、こんばんは。
読めば読むほど、解っていたつもりのことが実は解っていなかったり、表面しか理解していなかったり、そんなものですよね。
ということは、そのように感じた分、成長したことになります。
私もまた中川さんのお料理をそばで見続けて、昨年より今年の方が引き出しが多くなりました。
こんなふうにお互いが成長していくのは嬉しいものですね。
一緒に成長しましょう。
美風さん、今日は。
盛り付けはお料理をただ、ただ美しく
みせるためのみと思っていました。
美しくみせるのも大切ですが、
盛り付けで美味しさが引き出されるなんて、
すごいです。
お料理を食べて頂く方への配慮も
さりげなくされているお料理の数々。
憧れます。
ありがとうございました。
好さん、おはようございます。
>盛り付けはお料理をただ、ただ美しく
>みせるためのみと思っていました。
普通はそのように思われるかも知れません。
つまり「格好をつける」ような感じにね。
「お店で出す時にはお金をいただくのだから、格好をつけるために綺麗に盛り付ける」といった意味合いでしょうか。
でもね、それとて盛り付けた「その人」がそこに表れてしまうんですよ。
一応セオリーがありながらも、決まった型がないため、それが一層盛り付けを難しくさせているのでしょう。
これはもう芸術の世界だから、当然といえば当然ですけどね。
>お料理を食べて頂く方への配慮も
>さりげなくされているお料理の数々。
中川さんのお料理にはそういう配慮が随所でなされています。
多くは見えないところでの一工夫になるので、気づかない人が多いことでしょう。
そんな一工夫も幸せコースでは全部お伝えしています。
コメントをありがとうございました。
過去の記事のご紹介もありがとうございます!
盛り付けもそこに人間性があらわれる・・・
今はその意味がちょっとだけ分かります。
玄米の投稿時がほんとにその通りでした。
ブログにのせて頂いていますお料理の数々。
美しいなー、おいしそうだな―と思うだけではなく盛り付け方もちゃんと目にとめていきたいです。
美しく盛り付けられた美味しそうなお料理の、
見えないところの大事な大事な一工夫。
幸せコースで学ぶことができるのですね!
好さん、おはようございます。
>美しいなー、おいしそうだな―と思うだけではなく盛り付け方もちゃんと目にとめていきたいです。
美しいなーと感じる時には、それがバランスが取れている時ですね。
ですから、中川さんの盛り付けたブログの写真を何度も何度も観ることは、それだけでもかなり盛り付けのお勉強をしていることになります。
中川さんが盛り付けた写真を食欲だけで見るか、美しさで観るかが重要なポイントです。
幸せコースでは盛り付けの講義が別枠でありますが、それとは別に、毎回毎回盛り付けのお手本を見せて、それをみんなが真似するのです。
問題はその後ですね。
自宅で復習した時に、どんな器にどんな盛り付けをするかです。
器が変われば盛り付けも変わるのですが、その対応がなかなか難しいのです。
その時にも有効なセオリーを幸せコースの盛り付けの授業でお伝えしているのですが、それだけではまだ完成ではないのです。
それが下の夏目さんへの私のお返事にも書いてあります。
http://musojuku.jp/bifu-blog/?p=56081#comment-122029
ご参考になさってください。
美風さん、おはようございます。
どきっと、しました!
食欲だけで見ていた自分は、
盛り付けのポイントをスルーしていたのです、もったいないです!
夏目さんと、夏目さんへのコメントもしっかり読ませもらいました。
写真も沢山みてみます。
まずはしっかり見て、
近づけるように観察したいです。
器も同じ物がないのでむつかしいですね。色も…。
目にも美しい盛り付けで、食べると美味しい、美味しくてたまらないお料理、つくってみたいです。
ありがとうございました。
美風さん、おはようございます。
むそう塾に出会っていなければ、
こんなにも、お料理の世界へ引き込まれることは
なかったです。そして、様々な事と結びついている
と、いうことを知ることもなかったです。
お料理の1つの奥深い「盛り付け」。
中川さんの手から何気なく沢山のお料理が
創り出され盛り付けられ、宝石のような輝きを
もつお料理として並べられる。
お恥ずかしいですが、8月の授業の中身の濃い事に、
今年やっと氣付けました。
盛り付けた時に、盛り付けたいように盛り付けられる。
食べる人の事を考えて盛り付ける(仕込む)。
ということは、基本のお料理がしっかりできている。
ということにも繋がる。
これからは、もっともっと食べる人のこと、バランスを
考えて盛り付けられるように、日々お料理をしたいと
思います。
大切な記事をありがとうございました。
夏目さん、おはようございます。
私はもともと盛り付けに関心がありました。
そうねぇ、高校生の頃からです。
その頃からお料理本で盛り付けを眺め、社会人になったらお店で盛り付けを眺めるのが好きでした。
お店でも板前さんの手元が見えるようなカウンター席が好きでした。
そして、お給料の中から気に入った器を購入するのが最高の愉しみでした。
お気に入りの器に盛り付けるときは、楽しくて、まるでおままごと気分でした。
だから、きっと盛り付けは本来楽しいものだと思うのです。
それは遊びの範疇ならということで。
でも、お料理には鮮度がありますので、スピードが要求されます。
盛り直しは形が崩れるし、お箸の跡がつくし、お皿が汚れるし、良いことは何もありません。
ですから一発で決まるように予め計画的でなければなりません。
>中川さんの手から何気なく沢山のお料理が
>創り出され盛り付けられ、宝石のような輝きを
>もつお料理として並べられる。
この「何気なく」は要注意です。
何気ないように見えていても、実は周到に計算されているのです。
計算し尽くして、それが体にしみ込んで、再現性の高いレベルになっているので、「何気なく」見えるのです。
Isさんへのお返事にも書きましたが、機能美を備えると自然体に見えるので、それが「何気なく」感じるのだと思います。
私たちはにわかに中川さんレベルにはなれませんが、整ったものを数多く見ることによって次第にその感覚が養われてきます。
いかに整ったものに接する機会を増やすかが上達のポイントになります。
ですから、その応援として、中川さんの作ったお料理を一々写真に撮ってブログに載せているのです。
それは、中川さんの盛り付けの何割かを感じ取ってもらえると思うからです。
ただし、写真は完全に正しい訳ではなく、目の前で見た盛り付けより遠近感がずれます。
その結果として、手前の物が大きく写ります。
ですから、中川さんによると、写真には写真用の盛り付けがあるということです。
数々の料理雑誌に中川さんのお料理が写真として残っているそうですが、そんな時には当然それを意識して盛り付けたことでしょう。
ま、私たちに出来ることといえば、いかに「ほんまもん」を見て「ニセモノ」を見ないかです。
偽物を数多く見ると、そちらに慣れてしまうから、いざというときに違和感を感じなくなります。
それはひとえに盛り付けだけでなく、生き方にも考え方にも同様のことが言えます。
ぜひ調った波動の中でその感覚を磨きたいと、私自身も思います。
美風さん、とっても奥深いお返事をありがとうございます。
中川さんの何気ないが、何気ないではないことだという事は、
盛り付けはもちろんのこと、桂剥き、出汁巻き、
包丁研ぎ、その他全てのことで、つきつけられ
愕然となります。
撮影用の盛り付けのお話もお伺いして、
なるほど〜〜〜〜!!!と、プロの凄さを知りました。
整った環境、調える波動の大切さが
全てに繋がっている。
>私たちに出来ることといえば、いかに「ほんまもん」を見て「ニセモノ」を見ないかです。
偽物を数多く見ると、そちらに慣れてしまうから、いざというときに違和感を感じなくなります。
それはひとえに盛り付けだけでなく、生き方にも考え方にも同様のことが言えます。
ぜひ調った波動の中でその感覚を磨きたいと、私自身も思います。
この、美風さんからのお言葉が、とっても
染み渡りました。
ありがとうございます。
夏目さん、こんばんは。
盛り付けが難しいのは事実ですが、だからと言ってお皿と向き合うだけではダメなんです。
一緒に感性を磨きましょうね。
美風さん、こんにちは。
盛りつけの記事、ありがとうございます。
先日娘が中学校の宿題で朝食を作ってくれました。
盛りつけも大切、と話したところ、その後は私の盛りつけを注意深く観察している様子です。
食事は毎日の事です。
食卓についたときに目に飛び込んでくる盛りつけ、彩り、食器の配置など子供のバランス感覚や美的感覚に強い影響を与えているのではないかと思っていたところでした。
盛りつけってやっぱりおろそかに出来ませんね。
『人生が盛り込まれている』・・・毎日の盛りつけ、さらに心して取り組みます。
てんこさん、こんばんは。
きっとお嬢さんは、てんこさんの手先をじっと見つめていることでしょうね。
そのてんこさんの姿が後々のお嬢さんの感性を育てるんですよね。
私も母の手先を景色のように眺めながら、いつとはなしに同じようなことをするようになっていました。
母親の影響は強いものです。
『人生が盛り込まれている』
そうなんです。
盛り付けから人生が透けて見えてくるんです。
コワイものです。