桜沢如一先生の直弟子田中愛子先生の文章より

桜沢如一先生の直弟子さんでいらっしゃる田中愛子先生が、東日本大震災によせて文章を書かれておりますので、ここにご紹介させていただきます。

「今こそ日本の底力を発揮し、立ち上がるべきです」

日本が根底から変らなければ方向性を失ってしまうのではないかと案 じて居りましたが、大きな災害になってしまいました。最善を尽くし、 新しい世界を作る時になったのだと思います。

桜沢先生のご生前、ソ連とキューバの紛争で、ボタン1つ押されれば 核爆発に至る危機の状態になった時、弟子達は世界に散っておりました が、それぞれに桜沢先生から指令が届きました。 「山の中に小屋を借り、玄米と塩を用意しておく様に」とのこと。

私共はベルギーに居りましたが、早速用意致しました。ただし原爆は とめられ、被害に至らずにすみました。

また、後にアメリカのニューヨークでの桜沢先生の講演で、高く林立 するビルのニューヨークも墓石が並んでいる様で、2発の原子爆弾で壊 滅すると予言され、信望者達は車を2~30台連ねてニューヨークを脱 出 ( そ の 中 に は 有 名 な 学 者 、 芸 能 人 も 交 え て )、 ア メ リ カ 大 陸 を 走 ら せ カ リフォルニアに至り、チコ市の広場に車を円型に位置し、中心にマクロ ビオティッククッキング場を作り、共に分け合い共同生活をしました。 それが今、世界に誇る自然食の生産メッカになったのです。幸いその時 も核はとめられ、大事に至りませんでしたが、核の脅威は何時何処に起 こるか予測できません。

この度は、平和利用の熱源としての福島の核漏出は大変残念です。人 智の限界と危険を知らされました。この時こそ、桜沢先生の勇気を知ら されます。今、この時こそ原点に帰り、玄米・塩にて体を整えて頂きた いと願っています。

私の学生時代、秋月先生と交流がありました。幼尐より虚弱であった 先生が玄米に切り替えられた時から体力がつき、生まれて初めて登山も できました。その時、ご自分の心臓のレントゲン写真2枚を桜沢先生に 送って来られました。玄米食以前の水滴のような形の心臓、そして玄米 食 後 の ハ ー ト 型 の 心 臓 と で す 。 桜 沢 先 生 は 私 共 に 示 し て 、「 ド ー ダ イ 、 心 臓も入れ替えられるのだよ」と嬉しそうでしたが、50年を経た今でも 心臓の医学は人の心臓を入れ替えたり、ペースメーカーを埋め込んだり だけです。生命の自然治癒力を信じていないのでしょうか?

秋月先生は晩年、長崎のイタリア系大病院の院長に赴任され、花壇に 根菜類を作らせ、従業者も患者もマクロビオティックでした。 そして原爆が落ち、爆心地に近かったのですが、先生のご指導で1人も 被害者が無く、〝長崎の奇跡〟と賞賛されましたが、その時書かれまし た「死の同心円」はアメリカ政府に没納され、世に出ませんでした。

晩年、私も長崎の病院にお尋ねし、爆心地に近い記念塔も見ました。 「 も う そ ろ そ ろ 本 を 残 さ ね ば … 」と い う お 言 葉 に 大 賛 成 で し た が 、何 と 、 できたのはシンプルな小誌でした。先生の結論のようなご本です。内容 は、玄米をよく噛み、季節のお野菜を使った発酵食品、味噌汁を頂いて いれば、癌も治るし、原爆にも耐えられるというものです。チェルノブ イ リ の 核 が 欧 米 に 流 れ 、日 本 の 味 噌 が 足 り な い く ら い 注 文 が あ り ま し た 。 今は各国で作っています。

CIに辿り着いた皆様はお幸せです。真理を辿り、大自然の道、お働 きを手に入れたのです。何卒、ご自分の命を守り、よき人生をお示し下 さ い 。こ れ か ら の 時 代 、何 を 頼 れ ば よ い か … 世 界 が 模 索 致 し て 居 り ま す 。 全ての宗教が大自然の働きを知ることですが、それぞれの風土性で型が 変り、政治そのものと重なる事もあります。このときこそPUの舞台で す。各宗教を乗り越えたきわめてシンプルなPUです。 これは世界の人々に通用し、理解できるでしょう。

今 こ そ 日 本 の 底 力 を 発 揮 し 、立 ち 上 が る べ き で す 。世 界 の 注 目 の 中 で 、 「難ありすなわち有難き」を示したいと願って居ります。

Aiko Tanaka

田中 愛子

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コメント

  1. 吉武 早苗 より:

    昔、むかし、田中愛子さんとしばらく生活を共にした記憶を持つ者です。
    1960年代前後、東京の汚い下宿屋さんでご一緒したように思います。
    今でもご健在でしょうか?
    玄米正食に熱心だった父(所 健一)は30年前に亡くなり、私も玄米に遠い
    生活になっていますが、田中愛子さんの名前を懐かしく思い出しています。

    吉武(旧姓 所)早苗

    • マクロ美風 より:

      吉武早苗さま、初めまして。
      コメントをありがとうございます。

      愛子先生は、残念ながら2018年2月13日に亡くなられました。
      享年93歳、死因は心不全です。

      愛子先生とご一緒にお住まいになっていらしたなんて、素敵な想い出をお持ちですね。

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