<もったいない一日~その2~>の続き。
田中愛子先生は、「ここだけのお話ね」と仰って、たくさんの裏話をお聞かせくださいました。
そのどれもが宝物のような内容なので、皆さんにお伝えしたい気持ちでいっぱいなのですが、当然ながらここでは書けません。
一面に並べられたトランプのように教えていただいたお話を、シュッと私の手元で一つにしてみました。
すると、私の手元には「普段着の桜沢先生やリマ先生」がいました。
つまり、「桜沢先生を神格化してはいけない」ということだと思います。
桜沢先生は素晴らしい考え方を教えて下さったけれど、神様ではありません。
教祖様のようにすることによって、新興宗教のようにすることもできたでしょう。
しかし、そうすると自由な思考は奪われます。
盲目的になります。
マクロビオティックが宗教ではないゆえんがここにあります。
* * * *
「ノン・クレド」
マクロビオティックではよく使われる言葉ですが、言葉だけが虚しく伝わっている現状があります。
マニュアルとしてマクロビオティックを受け入れてしまっている人の何と多いことか!
むしろマクロビオティックはその対極にあります。
自分で考え、実践し、その結果をまた考え、また実践する。
その繰り返しがマクロビオティックなのです。
マニュアル世代の人には雲をつかむようなイメージかも知れませんね。
でも、諦めないで繰り返してみてください。
必ず宇宙(自然)は答えをくれます。
あらゆる命を大切にして、大自然に沿って命を調和させる。
これが出来れば、言葉は何でもいいのだと桜沢先生は仰りたかったのでしょう。
だから当然マニュアルはありません。
* * * *
そろそろ巷で流行しているマクロビオティックは、収斂作用に入った感じがします。
各地を歩いていると、肌でそれを感じます。
そして、真価が問われるのもこれからです。
頑固にマクロビオティックを追及してきた私が、やはり頑固な中川善博さんと手を取り合えたのも、そんな時代の後押しなのでしょうか?
桜沢先生の最も伝えたかったことを実践する場として「むそう塾」を始めようとしたこの時期に、マクロビオティックの大先輩から大切なお導きをいただき、ただただ感謝しております。
私は幸せ者です。
愛子先生や大先輩から学んだことは、「むそう塾」で多くの人達に還元することでご恩返しにさせて戴きたいと思います。
ありがとうございました。
<追記>
「むそう塾」のスタートにあたって、大先輩から過分なお祝いをいただきました。
思いがけないことで一瞬ビックリしましたが、そのお気持ちがとても嬉しくて、帰宅してからも涙がこぼれました。
「むそう塾」を認めてもらえた気がして、そのことを心から有難く思えたのです。
今も涙がウーっと湧いて来ます。
そのお気持ちを無にしないように、期待に応えられるように、日々精進して大先輩に一歩でも近づけるように努力いたします。
これからも見守ってくださいね。
<終わり>
>マニュアルとしてマクロビオティックを受け入れてしまっている人の何と多いことか!
私もその一人です。
なのでマニュアル通りにできない、守れない自分が許せないと思いました。
そして結局いきついた答えは
「マクロビオティックにこだわることはない!だって一人一人違う体・環境・人生だもーん!」
という答えがでました。
マクロビオティックだけでなく、目の前におこる現象にこだわる(=執着)こともないのでしょう・・・と思いながらも、こだわっている自分も受け入れようと思います。探検!探検!
>必ず宇宙(自然)は答えをくれます。
きっとこのコメントを書いている時も宇宙(自然)は私たちに答えをくれているのでしょうね。
宇宙からの答えを受け取れる器を大きくしていきたいです。
行きつつ戻りつつあせらず、自分の陰陽のバランスをとれるようになりたいです。探検!探検っと!
>「マクロビオティックにこだわることはない!だって一人一人違う体・環境・人生だもーん!」
? ちょっと違うかな?
マクロビオティックは当然ながら、一人一人が違うことを前提に考えているのですが・・・。
愛子先生がおっしゃるところの苦しさは、今マクロビオティックをマニュアルとして実践されている方には存在しないと言い切ってもいいでしょう。
第一、桜沢先生がお弟子さんにとった厳しさは、想像を絶するものです。
今それに耐えられる人は、私も含めていないのではないかしら?
あれダメこれダメといういわゆる排除した食事をすることがマクロビオティックだと思って、それが出来ないあるいは実行することが苦しいと思っている人の苦しさとは、まったく次元の違う苦しさを「探検」ととらえて欲しいと思います。
この苦しさの渦中にいる人を私は知っていますが、とてもとても私には真似のできない忍耐力で一日一日を丁寧に生きていらっしゃいます。
不条理と言っていいほどの苦しさです。
でも、きっとその人はこれからその苦しさを乗り越えて「生きてて良かった」と思える日々を味わえると確信しています。
マクロビオティックそのものは、決して苦しいものではありません。
楽しいものです。
ですから、どん底の時にあってもマクロビオティックの考え方を支えに生きる望みを持てるのです。
それが愛子先生の言葉につながるのですが・・・。
なお、誤解のないように付け加えますが、桜沢先生はただ厳しいだけではなく、愛情のある厳しさだったようです。
だからこそ、男女を問わず多くの人が桜沢先生について行ったのだと容易に理解出来ます。
蛇足になりますが、私のブログタイトルは当初「マクロビの心=平和)としてスタートしました。
しかし、ふたを開けてみると、マクロビオティックがつらい、苦しいという人がたくさんコメントをくださって、これはおかしいぞと思いました。
私は最初からマクロビオティックを楽しんでいましたので、マクロビオティックは楽しいものと思っていました。
そこで、最も伝えたいことは、「マクロビオティックは楽しいんだよ~」ということだったので、「♪マクロビオティックが楽しい♪」にブログ名を変更しました。
うりゃこさん、頭で考えていませんか?
自然の中に体を埋めてみませんか?
きっとその心地よさに涙が流れるはずです。
そこに命を託したら、もうマクロビオティックなんですよ。
苦しくなんかないはずですが。
うりゃこさんのちょっぴり寂しさのある美しさが、正真正銘の輝きのある美しさに変化することが出来るはずです。
それを可能にするのがマクロビオティックなんですよ~。
どうぞ、呪縛から解き放たれてくださいね。
またお会いしてお話ししましょう。
桜沢先生がとった、厳しさと言うのは、たとえばどのようなことなのでしょうか?
それは、教えていただくことはできますか?
標準食を厳格に食べるとか、小食にするとかですか、、、?
美風さん
愛のあるお言葉ありがとうございます。
お返事のコメントを読ませて頂いた時、涙があふれ、あふれ・・・。ダムが決壊したかのように涙が止まりませんでした。そして不思議と幼少時代の頃が思い出されて仕方がありませんでした。
またお会いしてお話がしたいです。
>桜沢先生がとった、厳しさと言うのは、たとえばどのようなことなのでしょうか?
子供を谷底に突き落として、やっと這い上がって来た子供をまた谷底に突き落とし、それを上から見ているような感じです。
動物の世界では子別れ前にあることですよね。
子供が一人でしっかり歩めるための親の愛情です。
細かくは誤解を招くといけませんので、ブログには書けません。
ご容赦くださいませ。
>そして不思議と幼少時代の頃が思い出されて仕方がありませんでした。
良かった。
この言葉を拝見できて。
そう、子供の時って本能そのものですよね。
それが、成長するにしたがって、どんどん本能の芽を摘み取られてしまうんですね。
良い子といわれ、親からみてお気に入りの子供ほど本能を押し殺しています。
そんなのって、不自然そのものだと思いませんか?
そうではなくて、もっと自然に即して生きてみようよ。
本能を錆びつかせない生き方をしてみようよ。
大自然に学ぼうよ。
こんな感覚がマクロビオティックの世界だと思ってくださいね。
そうしたら、頭で考えることが不自然に思えるはずです。
もっと、体で判断しましょう。
DNAは私達の心地よいことを知っているのですから、それに任せればいいのです。
肩の力を抜いて、大自然に沿ってみると、たくさんのことが見えてくるのではないかしら?
さあ、これからは過ごしやすい季節です。
少しでも多く自然とおデートしましょう♪