マクロビオティックが楽しい♪」カテゴリーアーカイブ

お料理以前(4)「むそう塾」の方向性

お料理以前(3)お料理は心で作るもの>のつづき
「マクロビ井戸端会議」 、「Lilas(リラ)・マクロビオティックスクール」 、「美風ゼミ」を通じて、「人とお料理の関係」をず?っと眺めて来た私としては、かねてから「お料理の技術以前」のことをフォローしたいと思っておりました。
それを形にしたのが「むそう塾」です。
「むそう塾」ではこんな方向性を考えています。
・お料理は最高の技術でお伝えしますよ。
・でも、もしあなたがお料理の仕上がりに限界を感じたら、
・違う角度からご一緒に考えてみましょう。
・そして、人間的にも素晴らしい人になってくださいね。

「むそう塾」と繋がって、あなたがもっと美味しいお料理を作れるようになってください。
そうすることによって、あなた自身が幸せになれるはずです。
そうなったら、パートナーやご家族や周りの人の笑顔も増えるはずです。
そのためには、まず、あなたからね。
*    *    *    *
「むそう塾」にあるのは、マクロビオティックだけではありません。
「氣」を大切にし、「人間性を高める場」としての「むそう塾」は「人間塾」でもあります。

中川善博さんと私が、残りの人生をかけて本気で取り組んでいます。
先の記事でご報告しましたように、中川さんは先週お母様を見送られました。
中川さんはお母様がご病気になられてから32年間の長きに亘って、お母様のことを最優先にされて、ご自分のなさりたいことを我慢されて来たそうです。
これから中川さんはどんなことを展開してくださるのでしょう?
私が想像もつかないアイディアを出してくださる中川さんですから、ワクワクする企画を練ってくださると思います。
どうぞ、これからの「むそう塾」と中川善博さんにご期待くださいね。
<終わり>

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お料理以前(3)お料理は心で作るもの

お料理以前(2)中心軸>の続き

私はお料理って、心(氣)で作るものだと思っています。
つまり、お料理以前に心(氣)のありようが大切だと思うのです。
だから、穏やかな氣に包まれた人のお料理は、たとえおむすび一個でも涙が出るほど美味しいんですよね。
佐藤初女さんのおむすびは、その代表といえるでしょう。
お料理教室に行かなくても、文字が読めなくても、心に響くお料理を作る人は沢山いらっしゃいます。
ほら、おばあちゃんのお料理、美味しかったでしょう?
レトルトのお料理って美味しいですか?
氣を感じますか?

ですから、「プロでない人」がお料理を美味しく作りたいと思ったら、まずは心の状態を整えることが先だと思います。
精神状態が安定しなくては、心も氣も整いません。
こんなことを中川善博さんにお話ししたら、中川さんも同感でした。
あえて中川さんに数字で示していただいたら、下記のような比率になりました。
なお、プロの中川さんらしく、プロの場合の比率も教えてくださいましたが、それは別の記事でご紹介させていただきます。

*    *    *    *

<アマチュアの場合の料理技術と心(氣)の比率>

「アマチュアにも色々な場合があるので、一概には言えませんが」と前置きされた上での数字です。
技術10:心0  (残りの90は違う事に向いている人)
技術30:心0  (お教室マニアに多い。残りの70は自己顕示欲を満たすために。)
技術10:心90 こんな方は幸せになれますね。
理想は技術30に心70なのではないでしょうか。

そして中川さんは次のように続けてくださいました。
食べる人の心もお腹も満たす料理を作れる人を育てたいです。
食べる人の存在を思い浮かべながら作るのが料理です。
誰が食べるかわからないが美味しい物を作るのが調理です。
私は調理師ではなく死ぬまで料理人で居たい。

お料理以前(4)「むそう塾」の方向性>につづく

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お料理以前(2)中心軸

お料理以前(1)お料理と私の子供時代>のつづき
私のわがままから紆余曲折の人生を歩んでしまいましたが、それでも何か「ここ一番」という時には、親の顔が思い浮かびます。
心の軸になっているのが良く解ります。
こんな安定した気持ちでいられるのは、やはり産まれる前から両親の食事がしっかりした和食であったこと、そして私達兄弟もきちんとした和食で育ててくれたこと、そして何よりも家族が揃って食事をすることが出来たお蔭だと思っています。
母がしっかりと穀物を入れた子育てをしてくれたお蔭で、私も中心軸が定まった生き方をして来れたのではないかと思っています。
(少々頑固者ですが・・・^^;)
でも、これは母が偉いのではなくて、この時代の人はみんなこんな生き方をしていたんですよね。
おかずよりご飯の方が多い生活も普通でした。
そして一番良かったのは、甘いものが今ほど豊富になかったことです。

この中心軸。
これが最近ブレている人が多いですね。
そして、そのような人のお料理を見ていると、やはり安定性に欠けるように思います。
つまり、仕上がりに「いまひとつ」なところがあるのです。
それを技術的な問題だと思って、お料理教室に通いまくる人がいますけれど、原因は自分にあるんですよね。

お料理以前(3)お料理は心で作るもの>につづく

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お料理以前(1)お料理と私の子供時代

私は小学2年生で初めて台所に立ちました。
それからずっと、何かしらお料理を作り続けて来ました。
なぜ作り続けられたかというと、やはり最初が肝心だったように思います。
シンクの前にミカン箱(木製)を裏返しに置いて、その上に乗って作ったお料理と呼べないようなお料理を、父も母も「美味しいね」と言って食べてくれたからです。

 

形の悪い目玉焼きも、太く切ったキャベツの千切りも、父は目を細めて食べてくれました。
時には、しょっぱいお味噌汁も、少し焦げたお魚も、父は何も残さずきれいに食べてくれました。
兄や姉達はなんだかんだと言っておりましたが、両親の見せてくれる笑顔でそんなことは気になりませんでした。
母がいつも作ってくれるお料理と味が違うのですから、お料理が上手に出来たかどうかは自分が一番良く判ります。
後で母がそんな時には何が原因かを教えてくれました。
それでも「美味しい」と言って食べてくれた父母には、今も心から感謝しています。
その一言が私を料理の好きな人間にさせてくれたと思うからです。
*    *    *    *
さらに、最高の宝は、私が学校で食べるお昼の時間以外は、家族が全員揃ってお食事をいただいたことです。
そして、そのお食事はすべて母の手づくりでした。
味噌もお野菜もお米もお豆も手づくりでした。
母はお漬物がとても上手だったので、私は今でもお漬物が大好きです。
マクロビオティックという言葉は知らない家庭でしたが、充分マクロビオティック的な生活でした。
母は躾に厳格な人でしたので、父がお箸を持つまで子供たちはお箸を持ってはいけませんでした。
父が着席して初めて「いただきます!」が出来ます。
この厳しさは大人になってから大いに私のためになりました。
そんな家庭で、両親の愛をいっぱい貰って育ったことは、私の人生にとって最高のプレゼントでした。
お料理以前(2)中心軸>につづく

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紅葉とともにさようなら

2008年11月18日(火)。
私は「むそう塾」の打ち合わせのために、京都に到着したばかりでした。
さあ、これから打ち合わせという時に、中川善博さんの携帯が鳴りました。
お母様が入院されていた京大病院からです。
大急ぎで病院に駆け付けた中川さんから、ほどなくして私にお電話がありました。
「13時30分に母が亡くなりました」。

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ご臨終には間に合われたそうです。
・・・・・・・・・

翌日は「第7回むそう塾」の開催日でした。
大急ぎで申込者にお電話して「むそう塾」の開催を中止するべきか考えたのですが、私と中川さんの出した結論は「予定どおり開催する」でした。
理由は、「むそう塾の開催は申し込んで下さった方々とのお約束だから、いかなる理由があってもお約束を守りたい」でした。

しかし、「むそう塾」の開催には大変な準備があります。
前夜からパウンドケーキを2本焼き、お料理の仕込みをし、当日は朝5時から仕込みをして、参加者にお出しするお昼のお料理を作らなければなりません。
このような時に、時間的にも精神的にも可能かどうか中川さんにお伺いすると、「私は大丈夫です」とのお返事。
私も中川さんなら意地でもこなすだろうと判断していました。

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19日(水)。
少し早めに「なかがわ」さんへ到着した私が、「夕べは寝られましたか?」と尋ねると、「寝られませんでした」とのお返事。(やっぱり)
そして中川さんは、「いつもどおり、笑顔で明るくやりましょう」と仰います。
そして、「きょうの玄米ご飯は、キッパリと炊きました」とのこと。
中川さんの精神状態が伝わって来て、目頭が熱くなりました。

お昼にお料理をいただいてみると、見事に凛とした氣が伝わって来る仕上がりになっていました。
さすがだなぁと思いました。
「玄米ご飯から透けて見えるもの 」という記事を書いた私ですが、中川さんは見事に精神をコントロールされてお料理に向き合われたのだなぁと、改めて感じ入りました。
一流のプロであることの凄味を感じた一瞬でもあります。

予定どおり17時に「むそう塾」を終了し、私はお時間のある方々とホテルのティールームに移動しましたが、中川さんはそれからが大変だったと思います。

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20日(木)がお通夜、21日(金)が告別式でしたので、私は両日とも参列させていただきました。
お通夜の会場に入ってまず目を引いたのは、お母様のお写真でした。
思わず「うわ〜綺麗」と口にしてしまったほど、お美しいお母様でした。
お母様は踊りの先生をされていらしたということで、会場には舞姿の大きなお写真が何枚も飾られ、それはそれはお美しくて艶やかなお姿でした。

翌日の告別式の時には、お別れのお花がいっぱいで、棺のふたが閉められないほどでした。
お弟子さん達が大勢お別れに来て下さったそうです。

ところで、中川さんがお母様の旅立ちに選ばれたお着物は、作家の一点もので墨絵模様の縮緬地。
それに合わせた帯は、手刺繍で般若心経を縫い込んだ豪華なものでした。
きっとその中川さんの想いがお母様に通じて、お母様はこれからお好きな踊りを、広い宇宙で心ゆくまで踊ってくださるのだと思います。

ちょうど京都は紅葉がまっ盛りの季節です。
見事に色織りなす木々の何と美しいこと。
そのひとひらが、はらりと土に舞い降りた2008年11月18日。
お母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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