マクロビオティックが楽しい♪」カテゴリーアーカイブ

陽性なきんぴら牛蒡・陰性なきんぴら


きんぴら牛蒡はマクロビオティックの陰陽でいうと、陽性なお料理ですが、料理方法でいくらでも陰性に偏らせることができます。
しかし、まずはこんな陽性なきんぴら牛蒡で体調を調えて、どうしても窮屈さを感じてきたら、材料や切り方や加熱時間を変えて、陰性な仕上がりのきんぴらに挑戦してみましょう。
春になったらこんな陰性なきんぴらもいいですね。
きんぴら一つから陰陽の基本をしっかり学ぶことができます。
体調と相談しながら陰陽を考えてお料理をしてみてください。
分からなくなったらメールを。
質問はむそう塾生の特権です。

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煮物料理と食事日記

今月の幸せコースは煮物でした。
次々と美味しい煮物が出来上がっていく様子は見事であり、力強さを感じます。
そう、煮物はしっかりとした根を作ってくれるように思います。
「食べたもののようになる」とはマクロビオティックではよく言われる言葉ですが、煮物が体に入っているかどうかはかなり体調と連動しますので、しっかり復習して煮物上手な人になってほしいと思います。
煮物の良いところは、穏やかな良い陽性を取り入れることが出来る点にあります。
そして体への負担がとても少ない食べ物です。
煮物が上手にできること、その煮物を日々体に取り入れることは、穏やかな人への定番コースです。
忙しくて煮物を作る時間がない、あるいはそんな気持ちになれないという暮らし方は、やはり穏やかな人から遠ざかる可能性があります。
ぜひ、煮物が出来るような気持ちになりましょう。
さて、座学では食事日記を拝見させていただきました。
皆さんがきちんと食事日記をつけてくださり、偉いなぁと感心しました。
食事日記は慣れるまでが面倒ですが、慣れれば体調を客観的に知るにはとても良い方法です。
病気治しの場合はこれを細かく厳格に実行しますが、特別な病気がない場合は神経質にならず、体調の変化と食べた物の関連を知ることに利用すると良いです。
皆さんの食事日記を拝見して思ったのは、やはりいつも拝見している皆さんの行動どおりのお食事をされているなぁということでした。
これは私にとっても大いなる確信になりました。
水分の多い人、おかずの貧弱な人、カタカナ料理の多い人、主食と副食の陰陽が全然考えられていない人、献立のセンスがない人、マクロビオティックの解釈にまだ柔軟性がない人などなどですが、予想どおり発酵食品の摂取が少ない人が多いです。
せめてお味噌汁だけでもちゃんと飲んでくれたらと思うのですが、そのお味噌汁がなかなか登場しない人もいて、とても残念に思いました。
お味噌やお醤油の偉大さを知らないで暮らすことは、人生に大いなる差がつくと思っても間違いないです。
むそう塾生ならその辺のところは絶対克服してほしい点です。
辛口批評になりましたが、これが大切なのです。
人間は油断をすると楽な方へ流れる癖があるからです。
食事はもちろん楽しくなければいけませんが、野放し状態ではいけません。
マクロビオティックとは楽しく生きるためのツールですから、ぜひ楽しんで食事ができるようになってほしいと思います。
1ヵ月間食事日記をつけてくださった皆様、お疲れさまでした。
意外なアドバイスもあったと思いますが、それがその人にとっての一番重要な点なので、どうぞその意味をかみしめていただけたらありがたいです。
もし、ご不明な点がありましたら、どうぞご遠慮なくメールをお送りください。
細かくご説明させていただきます。

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動物性食品って血が汚れる?

私にはマクロビオティックなるものを理解するため、何年もストイックにマクロビオティックを実践していた時期がありました。
今むそう塾にもそのような塾生さんがおられます。
それはそれでとても大事なことで良い体験なのですが、それがはたから見ると不自然に映ることがあります。
特に女性の場合は体型や表情や考え方に著しい変化が出ることが多いので、まわりの人も気になるのです。
そんな中、一人本人だけは良いことだと信じて突き進むんですよね。
私にもそんな時期がありましたのでよく理解できます。
私が一番最後まで引っかかったのは、「動物性の食べ物は血を汚す」と教えられたことです。
そして、僧侶や精神性を大事にする人は動物性を食べないのだと説得力をもって私の意識を支配していました。
しかし、何年かするとふと思いました。
じゃあ、動物性を口にする人はみんな野蛮で精神性が劣っているのか?
そう考えなおした時、マクロビオティックをストイックに実践していても、決して人物的に完全でない場合もあることを考え合わせると、何かが違うと思うようになりました。
ある意味、動物性を口にしないことに優越感を感じて、動物性をいただく人を蔑視するような発言をする人も見受けたりして、大いに疑問を感じました。
そんな時私は思いました。
動物性を食べない時の体調と食べた時の体調は明らかに違いを感じるし、血液の質の変化も感じるけれど、少し血液を汚したからといってその人の全人格が否定されるわけではないことを考えると、あまりにも「血を汚す」ことに神経が集中しすぎている人がいるように感じたのです。
そこのところをとらえてマクロビオティックは宗教かと思う人がいるのだと思います。
動物性のものを食べていても、マクロビオティック云々という人よりずっと尊敬出来る人がいっぱいいます。
世の中の多くの人が動物性が少しくらい入っても、何不自由なく暮らしているはずです。
そんなことを考え合わせると、動物性を一切排除することによってマクロビオティックに陶酔することのないよう、経験者として忠告しておきたいです。
マクロビオティックの良さを享受する前に、マクロビオティックの弊害に陥らないようにしてほしいです。
なお、以前転載した記事ですが、初めてこのブログをご覧くださる方のために、かなり長いですがもう一度転載しておきます。
ご参考になさってください。

食で変わるココロとカラダ』

 

2011/07/14

 

How to Include Animal Foods (動物性食品の取り入れ方)

カール・フェレー

 

 

マクロビオティックを実践している若者・ジョーは首に違和感を覚えていた。数年間、熱心にマクロビオティックを実践していたが、彼の病状は悪化の一途を辿っていた。ジョーは久司道夫氏のアドバイスを受けるため、テキサスからボストンに飛んだ。道夫氏のアドバイスにもかかわらず、病状の好転は見られなかった。ジョーはさらにヘルマン相原氏にもアドバイスを求めたが、結果は同じだった。結局、ジョーは全身を動かさないと頭を回せない身体になってしまっていた。彼の首は完全に凝り固まってしまっていた。

 

 

救いを求め彼は医者を渡り歩いたが無駄に終わった。結局、一人の医者がノースカロライナの専門医を紹介してくれた。この専門医がジョーを診断した結果、彼は非常に稀な骨障害を抱えていることが分かり、彼に解決策を示してくれた。鶏である。専門医の説明によれば、ジョーの骨は悪化し続けており、鶏のある成分(それは鶏にしかないそうである)が彼の病状を治療可能だそうだ。

 

 

ジョーは私の友人で、病気の兆候が現れる前の1975年に彼と出会い、共にマクロビオティックをスタートした仲でした。彼はとても社交的で面白く、毎日がパーティのような生活を送っていました。GOMF(George Ohsawa Macrobiotic Foundation)で働くため、私は1978年にカリフォルニアへ引っ越してきました。ジョーに最後に会ったのは、1983年にテキサスへ彼を訪ねたときでした。彼は完全に治癒しており、初めて会った頃の彼に戻っていました。一体どのようにして治癒したのかを聞くと、先に書いたように説明してくれた後、次のように言っていました。「良くなるためにマクロビオティックを諦めて鶏を食べなくちゃいけなかったんだ」

 

 

「冗談だろ!」と私は出し抜けに言い、続けて「身体が求めるものを食べるのがマクロビオティック食じゃないか」。ジョーは理解できなかったようだ。マクロビオティックでは鶏は敬遠すべきものだという考えに凝り固まっていたのだ。鶏は食べないものだという「マクロビオティック」の食箋に従っていた時よりも、身体がそれを求めていることを受け入れ、鶏を食べたジョーの話を聞いた時、彼が本当にマクロビオティックを実践しているのだと感じることができた。

 

 

BACKGROUND-背景

現実的に考えてみると、マクロビオティック食に動物性食品を導入している人もいればしていない人もいる。動物性食品を健康に寄与する形で摂るこることは可能だと考えている人もいれば、魚介類以外の動物性食品を摂るのは避けるべきだと考えている人もいる。マクロビオティックの実践をする際の敷居を低く設定している人もいれば、高く設定している人もいるのである。

 

 

魚介類以外の動物性食品を制限・禁止するという厳格な規定がある一方、それを摂っても良いという程度の寛容な規定もある。今日、動物性食品を食べることの危険性は以前にもまして大きい。只、より深刻な危険とは、マクロビオティックの理念を病気治しのための食事に限定してしまうことにある。この記事では、魚介類以外の動物性食品をマクロビオティックの理念や実践に導入する際の賛否両論を検討する。尚、これ以後、「動物性食品」とは、魚介類以外の動物性商品全般を指すことにする。

 

 

マクロビオティックを実践する際、動物性食品の位置づけに関する混乱は、マクロビオティックの著書に既に見ることができる。1960年に出版された「ゼン・マクロビオティック」は、George Ohsawa(桜沢如一、以下GO)が食箋について書いた最も詳細な著書である。彼はその中で、健康になるための10の食箋を提唱しており、その中の5つはベジタリアン食で残りの5つは動物性食品を含んだ食箋だった。彼が列挙した後者のマクロビオティック食には、鶏、七面鳥、卵、そしてバターや牛乳などの乳製品が含まれていた。

 

 

その一方で、健康的な生活には動物性食品を摂る必要がないことGOは書いている。動物性食品が人間の霊的な成長を阻害すると考えていたからだ。動物性食品を全く摂らなくてもよくなるまで自分自身を啓発することをGOは奨励していた。GOが動物性食品をマクロビオティック食に摂り入れた理由は、人々が与えられた食箋を厳格に守り続けることがマクロビオティック食であるという誤った考えを持たないようにすると共に、動物性食品を食べたいという希望を持っているためにマクロビオティックの理念を敬遠してしまうのを避けるためだったように思える。彼は可能な限り包容力のあるものとしてマクロビオティックを望んでいた。排他性を心底毛嫌いしていた。

 

 

ヘルマン・コルネリア相原夫妻が著した1970年代の書物では、動物性食品を時々食べても良いとする嗜好品の部類に入れている。事実、コルネリア夫人は何年もの間、感謝祭の日に七面鳥などの動物性食品を料理していたし、そうした料理レシピを『カレンダー料理本(“Calendar Cookbook”)』に掲載していた。GO夫妻も相原夫妻も、動物性食品の適切な摂り方に関するガイドラインを示しており、例えば、ごく少量をときどき摂取すること、オーガニックの飼料で生育され、放し飼いされている動物であることなどが示されていた。さらに両夫妻は、健康体であるためには、動物性食品は必要ないということも指摘していた。

マクロビオティックにおいて動物性食品を完全に禁止する方向に舵を切ったのは、道夫・アベリン久司夫妻により著された1980年代の書物に端を発する。『標準的なマクロビオティック食事法(“Standard Macrobiotic Diet”)』で道夫氏は、魚介類以外の動物性食品を「日常的に避けるべき食べ物」の部類に入れている。アベリン夫人は、週に23回ならば少量の魚介類を摂っても良いというスタンスから、1985年までに自著『マクロビオティック食完全ガイド(“Complete Guide to Macrobiotic Cooking”)』の中で、「肉、家禽、卵、乳製品の摂取は厳禁である」と述べている。

 

 

こうした厳格な規定に固守するというマクロビオティックの教えこそ、GOが避けようと試みてきたことだった。今日、マクロビオティックを指導する講師やそれを実践する者の多くは、アベリン夫人の食箋に従い、肉、家禽、卵、乳製品の摂取を厳禁としている。さらに言えば、人々の多くは、そうした食べ物はマクロビオティック食ではないと信じ、また指導している。マクロビオティックの実践者がGOや相原夫妻の書物を目にした際に混乱が生じるのである。我々は次の質問が投げかけられている。「マクロビオティックで動物性食品を摂っても良いのでしょうか?」

 

 

マクロビオティックとは大きく、偉大な生命という意味であり、それは動物性食品を摂る者も摂らない者も抱合するのに十分たる包容力がある。マクロビティックの原理によれば、反対のもの、あるいは対立するものは全て、同時に相補的でもある。健康的にマクロビオティックを実践できるのであれば動物性食品を摂っても良いと考える人も、それを摂るのは厳禁であると考える人、その両人を統合可能な考えがマクロビオティックである。個人的には両人の考えを尊重する。ただ、そこには問題もあるという点も指摘しておきたい。

 

 

PLOBLEMS WITH INCLUDING ANIMAL FOODS

動物性食品を取り入れることの弊害

動物性食品を摂っても構わないとすることの問題は、そのような記述が誤解の源泉だからであろう。この号の『マクロビオティック・トゥデイ( “Macrobiotics Today”)』の編集者への手紙で、読者はまさにこの点に関する懸念を述べている。マクロビティックの食事とは主に植物性食品を中心にしたものである。オーガニック飼料で生育された放し飼いの動物、あるいはその動物を元にした製品を時々、少量食べたからといって、それは変わらない。またこの事は、GO、相原夫妻、あるいはマクロビオティックの原理を勉強している者みなが皆、残虐非道な農場経営手法を容認している訳ではない。

 

 

動物性食品を避ける人が言うには、ごく少量であれば動物性食品を食べても良いと伝えてしまうと、それを聞いた人は、いつでも、好きなだけ食べても良いと勘違いしてしまうそうだ。これは明らかに誤りである。GOや相原夫妻は共に、特に当時の食品の質を考えた場合、動物性食品を食べることの危険性を指摘している。今日、品質はさらに悪くなっている。動物性食品に対する無知と、それを過度に摂取することに対する彼らによる警鐘は今日にも当てはまるのである。

 

 

マクロビオティックの世界には指摘しておくべき神話がある。マクロビオティックの実践者の中には、動物性食品を摂らない自分たちの方が高い精神性を持ち、判断力も高く、その他の点でも優れていると考えている者がいる。マクロビオティックを実践する菜食主義者は、動物性食品の量や質に関わらず、それを食べる人だと知りながらその人と席を共にしようとは考えてない。

 

 

動物性食品を食べる・食べないにせよ、その選択の裏にある考えも同様に重要なのである。マクロビオティックの教えの中核には非排他性、即ち他人を受け入れるという考えがある。他人の意志決定に寛容になれることが大切であり、我々の多くが日常肉を食する親戚や同僚を持つという点を考えた場合、この点は特に重要である。

 

 

動物性食品を制限することに関する別の議論は、マクロビオティックを実践しようとする人の大部分が、何らかの病を治療する目的でそれを始めるということにある。そのような状態にある人が病を克服するためには、必ずと言っていい程、動物性食品を避ける必要がある。そうした話をしていくと、各人に応じた適切な動物性食品の摂取を伝えるよりも、皆に動物性食品を避けるよう推奨したほうが話として簡単になったのである。動物性食品を制限する理由は多数あるが、それにより誤解が生まれ、様々な意味でマクロビオティックを制限することになったのである。個人的にその最たる例は、マクロビオティックの原理を学ぶことをせず、ただ盲目的に基本食を守るという欲求に駆られるという点ではないかと思う。

 

 

PROBLMES WITH EXCLUDING ANIMAL FOODS

動物性食品を除外することの弊害

動物性食品を厳しく制限することの弊害の一つは、健康の維持・増進を図るために動物性食品を必要とする人を過度に怖がらせ、それを食べるよう薦めるアドバイスに耳を貸さなくすることにある。友人のジョーは彼の症状を改善するために、動物性食品(彼の場合は鶏肉)を必要としていた。動物性食品のせいで彼はマクロビオティックをやめてしまった。しっかりとマクロビオティックを理解していなかったために、彼はそれを全て放り投げてしまったのである。こうした限定的な物の見方のためにマクロビオティックをやめなくてはならなくなった人が一体何人いるのだろうか?

 

 

魚介類以外の動物性食品を食べる必要があるとアドバイスを受けた経験を持つ人を何人も私は知っている。私自身、数年前に同じようなジレンマに直面したことがあり、わずかの間だけ動物性食品を食生活に摂り入れ、体調が改善した。私は、何をどのくらい食べるかを決定する際にマクロビオティックの原理を活用したが、心配されるほど難しくはなかった。

 

 

動物性食品を制限することで発生する別の問題とは、マクロビオティックを実践する指導者の多くがそれを自らの食生活に摂り入れていることにある。何年も前に、私は、乳製品を厳しく制限する理由をいくつも挙げレクチャーを開催していたマクロビオティック講師の素晴らしレクチャーを聞いた。大変な感動を覚えたため、講演後、感謝の気持ちを伝えるため、彼の控え室を訪れてみると、なんと彼は、牛乳入りの冷たいシリアルを食べているところだった。私はショックを覚え、彼が講演で謳ったことと実際の行動が違うのは何故なのかと考えてみた。

 

 

数年後、マクロビオティックの指導者たちが集まる会合に参加した際、その答えが明らかになった。過去2ヵ月の間、魚介類を除いた卵や動物性食品を食べていないかを聞かれ、6人中一人がYESと答えた。私は混乱した。彼らは自分たちの主張を正当化するために、動物性食品を摂っても良い理由を、自分たち講師はマクロビオティックの原理、例えば、食材の品質、食べる量、適切な調理法などを知っているからだと主張した。マクロビオティックの原理を知っている者であれば動物性食品を食べても良く、知らない者はたべてはいけないのだ、と私は考えるようになった。このことを初めから教えてくれないのはなぜか?単に動物性食品を絶対摂ってはいけないと教えるのではなく、健康に資する形でそれを導入する方法を説明してくれないのはなぜなのか?

 

 

マクロビオティックの哲理には、生命のあらゆる領域で活用可能である普遍的な原理が内包されている。ところが、食養との関連が強くなったため、その哲理が疎かにされてきたのである。マクロビオティックは非常に限定的になり、「規模、範囲、能力が非常に大きいこと」と辞書が定義するようなマクロなものではなくなってしまった。マクロビオティックが食事面に限定されてしまったのみならず、その食事そのものも限定的なものとなってしまったのである。

 

 

How to Include Animal Foods

動物性食品の取り入れ方

 

 

このセクションでは、マクロビオティックの原理を使った動物性食品の取り入れ方のアイデアをいくつか提案していこうと思う。但し、以下の提案は、誰もが自分の食生活に動物性食品を摂り入れるべきだと述べているのではなく、また、注意深く熟考せずにそれを取り入れてもよいと述べているわけでもない。

 

 

Condition:健康状態

基本的に動物性食品は酸を形成し、植物性食品よりも身体に負荷がかかる。このため、すでに病気を抱えている人は動物性食品を摂取する前に、注意や相談といった正規の医療サービス提供者からのアドバイスを受ける。

全く健康な人ならば、動物性食品を摂る前にその特質や効能を徹底的に学ぶことが助けとなる。

 

 

Constitution:体質

ある人たちは、自分たちが積極的に動物性食品を摂っており、ほかの人達はそうではないと見出すが、私たちはみな一人ひとり違う人間である。私たち人間も含め、全く同じものなど存在しない。例えば、血液型がO型だという人たちの多くは、動物性食品を摂った方が身体の調子が良いと話すが、A型の人たちは、植物性食品を摂り、動物性食品を全く摂らない方が良いのだそうだ。

 

 

Purpose:目的

動物性食品を摂るかとらないかで、暮らしの中で無双原理やその哲学を使う目的に、直接影響を与えてしまう。心の成長のためにマクロビオティックを実践している者は、植物性食品を多く摂り、動物性食品を減らすことが有効であるといった桜沢や相原の教えを見出してきた。不調を癒すことに関心のある者は、各人特有の健康状態のためにはっきりこれ、と必要な食品がない限りは、前述した教えが同じく当てはまることに気づくだろう。

 

 

Attraction:効果

私は、フレンチメドウキャンプでのあるセッションを思い出す。ヘルマンがキャンプの女性参加者たちを楽しませているあいだ、コーネリアが男性参加者たちに話していた。ある男性参加者がコーネリアに、女が男に期待することとは何かと訊ねると、彼女はぐるりと彼らを見回しこう言った。「あなたたちみんな陰性すぎよ!」彼女は我々に、(適切ならば)動物性も含めたより陽性な食品を摂るよう薦めるのだった。彼女が考えるに、我々は女性の陰性さを引きつける陽性さが十分ではなかった。我々は「陽は陰を、陰は陽を引きつける」原則にではなく、コーネリアの助言には同意しかねる。

 

 

Quality:

いずれの食品を摂るときにも、最も重要なことはその品質である。私見だが、選んだ食品の質は、動物性食品の場合は悪化する。化学物質や農薬、防腐剤、添加物等々といったものの入らない食品を選ぶことが重要だ。基本的には、人工的に手が加えられていなければ、それだけ良いということであろう。この原則は大量消費向け商業ベースの食品店からほとんどの動物性食品を排除してしまう。飼育場を自由に駆け回り、オーガニックな作物や飼料だけを食べている動物(やその加工食品)を選ぶのがいいだろう。可能ならばその飼育場を訪れるのだ。野生の獲物の肉は通常、飼育されているものより質は良いものである。

 

 

Quantity:

GOは「量は質を悪化させてしまう」といったが、これは言い得て妙なことである。私の経験では、ごく少量の動物性食品であればそれはとても役に立つ?たとえばコーンブレッドに入れる卵一つとか。いつものように、各人の健康状態や目的に応じた必要量を摂ることだ。もし健康状態のために動物性食品の摂取が必要で、それが少量なものならば、方法の一つとしては、自然飼育された食肉を扱う肉屋から骨を買いスープストックを作ることだ。このやり方なら、食肉そのものの過剰な脂を摂らずに骨のミネラルを摂取できる。

 

 

Yin/Yang:陰陽

陰陽の分類上、動物性食品がより陽性だと考えられている一方で、動物性食品は陽性の性質と陰性の性質、両方を合わせ持っている。肉についている脂肪は陰性であり、その脂肪こそが陰陽バランスを取る際に厄介なものなのである。GOが提唱する食養法ではその人の食事療法に動物性食品が含まれている場合、穀物を控え、サラダや果物、デザートなどをより多く摂るよう助言している。

 

 

Change:変化

全ては変化する。マクロビオティックは柔軟性や、適応力をもつことを説いている。釣り合いをとるために、素材に備わっている陰陽を料理法を変えることで調整するのだ。下準備や陰性食品を組み合わせることで陽性食品のバランスをとるといったことだ。マクロビオティックの料理本にはそのための多くのアイデアが載っている。初めあるものは終わりがある。もし我々が動物性食品を食べ始めたならば、それらを食べることを止める時もまた来るだろうし、後に再び食べ始めるほうへと引き寄せられることもあるだろう。

 

 

Front/Back:表裏

表あるものはまた裏もあり表大なればまた裏も大なり。効のあるものは害をなすこともあるということ、効能が大きければそのぶん害もまた大きく潜んでいるのだということを、GOは我々に教えてくれた。その理論を理解せずに、ただ闇雲に杓子定規な規則のあと追いをすることこそが最も危険なことだ。適切な理解や予防措置といったことなしに動物性食品を食べることは間違いなくその危険行為に当たる。

 

 

CONSEQUENCES

結論

マクロビオティック哲学のもっとも重要な概念の一つが、我々が飲み食いしたものが、その結果を引き起こすというものだ。GOは経験はまた偉大な教師であると教えてくれた。彼の助言はつまり「やって、それをよく見ろ」ということだ。我々が飲食に何を選ぼうとも、最も重要なことはその結果を見極めるということなのだ。もし我々がさらなる不調を感じたなら、摂ると自分で決めた(不快さや病気を引き起こす)食べ物を飲み食いする、その欲求を控えることだ。

 

 

我々の考え方や指導にも結果はついて回る。この財団が入る建物の大家は、我々の活動が気に入っているといってくれていた。我々が沢山の人たちの健康維持やその回復を助けていることを、自分は知っているんだと話してくれた。しかしながら、彼は、厳格なマクロビオティックダイエットを続けながら30年やそこら生きるくらいなら肉やピザを楽しみながら10年ちょっと生きるほうがましだと、言い続けてもいた。彼はドアの向うへ歩きながら振り返りこういった。「もちろん、10年かそれよりもっとか、病院から君の助けを求めているかもしれないけどね」

 

 

あの時、私は絶好の機会を逃してしまった。私はマクロビオティックを治療目的のダイエットへと焦点を絞りすぎてしまったのだ。そして大家はドアの向うに歩き去っていった。彼が寄せたマクロビオティックへの関心は失われてしまったのだ。彼が肉やピザを食べながらでもマクロビオティックの原理を使えることを私は説明出来たはずだったのに、結局それをしなかった。そのドアを閉じる代わりに、その瞬間を捕らえ彼の考え方の方向転換をはかることで別の扉を開けることが出来たはずなのに。

 

 

動物性食品を摂ることを選ぼうとそうでなかろうと、我々は動物性食品に対して感謝の念を捧げることはできるし、また我々は食べ方に頓着しない人々を受け入れることはできる。マクロビオティックは頑固な決まり事のセットではなく、人生の全てに当てはまる順応した哲学なのだ。マクロビオティックにおける全ての経験は価値があり必要とされるものである。我々が他者を受け入れる努力をより多く払うことは我々の自由や喜びもまたさらに深みを増すのだ。

 

 

 

 

 

 

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Macrobiotic and Animal Foods(マクロビオティックと動物性食品)」は日本CI協会・編集部が和訳したものです。

 

 

GOMFの連絡先は下記となります。

gomf@earthlink.net

 

 

英語版を読みたい方は下記のウェブサイトをご参照ください。

http://ohsawamacrobiotics.com/joomla/index.php

 

 

 

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「瞬速料理5品」の復習報告

先日開催した「瞬速料理5品」の復習報告が連日届きます。
どれも「簡単で美味しい!」というものです。
それはそうでしょう、それをお伝えしたくてあの講座を開催したのですから。
実は受講者の中にご主人が麺会社にお勤めの方がいらして、麺には相当のハードルの高さがあったのですが、そのご主人も唸ってその美味しさを堪能してくださったとのこと。
「太らない焼きそば」をどのようにイメージされても良いのですが、このような方法があったのかという作り方を中川さんが考えてくださいました。
その背景には食に関して追求し続けた中川さんの探究心があったからこその作り方だなぁと実感しました。
また、こんなご報告もありました。
実家に帰ってお父様に「鶏ミンチの白菜蒸し」を作ってあげたところ、お父様がとても喜んでくれて、「お父さんもこんなのつくってもらいたかったなぁ」とボソッとおっしゃったそうです。
すでにお母さんが他界されているご家庭なので、その言葉には特別な想いが込められているのですね。
メールにこんな言葉が書き添えてありました。
「母が生前、お料理がすごく下手だったわけではないと思いますが、決して得意な方ではなかったし、父の望むものでもなかったのかも知れません。
なんだか切なくなったのと同時に、わたしは美味しいと言ってもらえるお料理を教えて頂けて本当によかった、とちょっと泣けてしまいました。」

そして、これからはお父様にも中川さんに教えていただいたお料理を食べてもらおうと思ったと書いたありました。
嬉しかったです。
親孝行のお手伝いができてこんなに嬉しいことはありません。
瞬速料理はただ速いのではなく、正統派の味と作り方を選んでお伝えしただけですから、美味しいに決まっています。
そして「美味しい!」ということが人の心を震わせ、人間関係の向上につながることを知ってもらえたら本望です。
いたずらにマクロビオティック料理という名のもとに、美味しくないお料理を家族に押し付けないように。
これがむそう塾の願いです。

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TPPのことを理解するために

私の信頼するOto Murataさんが、フェイスブックに次のような記事を書いておられます。
TPPのことがよく解らないという方のために、参考にしていただきたくて転載させていただきました。
私もそうですが、この問題は真剣に国の将来をかけて考えたいことです。
解らないからといってそのままにしないようにしましょう。

<Oto Murataさんの記事より>

TPPの本丸「ISD条項」は売国完了プログラムです。


TPPに関してです。24の作業部会があり、それぞれの分野で内容が話し合われているようですが、それぞれに大きな問題点はあるのでしょうが、僕がさらに絶対にこれはまずい、これは売国だと思える点が2点あります。


 まずは健康と食文化に関する事です。健康と食の安全は国益の最も基本的な保障に値するところです。TPPに参加すればモンサント社はじめ穀物メジャー+FDA(アメリカ食品医薬品局)の政策をフリーパスで国内に適応させなくてはいけません。アメリカにとって食品および医薬品も他国支配の兵器です。このことによって日本の里山や奥山の自給自足あるいは地域自給の暮らしが壊滅させられ、日本人の健康保障と食文化をかなり失うことになります。ローカリゼイションすら不可能になってしまいます。


 もうひとつ致命的に問題なのは「内国民待遇」と「ISD条項」です。このことによって日本人はこれから自分たちの政治経済文化=暮らしを自分たちで決める事ができなくなります。日本語すらも使ってはならないという文化粛正の危機すらあります。国会で話しているような経済的メリットデメリットなんてものは、極論すれば大した問題じゃない。つまり文化までは侵害されることはないと思える程度だということです。


 穀物メジャー+FDA。例えばモンサント社はこれまで数カ国で訴訟問題を起こしています。youtubeにもいくつか映像があるのでぜひ参考に見てください。最近では映画『フード・インク』にも登場してました。日本モンサントのHPのトップにある「理念」を見てみると驚かされます。「遺伝子組み換えしてある作物」こそが安全であり、無農薬だの在来種だのは危険極まる食品だという考えです。この考えに基づき今年の1月にアメリカで「食品安全近代化法」というのが可決されています。これは来るべき人工増加社会に備えて国家は国民に安全な食品を提供する義務を負うという理念に基づいた法案です。これによって遺伝子組み換え食品以外の「危険な作物」を生産する農家は法律違反となり、逮捕されます。この模様が映画『フード・インク』にも出てきます。

 TPPに参加すれば、食品添加物もこれまでのように日本独自の検査はしてはならないようになります。遺伝子組み換え食品だって何も文句は言えずにスルーしなければならない。これまでも様々な食品添加物があり、日本はその都度検査をしてきましたが、これからはどんな食品添加物という見えない薬物を注入されようが、どんな病状を発生させる遺伝子組み換え作物だろうが、ただただコントロールされ放題になるということです。植物でさえ「自殺する種子」を作っている会社です。現在はどんなところまでデザインが可能になっているのか、そら恐ろしい科学兵器です。何を混入されても異議申し立ての権利を失うのがTPPの「関税(=障壁)撤廃」です。

 TPPが実際に効力を発する日がくれば、外資の法律事務所の設立も可能になるし、穀物メジャーの会社によって訴訟天国になっていくことが想像されます。アメリカは日本からお金を巻上げたくてうずうずしているのです。おそらく今頃は調べ尽くされているであろう、日本の有機無農薬農家マップ、この人たちは全員犯罪者にさせられてしまう危機を拭えません。そして遺伝子組み換え以外の種子は使ってはいけないことになり、日本の在来種はいよいよ壊滅させられる。生態系の粛正が起きるのです。


 そして、本丸「ISD条項」、各国が自国民の安全、健康、福祉、環境などを自分たちの国の基準で決められなくする「治外法権」の規定です。ということですが、実際は「各国が」ではなく、アメリカ以外の8カ国の「自治権」はなくなるという意味です。これに「内国民待遇」が加わる。これはアメリカ人が日本で仕事と生活をする時にアメリカである状態と同じような状態にする義務を負うというものです。「内国民待遇」と「ISD条項」を重ねれば、例えば、アメリカ人にとって日本で仕事する際に日本人が日本語で普段話していることが理解できなくてとてもハンディがあり、仕事の障害になっているとわがまま放題を言えばそれが通用するのです。よって障壁をとるために日本人は仕事場で日本語を話したら犯罪と見なすと言えば、そのようになるのです。さらに企業が国家を訴える事もできることになります。世界中がアメリカというならず者を嫌っているのがこの「ISD条項」です。


 テレビや新聞ではこのあたりのことは知らされているのだろうかと心配になります。経済的な論点だけを国民に知らせてわざと核心を伏せているところはないでしょうか。でもTPPはそんな甘っちょろい不平等協定じゃないのです。とんでもない国家侵略=売国完了プログラムです。参加したらもうこの国は最後です。文化粛正が近い将来きっと起きるだろうと思います。それでもいいですか?僕は嫌です。


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