下半身を強くする玄米ご飯と野菜

昨年の記事ですが、やはり玄米ご飯のことが書かれていたのでリンクしておきます。

下半身を強くする玄米ご飯 2015.11.18

昨年から息子は玄米ご飯を炊き始めたのでした。
ちょうど1年になるんですね。

<息子へ>
頑張ってるね!
その結果は必ず君の人生に返ってくるよ。
自分の隠れた才能を発見するつもりでお料理してごらん。
宝探しみたいで楽しいよ。
それから、冬には土の下で取れる野菜も食べてね。
下半身をしっかりさせてくれて、粘りのある体になれるよ。
下の写真の蓮根ステーキは来年のお楽しみ♪

 
 

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(蓮根ステーキ 料理:京料理人  中川善博 マクロビオティック京料理教室 むそう塾)

 
 

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カテゴリー: 玄米の炊き方講座, 男子厨房に立つ, からだ | コメントする

主食の玄米ご飯は常に最高の炊き上がりにすべし

結論から書きますと、人間は美味しいものを好むように出来ていますね。
それは「美味しい=幸せ感」がセットになっているからだと思います。
ですから次々とテレビも本もネットも、美味しい情報を流し続けるのでしょう。
むそう塾にも美味しいもの大好きさんが集まってくれますが、召し上がる時の笑顔が本当に「至福のひととき」を表しています。

しかし、むそう塾は単なるグルメ教室ではなくて、正統派の高級京料理をマクロビオティックの陰陽で洗い直した「美味しい+健康」の陰陽料理が専門です。
多くの人は関心がおかずに行くのですが、健康を作るのは実は主食です。
なぜなら、主食は毎日食べますが、おかずは毎日同じものを食べません。
健康は摂取する回数が多いものの影響を受けますので、その点から主食が何であるか、どのような「質」なのかが重要なわけです。

むそう塾では主食として玄米をおすすめしています。
その理由はこのブログにもたくさん書かれていますので、詳しくはそちらに譲りますが、問題は玄米の炊き上がりです。
炊き上がり方一つで健康ではない方向に進んでしまったりしますから要注意です。

次の写真は中川さんが前の日に炊いた玄米ご飯です。
急に玄米ご飯が必要になって、大急ぎで炊きました。
もちろん浸水はしていません。
それなのにここまで美味しそうに炊き上がるのは、やはり中川さんの実力です。
炊いてから10時間以上経っています。
以下の写真は【クイック玄米ご飯」、【例1】〜【例5】も含めてすべて補正なしです。

 
 

【クイック玄米ご飯】
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(カレー用玄米ご飯 料理:京料理人 中川善博 浸水なし)

 
 

【例1】
上の写真をズームして見るとこんな感じになります。
色白ですね〜。まるで白米のようです。
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【例2】
次の写真はいかがでしょうか?
塾生Aさんの炊き上がりで、蒸らしの時間が2分足りなかったため、少し皮の残りが見られます。
その原因を探るべく、Aさんは12月の愛クラスを再受講されます。
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【例3】
では、次の写真はいかがでしょうか?
愛クラスでパスポートに至らなかった人の炊き上がりです。
写真が暗いことは別として、皮で覆われた粒がまだまだ多いですね。
これでは胃腸を傷めますので、もっと皮感をなくして色白玄米になるまで召し上がってほしくないです。
と言っても召し上がってしまう人が多いんですよね。
ぜひもう一度愛クラスを受講されて、健康になれる炊き上がりを目指してほしいと思います。
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【例4】
これは浸水時間が10分伸びてしまった炊き上がりです。
ちなみに、炊いた人は私です(汗)
でも、もともと消化力の弱い私には、とても美味しく感じた炊き上がりでしたよ。
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【例5】
愛クラスでお手本としてほしい炊き上がりは次の状態です。
ほわ〜っとしたやわらかさと優しさがいっぱい伝わって来ますね。
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(玄米ご飯 料理:京料理人 中川善博 マクロビオティック京料理教室 むそう塾)

いかがですか?
一口に玄米ご飯といっても、色々な炊き上がりですね。
その色々な炊き上がりを食べる人の消化力に合わせて、オーダーメイドの炊き上がりで伝授するのがむそう塾の「玄米の炊き方秘伝講座(愛クラス)」なのです。
この愛クラスでは、胃腸に負担のない状態の炊き上がりになって、お通じにつぶつぶが見られなくなるとパスポートが出ます。
それは個人の消化力に合わせた炊き上がりになったことで、一区切りをつけるためです。

ところが、この個人の消化力というのが誠に曲者で、実に千差万別です。
噛み方や食べ方の習慣まで影響してきますし、それまで食べてきたものによって、とても胃腸の回復に時間がかかる人もいらっしゃるからです。
このことはパスポートを取得したから安心というのではなく、お米の種類やその人の精神面の変化を如実に反映しますので、いつも炊き上がりの表情には注意してくださいね。

外気温が下がってくると、夏にパスポートを取った人は蒸らし時間のキープが難しくなるかもしれません。
あるいは浸水時間の見直しが必要になるかもしれません。
さらに、最近心配事がないか、イライラすることがないか、そんなことまで影響してきますから、そういう精神面の変化も注意して観察しましょう。

そのうえで【例5】のお手本を目指して常に最高の炊き上がりにしてくださいね。
あれれ?と思ったらすぐ再受講して問題点を解決しておきましょう。
健康に直結しますのでね。

 
 

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カテゴリー: 玄米の炊き方講座 | 3件のコメント

妊娠・出産をしながらお料理教室に通うむそう塾生

むそう塾では、幸せコースや上級幸せコースなどの通年コース中に妊娠・出産をされる方が毎年おられます。
3年前には“さとみ”さんが赤ちゃんを連れて授業に来てくれました。
玄米赤ちゃんが教室にやって来た! おつかれさま 2013.10.20

その1か月後、今度はパパも教室にやってきてくれました。
いいですねぇ、こういう光景。
マクロビオティックな父と子どもたち 2013.11.16

この弟くんは、それから5か月後には、修了式にママと東京から来てくれました。
いい目をしていますねぇ。
やんちゃそう(笑)

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(さとみさんのお子さん 2014.4.30撮影)

さとみさんはやっとお子さんから離れて、今度は一人で京都通いが出来る環境になってきました。
来年の5月からは満足コースに通われる予定です。
次の記事にもさとみさんが登場します。
後輩の励みになりますね。
お産の1ヵ月前でも鉄火味噌を作るむそう塾生 2013.8.19

*   *   *

今子育て中の方、これからお子さんを産もうと思っていらっしゃる方は、ぜひ次の記事を読んでおきましょう。
子育ての不満を解消するための考え方 2014.12.22

子育ては大変なのではなく、自分を育ててくれる貴重な機会です。
でも、忙しくなって時間がなくなるのは確かなので、確実に美味しいお料理をササッと作れるようになっておくと心強いですね。
そんな時にむそう塾で習ったお料理たちが力を発揮して、子育ての強い味方になってくれます。

安心して確実に美味しいお料理を作るノウハウを持っているむそう塾生は、マクロビオティックでいうところの陽性のエネルギーを常時生み出せるので、これを生きる味方につけて充実した人生を歩めるようになります。
お食事は毎日いただくので、心身への影響がとても大きいのです。
だからこそマクロビオティックでは、お料理からスタートしているのです。

まずいお料理は陰性の氣を発しますが、美味しいお料理は陽性の氣を発しますので、まずいお料理しか作れない人は、ぜひ美味しいお料理が作れる人になりましょう。
美味しいお料理の力って本当に凄いのですが、それをエネルギーとして考えるところがマクロビオティックの考え方なのです。
あなたも経験されていませんか?
美味しいものを食べたら気持ちが上向きになったり、いやなことが上書き出来たことがあるでしょ?
それが陽性の力なんです。

 
 

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(手綱蒟蒻 料理:京料理人  中川善博 マクロビオティック京料理教室 むそう塾)

手綱蒟蒻でも陰陽があります。

 
 

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「富士そば」の「丹 道夫」さんの経営方針

Facebookのタイムラインに「富士そば」の会長さんの記事が流れてきました。
私の住む街にも「富士そば」がありますが、一度も入ったことはありません。
前を通りがかってもピンと来ないからです。
しかし、この「富士そば」の会長さんの記事を読んでいるうちに、うなずける部分が多くて、人情味のあるところがいいなぁと思いました。

苦労人だからこの経営方法なのでしょうが、それは財力があるから出来ることと言ってしまわないで、他の企業もこんな雇用関係だったら、もっと世の中の流れも変わっていたのにと思えてなりません。
誰かに良くしてもらったら、その気持ちを忘れずに恩返しの気持ちでまた自分も誰かに良くしてあげられる人になろう。
若者たちがそんなふうに人生を考えて生きられる企業が増えたらいいな。

人間の温もりを大事にしたい私のための記事として、転載させていただきます。

ー転載はじめー

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【前編】
『最初は名前も「そば清」だった!? 創業50周年の「富士そば」会長が語る“秒殺の土地選び”とは』 2016.11.14

首都圏で働くサラリーマンであれば、一度はお世話になっているであろう立ち食いそばチェーン「富士そば」(現在は東中野店を除く全店にイスがある)。

実は『週刊プレイボーイ』と同い年の1966年創業で、今年が50周年。今では1都3県に100店以上を展開する富士そばを築き上げた丹 道夫(たん・みちお)会長は、四国の田舎町から上京しては失敗を繰り返し、4度目の上京でようやく成功を手に入れた苦労人だ。

80歳を迎えた今でも現役バリバリで、店回りを欠かさない丹氏に波乱万丈の人生を振り返ってもらいつつ、客にも従業員にもやさしい超ホワイトな経営哲学を語ってもらった。

* * *

―50年前に富士そばを作られた頃は、どんな世の中だったんですか?

 社会の景気はものすごいよかったね。戦争で縛られていた反動で娯楽がたくさんあった。当時、池袋店が映画館の軒下を借りて営業していたんだけど、『性の氾濫』なんて映画をやっていたのを覚えてるなー。

―すごいタイトルですね(笑)。週プレもそんな時代に創刊しました。

 『週刊プレイボーイ』もすごいタイトルだよね。僕も最初は飛びついたもんですよ(笑)。

―会長は富士そばを始められる前から、かなり波乱万丈な人生を送ってきたそうですね。

 僕は四国の生まれなんだけど、上京しては夢破れてを繰り返してね。1回目は面接で不採用になって帰郷、2回目は電車を間違えて福島の炭鉱で働いたり、東京の印刷所で働いたりしたけど、住み込み先で南京虫に襲われて倒れちゃった。3回目は栄養学校を卒業して、病院で栄養士になったけど、父が病気になって帰らざるをえなかった。4回目の上京でやっと定住することができたんだよね。

―それは何歳くらいの時だったんですか?

 25歳くらいだったかな。その頃から電化製品が普及して、大手の会社が下請けに発注するんだけど、仕事が増えすぎて、下請けがついてこられないくらいだった。地方から人がどんどん東京に出てきて、その人たちにネジとかを作らせるでしょ。最初はその人たちに食事を作るおばさんたちがいたんだけど、そのうちおばさんたちまでネジを作るようになった。それで弁当屋が流行ったの。

僕はその頃、味噌汁の素を売る食品会社に就職したんだけど、その会社は弁当屋もやっていて、いつの間にか毎朝4時に起きて弁当を作るハメになったわけ。それから自分で弁当屋をやることになって、それなりに稼げるようになったところで、知人と一緒に那須の別荘地で土地を売る仕事を始めたんだけど、最初は全然売れなくてね。倒産寸前までいったところで売れ始めて、そこからV字回復して飛ぶように売れたの。

―当時は月商7億円を売り上げるほど大成功したと聞きました。

 弁当屋でも利益は出ていたけど、土地は桁が違ったね。田中角栄の列島改造論なんかもあって、土地を持ってれば神様みたいに言われる時代だったから。

―それがなぜ、立ち食いそば屋をやることに?

 僕は田舎から出てきて、やっと不動産で当たったわけだけど、今度はお金が余って、毎晩のようにコパカバーナへ遊びに行ってたの。

―デヴィ夫人も勤めていたという高級クラブですね。

 そう。デヴィ夫人はバラが咲いたような顔して綺麗だったね。そこでステーキを食べたり、肉の刺し身を食べたり、あとはオニオングラタンが大好きで、店員が「今日のオニオングラタンはどうですか?」って訊(き)きに来るくらい通ってた。

―それだけ豪遊してたわけですね。

 当時、1回行くと3万円だったから、今のお金にしたら30万くらいは使ってたと思う。でも、そんな生活も飽きてくるんだよね。それで友達とおにぎりを食べる旅行をしたんだけど、その時に停まった駅の軒下で、そばを売ってるおばあちゃんを見たの。みんな電車が出る前に駆け込んで食べていて、忙しい商売だなと思ったんだけど、東京も忙しいから売れるんじゃないかなと思いついた。

―それで立ち食いそばをやろうと?

丹 不動産が売れてきた時に、これはいつまでも続かないと思ったから、その時に役員が食っていけるようにしておこうと思って、立ち食いそばをやろうと提案したんです。だから最初は不動産の会社で経営していて、名前も「そば清」だった。

―そうだったんですね。経営は最初から順調だったんですか?

 珍しさもあってか、最初から飛ぶように売れたね。4.5坪の店で1日900食も出てたから。それからしばらくは、いろんな商売も並行してやっていたけど、立ち食いそばが一番いいと。それで専念して、今に至るわけ。ただね、立ち食いそばは儲かると思って、軽い気持ちで手を出す人がいるんだけど、そんな甘いものじゃない。今日も朝から店回りをしてたんだけど、うちの対面に違うそば屋ができてたから見に行ったんですよ。

―お客さんのフリをして?

 そう。かけそばを食べてきたんだけど、味もうまくないし、お客も入ってないのに7人も8人も店員がいる。あれは3ヵ月も保たないですよ。簡単なようだけど、やっぱりノウハウがあるんだよね。

―ではズバリ、富士そばが50年続いた秘訣はなんですか?

丹 もう一にも二にも場所だね。よく「ここに店を出しませんか?」と言われて、見に行くんだけど、大体1~2秒でダメって言うから、みんな「秒殺された」って言うんだよ。

―理想は駅前のサラリーマンが多い場所ですか?

 そうだね。これがまたないのよ、物件が。だから、今年は何軒新しい店を出すっていう目標を立ててる会社もあるでしょ? うちはそんな目標は立てない。いい物件があれば店を出す。なければ出さない。ただそれだけだね。

●丹道夫(たん・みちお)
ダイタンフード株式会社会長。1935年12月15日生まれ。愛媛県西条市出身。中学卒業後、地元での八百屋、油屋での丁稚奉公に始まり、その後は上京しては失敗して帰郷を繰り返すも、友人と立ち上げた不動産業で成功。1966年に富士そばの前身となる「そば清」を始め、1972年にダイタンフード株式会社を設立して立ち食いそば業に専念。現在はグループ会社8社、国内113店舗、海外8店舗を展開。55歳で演歌の作詞を始め、「丹まさと」の名で作詞家としても活躍している。著書に自身の半生を振り返った『らせん階段一代記』、富士そばの経営学を記した『商いのコツは「儲」という字に隠れている』がある。

(取材・文/田中 宏 撮影/綿谷和智)

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【後編】
『アルバイトにもボーナスを支給する理由とは? 「富士そば」会長が語る、超ホワイトな経営哲学』
 
2016.11.15


首都圏で働くサラリーマンであれば、一度はお世話になっているであろう立ち食いそばチェーン「富士そば」(現在は東中野店を除く全店にイスがある)。

実は『週刊プレイボーイ』と同い年の1966年創業で、今年が50周年。今では1都3県に100店以上を展開する富士そばを築き上げた丹 道夫(たん・みちお)会長は、四国の田舎町から上京しては失敗を繰り返し、4度目の上京でようやく成功を手に入れた苦労人だ。

80歳を迎えた今でも現役バリバリで、店回りを欠かさない丹氏に波乱万丈の人生を振り返ってもらいつつ、客にも従業員にもやさしい超ホワイトな経営哲学を前編記事(「最初は名前も『そば清』」だった!?…」)に続き、語ってもらった。

* * *

―富士そばは1972年に24時間営業を導入したんですよね。セブン-イレブンよりも早かった。

 僕が上京したての頃は泊まるお金がなくて、そば屋に入ったのね。店のTVで力道山やシャープ兄弟の試合を見て時間を潰してたんだけど、店のばあさんから「お兄ちゃん、もうそろそろ閉めるから出て行ってちょうだい」って言われて、上野のベンチで寝るわけ。あの時は寂しかったねー。

この間、僕はね、女房が出かけて帰りが遅かった日に、早く帰ってもつまらないから、ひとりで立ち食いそばを食べたの。そしたら昔のことを思い出してね、なんか涙が出ちゃって。寂しいのが一番嫌なんだよね。

―そんな想いもあって、24時間営業に?

 そう。今でも24時間やっていると、随分そういう人が来るんだよ。この間も男のコがスーパーで買ってきたおかずを隅で食べてたの。かわいそうだから、従業員に「熱いスープを丼一杯持ってってやりなさい」と言ったら、喜んで食べてたね。やっぱり東京は地方から出てきた人が多いから、家賃を払うのに精一杯な人も少なくないでしょ。

―お店的には、あんまり長居されても困りますよね?

丹 困るは困るけど、「出てってください」とは絶対に言わない。お互い様だから。従業員にも「冷たくしちゃダメ」と言ってるよ。いつかまたね、いいお客になるんだから。

―お店で演歌を流しているのも、会長のこだわりで?

 僕は「演歌がわかる人は他人の痛みがわかる人」だと思ってるの。昔、医者になったという女性から手紙が届いたことがあって、「受験に3度失敗して、途方に暮れていた時に富士そばで聞いた演歌に励まされて、もう一度頑張ろうと思いました」って書いてあったのね。

お店回りをしていると、従業員から「食べ終わっても歌をじっと聞いてる人が多いんですよ」と言われるんだけど、そういう話を聞くたびに演歌を流すのをやめてはいけないと思うんだよね。

―社内の会議室には「我々の信条」が貼ってありましたけど、従業員の生活が第一という経営方針があるそうですね。

 昔から母に言われてたの。「お金が欲しいなら、独り占めしちゃダメ。みんなに分けてやる精神がないと絶対に大きくなれない」って。だから富士そばでも、前年よりよければ給料を増やしなさいと言ってるのね。それさえしっかりしていれば、僕がどうのこうの言わなくても、みんな一生懸命やってくれる。

やっぱり東京にいる時は、お金がないと前に進まないでしょ。それは僕が痛いほど経験してきたから。汚いようだけど、やっぱりお金はあったほうがいいよね。

―アルバイトにもボーナスや退職金が出ると聞きましたが、本当ですか?

 出してるね。人間は平等なんだよ。僕は生まれた頃に父が死んで、母は僕を学校へ行かせるために再婚したの。でも、弟が生まれてからは、継父は弟ばかりかわいがって、僕はいじめられた。その時にみんな平等じゃないといけないと思った。それにそのほうが楽なんですよ。売り上げを増やせば、自分たちに返ってくるとわかってるから、僕が何も言わなくても、なんとかして売りたいといろいろ考えてくれる。

―今、世の中にはブラック企業と呼ばれる会社も多いですが。

 あれは損してるなと思うよ。なんでブラックにしなくちゃいけないかね。ちゃんと待遇をよくしてあげれば、みんな働くし、自分も楽ができる。どうしてそんなことをするんだろうね。ああいう企業の経営方針はよくわからない。

―大きい会社でも、内部留保でお金を貯め込むことが問題になっています。それについてはどう感じられますか?

 いや、これも内部留保なんだよ。みんなにお金をあげれば、やめずに働き続けてくれるでしょう。従業員は資産だから。

―そんな波乱万丈な人生を送られてきて、今、振り返って感じることはありますか?

丹 自分でもよくここまで来たなと思う。それはやっぱり、みんなのおかげだね。いい人に出会えたから。頭もいいわけじゃない、体も強いわけでもない、そんなハンパ者だから一生懸命やるしかない。そうしたら、みんながよくしてくれたんだよね。

―それは『商いのコツは「儲」という字に隠れている』という本を出すぐらい、ご自身が「人を信じる者」だったからじゃないですか?

 一緒に不動産をやった仲間に「どうして一緒にやったの?」って訊いたら、「丹さんには騙(だま)されないと思ったから」と言ってたね。すごく優秀な人もいたけど、悪い人は早く死ぬんだ。「後ろ向いたら石投げられる」なんて言ってた人もいたけど、いつの間にか死んじゃったね。やっぱり、それだけ苦労するんだろうな。

―今の若者に感じることはありますか?

 いいと思うよ。このままで。

―それはどういう理由で?

 そんなに苦労しちゃいけないと思う。僕自身、バカだなと思った。食べるのに苦労はしないけど、やっぱり大変なことは多いから。今の若者は賢いと思うな。適当に食べるお金があって、自分の人生をエンジョイするのはエラいですよ。

―でも、嫌々仕事してる人もいると思います。

丹 それはいかんね。自分にそぐわないことを嫌々する、そんな馬鹿らしいことはない。自分を変えるか、仕事を変えるか。もっとやりがいのあることをやらなきゃ。それが見つかるまでは、自分を探すこと。僕は自分に何が合ってるのか、本当にわからなかった。父に相談したかったけど、早くに死んでしまったしね。

若い頃に八百屋や油屋で丁稚奉公(でっちぼうこう)してた時は、何も面白くなかった。不動産も富士そばも自分の意思でやったから成功できたんだと思う。だから今の若者もやりがいのある仕事を見つけてほしいね。

―今は息子さんに社長を譲られて、世代交替もあると思うんですけど、最後に50年後の富士そばはどうなっていると思いますか?

 それは難しい質問だね。江戸時代は屋台で買える食べ物で、それが普通のそば屋になって、今は立ち食いそばもたくさんできた。僕はそば屋と聞いたら、35%の人が立ち食いそばをイメージしてくれたらいいなと思って、立ち食いそばのレベルを上げる努力をしてきたんです。

―昔に比べれば本当に手軽に安く、しかもおいしく食べられるようになりましたよね。

丹 でも、これがいつまで続くかはわからない。「丹さん、そば屋はいつかスパゲティ屋になるよ」と言う人もいるんだけど、それは間違いだと思うんだよね。スパゲティよりは、そばのほうが慣れ親しむだろうと。だから、あんまり個性を強くしたものはダメだと思うの。飽きられちゃうから。僕が一番不安に思っているのは、そばやうどんよりももっと手軽でおいしいものが開発されること。

―そんなことまで考えられていたんですね。

丹 そうなったら、そっちにいくかもわからないよね。ただ、うちは駅前のいい場所に100店以上確保しているでしょ。これは他の商売でも使えると思うから、違う業種に転換している可能性は考えられる。まぁ、例えそうなったとしても、50年後も残る企業になってほしいね。
 
●丹道夫(たん・みちお)
ダイタンフード株式会社会長。1935年12月15日生まれ。愛媛県西条市出身。中学卒業後、地元での八百屋、油屋での丁稚奉公に始まり、その後は上京しては失敗して帰郷を繰り返すも、友人と立ち上げた不動産業で成功。1966年に富士そばの前身となる「そば清」を始め、1972年にダイタンフード株式会社を設立して立ち食いそば業に専念。現在はグループ会社8社、国内113店舗、海外8店舗を展開。55歳で演歌の作詞を始め、「丹まさと」の名で作詞家としても活躍している。著書に自身の半生を振り返った『らせん階段一代記』、富士そばの経営学を記した『商いのコツは「儲」という字に隠れている』がある。

(取材・文/田中 宏 撮影/綿谷和智)

ー転載おわりー


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陽性な決断・陰性な決断

毎年思うのですが、むそう塾の通年コース(幸せコース・上級幸せコース・満足コース・秘伝コース)のお申込み時期になると、決断力と突破力のことを強く感じます。
この決断力と突破力はとても個人差がありますね。
だから人間なのですが(^^)

この決断力と突破力が弱い人は、そのままだと不満が増えて人生がつまらなくなります。
「・・・をしたい」という欲求はあるのですが、それを実現するための環境を作り出すことに二の足を踏んでいるので、いつまで経ってもその欲求が実現しないからです。
実現しないから不満を引きずって毎日が楽しくないということになります。

そんな時にはこのブログでも何度も書いているように、「今までしなかったことをする」のです。
今回、各コースのお申込みに際して、「迷った時には困難な方を選ぶ」考え方を実行してくれた人が何名かいました。
お申込み欄にそのことを書いてくださっていて、とても嬉しかったです。

マクロビオティックの陰陽で考えると、困難な方を選ぶのは陽性の決断であり、楽な方を選ぶのは陰性な決断です。
陽性というのはエネルギーが強いですから、次なるものを生み出す力があります。
しかし、陰性はエネルギーが弱いので、停滞か後退に進んで行きます。
ですから、今の自分を変えたいと思ったら、陽性な決断をしましょう。

陰性な決断の連続は病気につながりますが、陽性な決断の連続は病気をも治す力を持っています。
よく癌から生還した人の体験談などには、この陽性な思考が現れていますね。

変化は自分で生み出すもの。誰もプレゼントしてはくれません。

 
 

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(京都 南禅寺あたり)

写真は今朝の京都の南禅寺あたりです。
パソコンで作業をしていると、窓の向こうには南禅寺の木々の紅葉が日々変化しているのがわかります。
これから2週間、京都は観光客で激混みします。

 
 

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