阪神淡路大震災の際、避難所となっていたお寺(西法寺)の上原照子(現副住職)さんが、朝日新聞記者のインタビューに応じた記事が参考になった。
被災者で避難所暮らしを経験した人でなければ分からない気持ちが書かれている。
役割分担、生きる力に 〈伝えたいー阪神から〉より 抜粋
被災者の間で、「炊き出し係」「掃除係」「お風呂係」と、役割分担を決めた。みんな「これからどうしよう」と後ろ向きな気持ちになりがちだった。でも、それぞれ与えられた役割を続ける中で、「私は必要とされている」と生きる力が湧いていった。
避難所で不可欠なのは、みんなを引っ張っていくリーダーの存在。うちは夫の上原泰行(たいぎょう)・前住職(当時59)=2008年死去=がほとんど寝ないで駆け回って、被災者の話を聞いた。リーダーのいない避難所では、けんかなどのトラブルもあったと聞くが、おかげで何もなく乗り切ることができたと思う。
健康を維持するため、みんなで早寝早起きの規則正しい生活を心掛けた。寒さ対策に、壊れた家の材木をドラム缶に入れてたき火をした。炎を見ると癒やされる効果もあるようだ。夜はドラム缶の周りに集まって、将来の夢を語り合った。冷たいおにぎりもフライパンで焼くなどして、なるべく火を使って温かいものをほおばれるように工夫をした。
あのとき何よりもうれしかったのは、応援メッセージが書かれた全国からの手紙だった。「希望を捨てないで」「つらいだろうけど頑張ってください」と書かれていた。「私たちは見捨てられていない」と感じて涙が出た。
– – 引用おわり – –
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この中で、「私は必要とされている」「私たちは見捨てられていない」という言葉が胸に響いた。
この気持ちは被災した人だけではなく、子供もお年寄りもすべての人間に共通のものである。
つまり、人間の生きる力の源である。
だから私たちに出来ることは、お金や物や労働の提供や被災者の受け入れなど沢山あるけれど、「生きる力につながること」をいつも意識して行動したいと改めて思った。
決して自己満足にならないように。
なお、「炎をみると癒される効果もあるようだ」という点も頷ける。
マクロビオティックをしている人は熱源の陰陽ですでにご理解できると思うが、目に見えない熱源に癒しの効果は少ない。
例えばIH。
炎を見ながら料理をすると心が落ち着くのは、炎の持つ陽性さゆえである。
そして炎から出て来る遠赤外線が、強ばった身体の芯をほぐしてくれるのである。
だからこそ、人間は火を炊いて火に癒される時間が必要だとつくづく感じる。
昔、深沢七郎が自分の家の庭で火を燃やせなくなっちゃぁお終いだと言って、さっさと田舎に引っ込んでしまったことを重ね合わせて思った。
本物の生き方がこの頃からすでに出来なくなっていたのだろう。
この震災は私たちに警告を与えるための強烈なメッセージなのだと思う。
それにしては余りにも痛々しい。
しかし人間は愚かだから、このくらいの規模でなければ氣がつかないということなのか。
それにしては過酷だ。
亡くなった方々の無念さを決して無駄にしないためにも、この辺で政治も経済界も私たち個人も目覚めることが急務だと思う。
今。
直ちに。













