「宿便を抜いた瞬間、人間は善人になる」
人間の本性は一体何であるか。中国の孟子が唱えた性善説か、それとも同じく中国の洵子が唱えた性悪説か。
性善説は人はもともと善であり、教育の間違いで悪人になるという説。また一方の性悪説は人はもともと悪であり、教育を施し善に仕上げるという説。性善説にしろ性悪説にしろ教育次第で善にも悪にもなるということですが、なぜ人間の本性に関する見解がこうも見事に二分するのでしょう。
教育が人間形成に大きな比重を占めていることは今も昔も変わりません。しかし、本性に関して性善説と性悪説に二分する考えが生まれたのは、間違った教育法が広まったか、教育法があまりにも難解なものになってしまったかです。教育は簡素でどんな人にでも理解できるものでなくてはなりません。普段の生活で体得でき、実用的で人を幸福にするものでなくてはなりません。お金や時間をかけなければ受けられない教育は教育ではなくお金儲けの狂育です。
本来の教育とは宇宙の秩序・宇宙の法則を生活の中で学ぶことです。教育と狂育の間違い(アベコベ)が人間の本性が善であるとか悪であるとかいう混乱をまねいたのです。大森先生の「宿便を抜いた瞬間、人間は善人になる」という宿便とは宇宙法則違反が凝り固まったものといえます。 2002年2月
<連続記事>
・磯貝昌寛先生の大森英櫻先生に関する記事のご紹介(1)
・磯貝昌寛先生の大森英櫻先生に関する記事のご紹介(2)
・磯貝昌寛先生の大森英櫻先生に関する記事のご紹介(4)
・磯貝昌寛先生の大森英櫻先生に関する記事のご紹介(5)
・磯貝昌寛先生の大森英櫻先生に関する記事のご紹介(6)