先日、中川さんが写真のようなお吸い物を作ってくださいました。
美味しくて一度もお椀を手放すことなく、唸りながら飲み干してしまいました。
中はご覧のとおり、焼き色のついた九条葱が1本入っているだけです。
ちゃんと切り込みを入れてあるところがプロの仕事ですねぇ。
ギリギリまで抑えた陽。
だからこそほっこり出来る陰を感じます。
しかし、このお吸い物ですが、外でいただくと実にイマイチなお味のものが多いです。
一番困るのは鰻屋さんのお吸い物でしょうかね。
常々味の濃い仕事をされているので、味覚の基準が濃い方に慣れてしまっているためと思われます。
反対に京料理は一般的に薄味といわれますが、それは後に続くお料理の味を判ってもらうための味付けでもあると思います。
よく中川さんが「単品で美味しいのは駄目、全体のバランスを考えて美味しくしないとね。」というようなことを言われますが、これは他のお料理の味の邪魔をしない程度の味付けということです。
それぞれのお料理がちょっとした引き算で全体の調和が取れるように計算するというのは、京都の文化に根付いているように感じます。
それは京都の庭づくりからも感じることができます。
庭というのは一つだけが自己主張してはいけないのです。どんな銘木であっても銘石であっても、あくまでも全体の中の一部でしかありません。
全体を観るだけでなく、香りや風に揺れる音までも計算に入れて、その部分に美しさを醸しだすように造られています。
それでいてその庭が何を目的としているかの核があるわけです。
この手法はお料理にも通じますが、人間関係にも通じると思いませんか?
ちょっとだけ引き算の立ち位置。
それが絶妙な人間関係につながって、物事がうまく展開していくことを私は多く経験して来ました。
反対に出しゃばり過ぎの人に不快感を感じたこともあります。
相手のためにと思ってした行為が、相手にとってはでしゃばりと感じることもあるでしょう。
ですから人間関係は難しいと言って人間嫌いになる人がいるのですが、そんな人でもマクロビオティックの陰陽を当てはめるととっても上手く行くことが多いですよ。
お料理の味は慣れが支配することも多いですが、慣れだけに甘んじていると体調不良を招くことがあります。
全体のバランスを見れていないからですね。
味の微妙な加減でも、どこまでも繊細に繊細に「感じる」ことに集注して行くと、ちょっとした差を感じることができます。
その集注というのは陽の力なのです。
陰性な状態では集注の力が落ちます。
常々ON OFFの切り替えが出来るようにして、そこに陰陽の考え方を忍ばせれば鬼に金棒です。
面白いでしょ? マクロビオティックって。
美風さん、おはようございます。
記事を拝読させて頂いて、
「過ぎたるは猶及ばざるが如し。」
〜度が過ぎることは、足りないことと同じくらい良くないという意味〜
という言葉が浮かびました。
以前は「度が過ぎるほどがむしゃらにやり、突然プツッンと無気力になる」というパターンを繰り返していました。
けれど陰陽の考え方を教えて頂き、桂剥き投稿やお弁当投稿をとおして実際に実践していく中で、どちらにも転ばない「ころあい」という感覚がわかってきました。
それから、継続することがそんなに苦ではなくなりました。
すべてはバランスですね。
人間関係やお料理にも、活かしていきたいです。
いつもありがとうございます。
ふみよ丸ちゃん、おはようございます。
陰陽の考え方って面白いですよね。
お料理の陰陽ももちろん面白いのですが、私はこうして人間関係を陰陽で考えながら実生活を穏やかに過ごすのが好きです。
生き方に反映出来てこそのマクロビオティックなので、どんどん精神面が楽になって行くと嬉しいですよね。
これからも陰陽を楽しんでください。