こころ・想い」カテゴリーアーカイブ

目指すものがある人は幸せだ

目指すものがある人は幸せだ

目指すものを見つけた人は強くなれる

 
 

ときには 負けそうになっても

ときには もうダメだと思っても

 
 

やめたらそこで終わり

もう一度トライしてごらん

 
 

(教室の掛花 マクロビオティック京料理教室 むそう塾)

 
 
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楽しむことはエネルギーを生む 悩むことは病気を生む

同じ状況に置かれたとき、その状況を楽しめる人と、悩んでしまう人の差は大きい。

たとえば仕事が大変なとき。
文句をいう人、
職場を去ってしまう人、
黙々とこなす人、
仕事があるだけでも幸せだと思える人では結果が異なる。

たとえば病気になったとき。
病気になったことを嘆いて泣いてばかりの人、
絶望的になる人、
医者に頼る人、
医者任せにしないで自分でも調べてみる人、
医者や薬に頼らないで治そうとする人、
病気を機に生活スタイルを改めて、努めて前向きに笑顔で暮らす人、
病気に感謝して生き方まで変えてしまう人、
実にさまざまだ。

 
 

間違いなく言えることがある。
人にはマイナスのオーラを発する人と、
プラスのオーラを発する人がいる。
案外本人は気づいていない。
しかし、まわりの人にはよく分かる。

このオーラは、本人次第でどんなふうにも変わる。

そりゃあ、生きていればいつも笑顔だけではいられないこともある。
でも、考え方一つでそれは逆転が可能だ。
だから、やわらかい心と、柔軟な発想があれば、克服できる環境もある。
病も同じだ。
何を選択するかはあなた次第。

 
 

(京都 鴨川 御池大橋にて)

 
 
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マクロビオティックの陰陽 陰性さんのよいところ

昨日は陽性さんのよいところについて記事を書きました。
マクロビオティックの陰陽と 習い事における陽性の例 2023.9.14

しかし、陽性がよくて、陰性がダメというわけではありません。
一番よいのは、陽性であってほしいときに陽性さが発揮できて、陰性が求められるときに陰性さが発揮できるのが理想なのです。

これは一人の人間の中に、当然のことですが陽性と陰性が同居しているので、瞬間的にそれが活かされればよいわけです。
人によってはその陰陽割合が微妙に違うので、「あなたは陽性」「あなたは陰性」と言ったりしますが、誰一人として「陽性のみ」、「陰性のみ」なんていうことはありません。
割合の多い方を意識して表現しているだけです。

 
 

ところで、先日塾生さんとメールのやり取りをしていたら、面白いことがありました。
とても良い陽性さを持った塾生さんに、「あなたは陽性なので」と前置きしてアドバイスしたところ、その塾生さんは「女性は陰性がよい」と思っておられたのです。
ですから、自分は女性として問題ありなのかなと感じたのでした。

昔のマクロビオティックの本には、女性が陽性になったらうまくいかないような表現のものがあるのは事実です。
女性は陰性でなければならない、みたいな。
でもね、それは多分に男尊女卑的な要素も入っていて、私は好きではありません。

そもそも女性は体内に卵子という陽性を抱えているので、芯は陽性なのです。
ですから、表面的にはやわらかさや優しさの陰性が覆ってバランスを取っているのです。
一方男性は体内に精子という陰性を抱えているので、芯は陰性なのです。
表面的にはかたさや力強さの陽性が覆ってバランスを取っています。

 
 

でも、人間は個人差があるので、その割合が人それぞれなのが実に面白いところです。
最近は男性並みの活躍をされる女性もおられるし、身なりも女性的にした方が落ち着く男性もおられます。
それらの人をどんな言葉で呼ぼうと、陰陽的にはバランスの違いによるものです。

ですから、うわべに現れる現象だけでなく、奥の奥まで思いをめぐらして相手のことを考えると、案外うまくいくことが多いです。
そして、本当に深いところで理解し合えるように思います。

 
 

***

陰性さんのよいところは、テンポがゆったりしているところです。
ですから、こちらが何かの事情でつらいとき、話を聴いてもらうには最高の人です。
人は話すことによって負担が軽くなったり、愚痴を聴いてもらうだけで救われたりします。
陰性さんはそんなときに、大いに役立つのです。

でも、陽性さんはそんなに長い時間をかけないうちに結論を出したくなります。
それでも芯に陰性さを多めに持っている陽性さんなら、かなり時間をかけてくれますけど、解決策を提案したくなります。

一方、陰性たっぷりの人は、「うんうん」「そうだね〜」と言いながら聴いてくれて、解決策を積極的に出そうとしません。
だからこそ救われることが人にはあるのです。
こういう人は案外、結婚して義理の両親とうまくやっていけます。

また、陰性さんはオアシスになれます。
相手が配偶者であったり、子どもであったり、あるいは知人であっても、疲れた羽根を休めるためのオアシスになれる器量があるのです。

 
 

***

ところで、「デキル人」というのがいます。
そういう人は陰陽バランスがとてもよい場合が多いです。
仕事では陽性に動くけど、人間関係には陰性な面も上手に含んで解決に導くんですよね。

相手の考えていることを見抜くには陽性の力がいります。
ぼんやりとしていてはダメです。
身近にいませんか? 痒いところに手が届くように接してくれる人が。
そういう人とは気持ちのよい関係が築けるでしょう。

そして、そんな気遣いを学びながら、自分も成長しようと思えると素敵ですね。

 
 

(京都市左京区 冷泉通 この通りの右側に平安神宮がある)

 
 
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「青春とは、心の若さである」 サムエル・ウルマンを再び

調べ物をしていたら、サムエル・ウルマンの詩が出てきました。
青春 2010.7.25

75歳になった今、読み返してみると笑えるほど私の人生もこんな感じだったなぁと思えます。
つい最近もある塾生さんに、似たような話をしていたところでした。
希望や夢があったら挑戦すればいいし、ためらうことなんて何もない、前進あるのみですよと。

失敗?
あら、物事が思い通りにいかないのは当然のことだから、そのときに考えればいいんじゃない?
あらかじめ考えるより、ずっとパワフルな判断が短時間でできるから、事前にウダウダ考えるのは時間の無駄遣いだと思いますよ。

ということで、もう一度サムエル・ウルマンに登場してもらいましょう。
今度は作山宗久さんの訳です。
なお、この詩はサムエル・ウルマンが80歳の誕生日祝に、家族が自費出版して縁者だけに配った本に収められていたそうです。
それをマッカーサー元帥が気に入って、執務室の壁に飾っていたのだとか。

 
 

***

< 青 春 >

サムエル・ウルマン
作山宗久 訳

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を云う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持を振り捨てる冒険心を意味する。
ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない
理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥になる。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、
驚異に惹かれる心、おさなごのような未知への探求心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美・希望・喜び・勇気・力の
霊感をうける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ
悲嘆の氷に閉ざされるとき、
20歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、
80歳であろうと人は青春にして已む。

「青春とは、心の若さである」  角川文庫

原稿はこちらの記事からお借りしました。

 
 

(京都の空)

 
 
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間違いない方向を目指した「マクロビオティック京料理教室 むそう塾」

きょうは私の会社と、中川さんの会社の顧問税理士さんの指導日でした。
どちらも同じ税理士さんにお願いしています。
定期的に税理士さんが教室に来られて、あれこれご指導してくださいます。

思えば平成19年(2007年)3月12日に会社の登記をしたのでした。
まだ何をするかもまったく決まっていない段階で(笑)
そんな状態で会社を作るなんて、と思われるかもしれませんが、実は、その前に中川さんに相談していたのでした。

「会社を作ろうと思う」と。
「でも、中川さんが反対だったら止めようと思う」とも。
その時の中川さんのお返事は、「風さんは人を騙す人ではないから、いいんじゃないか」とのことでした。
(当時の私は“風さん”と呼ばれていました)

その後、中川さんと一緒にむそう塾を始めることになって、2009年から会社が本格始動を始めました。
そして、中川さんも私の勧めで会社を作りました。2011年1月4日のことです。
(どちらの会社も、私の夫が手続きをしてくれました)

私が会社を作った理由。
それは、何かを始めたいと思ったからです。
その“何か”はまだ分からないけど、まずは器を作っておこうと思ったのです。
本格始動するまでの間、ずっと法人税と法人住民税を納付していたのは言うまでもありません。

 
 

***

59歳で始めたむそう塾。
無事に今まで続けて来られたのは、中川さんのお力によるのは勿論ですが、遠くからも通い続けてくださる塾生さんたちの熱い想いがあるからです。
スタート時は、中川さんと何度も何度も話し合って、ふたりで未知の世界に足を踏み出しました。

それは、動物性排除が当然だと思っているマクロビオティック界に軸足を置きながらも、動物性のお料理も教えるという画期的内容が含まれていたからです。
それには勇気も必要だったし、マクロビオティックを教わった恩師たちのことも頭にありました。
でも、ふたりで話し合って、「間違いない」と思える方向を目指して来ました。

そしてそれは、多くの塾生さんやご家族様の体調を見ていると、やはり間違いなかったと思えます。
最近はパンやスイーツも教えるむそう塾ですが、それらは現在の食生活を取り巻く状況を考えると、やはり「本物の味」を伝えておく必要があると考えたからです。

自分で作れるものが増えると、人は安心感が非常に増します。
そして、健康を自分の手でコントロールすることができます。
マクロビオティックの陰陽は、そのときに限りなく有益な判断材料になります。

そのお手伝いをするために、むそう塾ができることはたくさんあります。
次世代を担う人たちに、75歳の今も、私にできる役割を考えながら、元気に仕事をし続けようと思っています。

 
 

(教室の掛け花 マクロビオティック京料理教室 むそう塾)

 
 
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